4月25日の玉川さんのそもそも総研では、公約として主権回復の日を祝う事を記したときには本当に沖縄の事を忘れていて非難の声が上がって気が付いたが後戻りができなくなっているのではないかという話。たしか一水会の人が民主党が公約を破って負けたから自民党は公約を守ろうとしたんじゃないか。ということをいっていましたけど、TPPなど、すでに公約を破ってばっかりで、脳裏にもかすめない原因だと思います。
4月25日の報ステでは、沖縄は反発……とのことですけど、なにかニュアンスが伝わりきれていないといいますか、日本国内で彼我を二つに分けているように思うのです。
反発してくれているうちが花といいますか。
「「消費税還元セール禁止」で対立 政府と小売り」(http://www.nikkei.com/article/DGXNASDC1200F_S3A410C1EA2000/)なんていうあほな話もありましたけど、これはもう日本伝統の判じ絵で、贅肉たぷたぷの人に火をしょわせれば良いと思います。国ににらまれるので、現代ではそれすらできないのでしょうけど。
高木美保さんはグリーンコンシューマーという事を意識する機会云々ということをいっていましたけど、国の意図はまったくそのようなものではないでしょう。この人はしっかり言わない人ですよね。
「首相「侵略の定義定まっていない」 村山談話に絡み答弁」(http://www.asahi.com/politics/update/0423/TKY201304230074.html)
これを読んで思い出したのが、かつて歴史修正主義者たちが「虐殺の定義」についてあれこれいっていたことで、この人達は定義といえばなんでもごまかせると思っているのではないでしょうか。太田光の揚げ足取りのようです。
一番相手をするだけで時間の無駄になるタイプですが、それが国のトップであるという……。
大切なのは事実であり、それに対する「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」です。
靖国では各国に突っつかれていますけど、A級戦犯のような○ズ人間のために外交関係を損ない、特にアジア地域で進んで不利な状況を招くなど正気の沙汰ではありません。千歩譲って、戦犯を祖先に持っていたり、党の重要人物として持っていた自民党がそういうような事をしたくなる気持ちは、あるのだろうなとは思うのですが、そういう繋がりもなく、むしろ祖先が苦境を強いられた人が多い、それを支持する一般市民はまさにとち狂っていると思います。
TBSの報道特集では最終処分場の話をやっていましたけど、路上で勝俣会長に直撃したのははじめてみましたね。
東電がX氏という人間に最終処分場の選定を依頼していて、東電不動産なる子会社が氏の会社を通して仕事を発注する形で1000万円ほど渡っていた模様。
東電不動産も東電も知らないといっていましたが、そのようなわけがなく、さらには国有化されているのであって、国の責任です。税金を不当に流す行為の責任は極めて重いです。
このX氏が歩き方を見ただけで一目でそっち系の人だと分かるふんぞり返ったよたりぐあいで、北の湖もびっくり。
こういう人間にさらっと依頼できてしまう、組織・人間のありかたが、滅茶苦茶です。
東電は人形峠の秘密ファイルの特集をみても相当際どい手を使っていましたが、恐らく今回だけの突出した事例ではないのではないのではないか、と感じさせます。
これは民主党の政権下での話であり、当事者の細野も仙石もコメントを拒否したようですけど、まさに説明責任を果していません。国民を欺いてノーコメンでいて平気でいられる人達なのでしょうか。(何も感じない)
こういうのが、こういうことがありました、で終わってしまうのはいかにも不健全だと思います。テレビはニュースをフォローしていく場がとても少ないと思うのですが、記者クラブなど政府と対立して行くことが馴染まない仕組みに加えて、視聴率の影響でしょうか。
これだけをみると面白い特集のようにも見えるのですが、田中稔さんがツイッターで、TBSは大げさに取り上げていたけれどもこのX氏は小物でさらに重要な人物がいる、と書いていますが、真偽や具体的なことは不明。TBSは特集によっては隨分バイアスがかかかっているものもありますから、そういうこともあるのかなと思わせます。
X氏と名前を伏せる意味も無いと思います。
サンデーモーニングの「風を読む」では参院選を踏まえて憲法改正の問題を取り上げていましたけど、生活に即座に影響が無いという点で、争点として他人事として話せてしまう傾向があるもので、郵政選挙の時の様に他の問題。今回は、原発やTPPなど他の争点を隠す隠れ蓑として引き出されているものでしょう。
たとえば、東北電力や北海道電力の再エネへの接続拒否を取り上げず、発送電分離や総括原価方式はどうなったのでしょうか。汚染水はあのような状況であり、核のゴミの行き場はなく、活断層の状況は今も変わっていません。そういったことが改憲の影に隠れてしまっているような現在の大手メディアの状況は、上のような文脈の中にいるといえます。
萱野稔人さんは、憲法改正に気を取られて経済を忘れてはいけない、といっており、関口宏さんは〆に「経済に気を取られていると色々なことが起こっている」といっていましたけど、今回は「色々」の中でも憲法を取り上げましたが、この二つの中で堂堂廻りをさせるといいますか、バブルを煽る政策と対になっているものです。また経済と原発を切り離して考えているとしたらとても疑問です。
今回の96条の改正は9条の改正の入り口であると言われていますが、憲法改正ということについては、戦後の平和国家として積み重ねが非常に痛んでしまう点が見逃せません。
またアメリカが日本に海外派兵の負担の肩代わりをさせようとして、改正を迫っている、といわれている点は見逃せません。実際にアメリカがそのような事を望んでいるというのは事実でしょう。改正案の条文をみてもそのことが踏まえられているのが分かると思います。
つまりは(特集で言っていた様な)戦後レジームからの脱却どころが、そのレジームにどこまでも乗っていって国を沈めてしまう、というのが改正の気分の本質です。
「元禄期 軽口本集」に刀を鞘から抜かないことで食べている、という侍の話がありますが、刀には鞘に納まっていることで、抜き身にはない特有の価値を持つわけです。その価値というのは、戦前・戦中にあのような戦争を引き起こした国として、非常に大切なものだと思います。そしてこれは外交上非常に実戦的な価値でもあります。
そもそも強い人間ほど刀は鞘にしまっておくものなのです。
主権回復の日ではおおさわゆうりさんのラジオで鳥越俊太郎さんがいっていましたけど、天皇陛下万歳をしたということ。
これはテレビでは流しませんけれども、日本がどこに行こうとしているのかという時に重要な映像であって、やはり流すべきだと思います。しかし各社横並びで流していないと思うのですが、どうなっているのでしょう?ぐぐると報道されたともあるのですが、私は観ておらず、各社報道がかなり少ないのは事実ではないでしょうか。
ヘイトデモ、も流すかどうかの決断が難しいのは分かるんのですが、やはり事実として報道しておいた方が良い気がします。このことについてに話題が及ぶと、日本人は差別的なことはしない、などという話を今でも聞くことがあるのです。
きたない所は流さない。なので歯止めが利かなくなって、気がついたらとんでもないところにいたということが起きうるのだと思います。これは次の世代に対しての責任放棄でもあるとおもいます。
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