5月9日の朝日新聞では「育休三年に辛口コメント ツイッターで意見募集」との記事があり「そもそも女性を採用しなくなるのでは」などの意見が寄せられたとのことで、当たり前のことです。テレビは例によって記者クラブや電波利権の影響があり、政府が報道してもらいたいように報道していると思います。製作する記者の人の中の特に女性スタッフには、違和感を感じて率直な感想を番組に反映させてもらいたいところ。
赤ちゃん抱っこし放題ですよ、と首相が言った時に、お前が抱けよ、といった人も多かったのではないでしょうか。
「嗚呼、不毛!川口氏の解任劇にしらける」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130509-00024839/)は内容を精査する気にもならない下らないことで、原発の問題の万分の一にも満たない問題です。あちらで責任を問う動きがまったく無いのにこのようなことで騒いでいるのには怒りを禁じ得ません。
iPSの誤報騒動の下らなさと通じる所がありますよね。こういう安全で下らないことになると張り切ってしまう人達がいるのでしょう。
「復興予算1.2兆円、基金化し流用 被災地外にも」
(http://www.asahi.com/national/update/0509/TKY201305080686.html)
は、怒りというものでは表現しきれません。繰り返されるのは誰も責任を取らないからです。失敗学の人は一体どう考えているのでしょうか。
(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/51861094.html)
川口委員長の話とは比較にならない重要な責任問題です。
報ステでもチェック機能の不備について話していましたけど、責任を取るべきだということはいいませんでした。やはり駄目だということを明確にしなければ止らないと思います。
責任責任とネットなどではみんなでいうのですが、そういったものをとる人が出る気配はなく、イタリアのこの前の裁判などと比べても、結局司法の原子力ムラ化が非常に大きいのだな、と感じます。
5月10日のモーニングバードでは慶応大学の教授が基金の中身を点検するべきだ、といっていましたけど、もっと根本的にいえば私は地元の自治体に自由に使えるお金を増やせばこういう無駄遣いをしなくなると思います。
利権化して機能不全に陥った中央集権の惨状がこういったところにも表れています。
前回も含めてこのニュース中でおかしいのは「個人」が登場しないことで、無駄使いをした人の固有名詞を明らかにしないと、報道とはいえません。
あわせて、監視しないとこういう所に使ってしまう個人個人の資質はどうなのか、という所に注目しなければ、理由の多くの部分を外してしまうということになるでしょう。
飯田泰之さんは、省庁の垣根を超えた取り組みが必要だ、と言っていましたけど、定型句の紋切り言葉であって、上のようなことと比較すると本質的とはいえないでしょう。
安倍の経済政策を強く推奨する氏は、その危険性について語る語らない、ということでスタッフといざこざがあったとも言われていますけど、推進派の人でも危険性は多くは承知しているはずで、これを語らないのはバランスを失しています。
この人は観ていれば分かると思うんですけど、硬くて表情の変化が無い人なんですよね。私としてはお勧めできない人である、というのが正直な感想です。
続いてのコーナーでは太陽光の固定価格買取制度は賭けである、として、推奨する内容ながら、学習効果による低廉化には触れません。発送電分離の必要性にも両脇のお二人の素人ががほのめかすことを語っているのにうなずきつつも本人は喋りませんでした。
5月9日の報ステでは地震の予兆の研究についてやっていましたけど、特集の紹介の通りなら1、2時間前に前兆をかなりの精度で捉えることができそうな感じなのですが、付いている予算は地震予知の予算中100億の1900万しか回ってきておらず、国は地震の予兆の研究はしないと明言しているとのこと。
これには恐らく番組中では触れられていない、地震予知の団体の中で既得権化している極めて無駄なお金の使われ方でがんじがらめになっている構造があるのだと思います。コメンテーターの恵村順一郎論説委員は、予算が無い中で工夫している云々といったぬるい感想をいう前に、こういったことを指摘するべきですし、すべての局を含めて、ニュース自体もこういったことに迫っていく特集を組むべきです。
またもう一つ感じるのは「予兆」を研究するというのはどういうことかということで、予兆が解ったとして、国民にアナウンスをすると、混乱が起きる恐れがあります。さらに予兆が外れたということになれば、無用な混乱を招いたということになる可能性もあります。ただそれで助かる人が出る可能性も相当あるでしょう。
結局恐らく国はspeediの時と同じで、人々のいのちよりも、混乱が起きる可能性を排除する事を優先しているのだと思います。
それは、痛みということが感じられない身体を持った人達なのだと思います。
最近たまむすびで町山さんの声を聴くので、1年ぶり位に町山さんのツイッターを覗いてみたら「NHKの一連の震災・原発検証番組をアメリカでずっと観ていますが、どれも政府東電マスコミ自身すべてに対して容赦なく問題点をえぐった素晴らしい仕事ばかりです。自らの当時の報道にすら厳しい視点で作られています。」と書かれていて、堀潤さんに疑問を呈していたので、相変わらずだなぁ、と思いました。
とりあえずは大手メディアの良し悪しはともかくとして、町山さんの大手メディア擁護には具体的な話が無いのが説得力が無いと思います。
例えば堀潤さんはNHKがspeediを公開しなかったことを良くなかったこととしてあげていますが、ことことや、このことに(私の知る限り)触れないNHKの姿勢はどう思うのでしょうか。(同じようなことを思われている方はいらっしゃるみたいですね)
橋本愛さんのスキャンダルはニュースキャスターなどで取り上げていしたけど、本当に48Gなどじゃないとやるんだな、と逆にびっくりするくらい。
しばらく齋藤孝さんの代役で出ていた浅田彰という人はそちらの分野ではこの人の本を読んでいないともぐりといわれるくらいだそうですが、表情なども変化もなくあんまり良い感じではなかったと思います。
私もなんかこの人の本は読もうという気にならないという気にすらならないんですよね。
サンデーモーニングでは歴史認識についてぼやっと触れていて、みんな歯にものが挟まったような言い方をしていましたけど、大宅さんとか安倍と同じようなものなのでしょうから、はっきり言えば良いと思うんですよね。
戦後に戦前の軍部などの関係者がいまだに権力を持つということがありましたが、そういったものをおかしいのではないか、としっかり振り返ることが必要です。
安倍や自民党を見ているとそういった流れを引きずっているのが今日のような認識につながっているのは明らかだといえるでしょう。
あとはやはり天皇が退位もせずに何の総括もしていないというのでは、戦争についてしっかり区切りを付けたとはいえません。最低京都に帰って、文化的な方向に専心してもらう、といったことが必要です。
番組自体も全体的にぼやっとふれただけで、個人個人の責任にまでまったく踏み込みません。それが今日までの国全体で総括や反省が共有されない大きな原因になっているのです。
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