8月29日のnスタではリニアモーターカーの特集をしていましたけど、インフラの危機が叫ばれ、人口が減少していくとも言われている中で、本当に必要なものなのか問うことは必要でしょう。
「釈迦みて」の新刊が発売されましたけど、最近「お釈迦様もみてる」はやや積読状態。今回もとりあえず少し読んでみようと思ったのですが、冒頭の「男が、男に、手作りチョコレート?」という文章を読んで、濃厚な世界に耐え切れず、一休み。う、、、潤いが欲しい・・・・。。。。
「河野太郎 脱「脱原発のセクト化」」(http://blogos.com/article/69078/)という文章が話題になっていますけど、実際にこんな感じになっているんですかね。
こういうところに過敏になるのは、意見をぶつけ合うことを、勢力的な対立と見て取っているからだと思います。脱原発派同士でも、忌憚のない意見をぶつけ合った上でのチームワークでなければ本当の所では機能しないと思います。
またお互いの間での意見の交換は活力になるでしょう。
本当の脱原発派なら、細かいところで違っても、この部分に関しては同意できるはず。
そういう部分では私はネットの議論などを観て、むしろ楽観しています。議員などにしか伝ってこない勢力抗争などがあるとしたら話は別ですが。
しかし河野太郎さんにしても、私は自民党の過去についてしっかり振り返らないようでは信頼できません。
中曽根が悪いとか正力が悪いとかといっていては~というようなことをいっている限り、論外と言えます。政治家の姿勢としてあってはなりませんし、日本の歴史としても総括でそれでよいわけがないではありませんか。
しかも原子力ムラと自民党の金銭的なつながりは現在進行形であって、それを自浄しようという姿勢は無くてはならないものでしょう。そこら辺の活動は詳しくは知りませんが。
せいぜい自民党内部で、自民党にも脱原発派がいるんだよ、といった対外的な宣伝に役立つ程度の役割を果たすのではないですか、としか言えません。
TPPへの論拠無き賛成も看過できません。
ただ私は、安倍が立候補している地区で対立候補として河野太郎さんが出たとしたら、河野さんに入れます。それくらいの緩いつながりのほうが脱原発の動きとして健全なのではないでしょうか。
やはり父親に生体肝移植をしたときに、大げさに言えば死を覚悟するようなことがあったのか。一度命の危機を感じたことがある人間が持つ特有の強さというか、自民党内部の人間の中で比較的に言えばそのようなものを感じさせるのは事実ではないですかね。
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