は政治が人事を握っているので嫌々官僚が行かざるを得なくなったので起きたとも言われる東北新社の事件を受けて、官僚主導から政治主導に至るまでのいきさつを概括。
官僚の不祥事から政治主導が求められたという話でしたけど、民主党政権で官僚が協力しなかったので政治主導が国民に容認されたという点は大きいと思う。それを省いていましたね。
大手メディアは明らかにこのことを言いたがらない傾向が強いですね。民主党の無能さを強調したいのでしょう。
官僚主導だろうが政治主導だろうが人が駄目だとだめだ、という私がずっと主張し続けてきたことでもあることを言う松原耕二氏。
さらに一歩踏み込んで、人を良くするには、仏教など宗教の中の本質的なものこそ必須だ、という結論に至ってもらいたいと思っています。
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