前にも取り上げましたが「2013/07/20 安倍総理への質問ボード没収事件の被害当事者・佐々木るりさんご本人への、岩上安身による直撃インタビュー」(http://iwj.co.jp/wj/open/archives/92370)。これは本当に日本の民主主義の根幹に関わるといえることなのに、全く報道されません。拝金主義ですべてが腐っているといえます。報道しないテレビ局には、恥知らず、と百回叫びたいと思います。
「(スポーツTOPICS)部活動指導指針 体罰、地下に潜る懸念 抵触避け、陰湿化も」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130630-00000003-asahik-spo)は対処療法の典型的な状態でしょう。
やはり子供の心身から余裕が失われている、そしてそういう人が大人になると指導者になっている、という循環が原因であると思います。
体罰は日露戦争以後にはじまったたものである、ということが知られており、それ以前においてはむしろ体罰を振るわないことにおいて圧倒的に先進国であったことが知られています。
またいじめについても、中村元さんは戦前にはいじめはなかった、といっており、私は江戸時代について調べていても、聞かないんですよね。根本的なレヴェルにおいてこの二つは同じ問題として扱うのが適当です。
体罰・いじめの根絶には昔日の精神風土が参考になる、いや、むしろ日本人としては参考にしなければならないでしょう。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53327790.html)
やっぱり江戸時代・戦前の子供はたっぷり遊んでいて、心身に余裕があったんだと思うんですよね。
それでは子供のころに余裕があると国力が落ちてしまうのか、というとそうではありません。日本は科学の基礎研究において、資金がない戦前には先進国であったのに、資金が潤沢にある戦後は後れを取っており、皮肉なことだと嘆かれています。こういった差は研究員の子供時代からの心身の余裕・素養が、研究員になった後の可能性の広がりになっているのだと思います。
産業的にも明治期や戦後まもなくの推進力・革新力は望むべくもないでしょう。それは教育に根本的な問題があるといえます。
「(池上彰の新聞ななめ読み)サミットの日米首脳会談見送り 何のために同行したの?」(http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201306270566.html)はいくらかぶりに表現の話ではなく記事の内容に触れていますが、やはり内輪的な些末といえば些末な内容。
こういう時期ですが、tppや原発問題(の本質)には触れない、というルールでもあるんですかね?
池上さんの番組では「アベノミクス」について解説していて、年金が利回りでたくさん利益が出た、ということを言っていましたが、今までの自民党政権で散在無駄遣いをしてきたことに触れなければバランスが取れません。ゲストはみんな納得したかのように首を振って相槌を打っていましたが、良純だけは振りませんでした。政治の内実がわかっているのでしょう。
薬のネット販売についても言っていましたけど、これは安全基準が疑問視されていることに触れるべきだと思うんですよね。
安部政権の国土強靭化の高速道路建設に関しては、政権の言い分をなぞり、必要な線をつなぐミッシングリングと解説。飛び地で変なところに造られていることに関しては、このように作ると繋げろという声が出てくる、と言っていましたけど、造っちゃったんだから残りも造らせろ、という政治側の強硬手段に使われるくらいで、住民から残りを造れという要望は来ないのではないかと思うんですよね。
「ミッシングリング」という言い方についてはあまり詳しくなかったんですけど、今調べると要するにバブル時代の計画をそのまま持ってきたみたいですね。そのことについては言いませんでしたし、セットで普通話題にする保守点検の話もしていませんでした。
このまえTPPの解説の、間違え解説を書きましたけど、ほかにも郵政についてですとか、ぐぐってみると、この通り言ったのならおかしいというようなのが出てくるんですよね。
すこし、高尚気味な話をしますと、広く浅くを目指すと広く浅く書ける人間にはならないと思うんですよね。
専門家だけが持つ、その分野を自家薬籠中にした人が持つ、切り取り方というか文章のぬめりのようなものが書物の世界にはあって、優れた概説書にもそのようなものはあるのですが、池上さんの文章や解説からはそのようなものを感じないんですよね。
私の読書の楽しみの中でそういった感覚は大きなものを占めていて、またそれは優れた書物に共通する核のようなものだと思うのですが、それが感じられないんですよね。
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