森本毅郎さんのラジオの「ニューススクランブル」のコーナーでは「在日米軍、性犯罪に甘い処分とAP通信報じる」が一番のトピックに。
「在日米軍に所属する軍人による性犯罪への処罰が、アメリカ軍全体の平均水準と比べて甘いことがわかりました。AP通信が情報公開請求で得たアメリカ軍の資料を基に伝えたものです。」(HPより引用)とのこと。
森本さんは、なぜこのような重要なことを、日本のメディアではなく、海外が一番に伝えるのか、と激怒。まったくその通りです。そして伝えないことすらも問題にされないのです。
「首相、立憲主義を否定 解釈改憲「最高責任者は私」」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014021302000135.html)も何重にもひどい。
汚染水問題でもTPPでも原発でも公約違反をしたでしょう。「甘利経済再生相パーティー券、電力9社覆面購入」(http://www.asahi.com/articles/ASG1R56G4G1RULZU003.html)の責任と任命責任はどうなったのか。数限りないですが、直近ではNHKの会長及び経営委員の任命責任です。まずはその責任を取ってから責任という言葉を口にするのが道理です。
そしてメディアはそういったことをスルーするようでは報道機関とは呼べません。
こうやって宣戦布告をしても、米国の手先になって自衛隊員を危険にさらしても、結局自分は安全地帯でのらりくらりで責任を取ることもないのだろう。責任を連呼する究極の無責任と言えます。
「首相、国連演説で中国を牽制 「1国で安全守れない」」(http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130927/plt1309271211002-n1.htm)と同じことを国会でも言っていましたが、そもそも無用な「敵」を作るのが良くないのだという視点がありません。勝手に靖国を参拝して、アメリカに国の財産を流出させた挙句に相手にもされない、という状況を招いているのは自分なのです。
「佐村河内守だけが悪いのか?」
(http://webronza.asahi.com/culture/2014021000005.html)
の表題の消費者だけに責任を押し付けたような文章は論外として、メディアへの視点があってより良心的な「偽りの物語、感動生む装置に 佐村河内氏問題への自戒」
(http://www.asahi.com/articles/ASG2971RNG29UCVL00Y.html)
にも、わかっていて隠していた・煽っていたメディアがあるのではないかという視点はありません。
今になって各週刊誌は「見破っていた」と題する手前味噌記事を書いていますが、だったら告発すればよかったのではないか。見破っていて隠していたのならそれは隠蔽というべきなのではないでしょうか。中にはかすかにきづいていたぐらいで隠蔽とは言えないものもあるのかもしれませんが、いくつかの社には隠蔽というべきものがあったでしょう。
そのようなものを反省もしくは、批判する報道をしてから、メディアを舞台としたこの問題に関する論壇が初めて成り立つのではないでしょうか。
他の軽い障碍くらいだったら、中身で聞けばよいのになぁ、とも思うのですが、これは煽り(嘘)が壮絶すぎて、寄付のつもりで音楽を聴いていた人を責める気にはなりません。それでも問題が無いわけではありませんが、むしろ供給側・評論家・メディアといった所が試された事件だったように思います。
「左派も、金持ちになれば右派に転向:研究結果」(http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/12/uk-lottery-study_n_4771788.html)は興味深い研究。テレビのコメンテーターでも、何人かこういうタイプの人の顔が浮かぶのではないですかね?
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