磯田道史さんが大石内蔵助が優れていたと指摘する「反実仮想力」は旧日本軍や今の官僚に最も欠けているものですよね。
そして内蔵助にそれを育ませたのは当時の文化状況であったということが重要だと考えています。
赤穂浪士に死者が無かったのが不思議だということですけどある意味当たり前で、こういうのは本当に踏み込む方が有利なんですよ。
新撰組の永倉新八が東京で新撰組に恨みを持った人間と市中で出くわしたので、報復されるのを恐れてすぐに引っ越した、という話があります。
永倉新八ほどの使い手でも逃げるのか、とこれを聞いて現代の甲野善紀氏は失望していましたけど、踏み込まれたらおしまいなんだから当たり前ですよ。
永倉の感覚が真っ当です。
古舘さんの実況は、きっと赤穂浪士たちもうるさいと思っていたに違いありません。。。
古舘さんの語りは中身のないものをあるように見せる力がありますけど、中身のあるものをやると実質を損なう所があると思います。
最後は「勧善懲悪だったのか!」と叫んでいましたけど、今どき「忠臣蔵」を勧善懲悪だなんて思っている人は恐らく少数派ですよ。それをいかにも大胆な視点の転換を勧めているように力んでいうのは白々しいと思います。
死屍累々の吉良邸のVTRも実際は胴体真っ二つとかあったに違いありませんからね。
ここまで濃密でしたけど、史実の忠臣蔵は討ち入りが終わってからがまた濃密なんですよ。
もっと長い番組を一本作れるでしょうね。
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