「この国のかたち〈6〉 (文春文庫)」の「明治の政治主導による資本主義が形を成したのは、汚職しなかったからだけです」(238ページ)や「明治の資本主義というのは、江戸期のそういうモラルを相続したおかげでできあがったといえます。」(233ページ)といったことは(前者は言い切りすぎにしても)ある程度正しいのですが、一方で同項の以降のアジアの他国が汚職ばかりで精神的に劣っていたから近代化できなかった、というのは差別意識としか思えません。これを補強するデータは目にしたことが無いですね。
こんな論述を柱にして、特集を組み立てることが許されるのだろうか。
また、そのようなアジア蔑視が根底にあるので、アジア由来である日本の精神を培ってきた東洋の理念は排除される形で書かれていますし、「江戸期の合理主義」といった項目でもその合理性の骨子にあると考えられる、儒教・仏教など東洋の理念やその他文化には触れられないのです。これでは合理性を相続しようがありません。
もし他国に比べて多少清廉だったとしても、それは東洋文化の掃きだめとして東洋の理念を蓄えて成熟させてきたからにほかなりません。
だから結局日本人は合理主義を相続することが出来ず、廃れさせ、清廉さも保ちえなかったのです。
久しぶりにちょっと読むと、アジア蔑視(と西洋崇拝)が強すぎてびっくりするくらいですね。歴史家でも司馬史観を称賛する人は多いですが、これで満足なのでしょうか?
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