併設のテーマ展示では「弥勒菩薩立像」が堂々たる良品でインドの至宝でしょう。北斉時代の「如来立像」など極めて大きく、どのように中国から運んできたのか謎なくらいです。「十一面観音立像龕」は綺麗で繊細な彫で差し出す花が美しいです。「如来坐像頭部」などをみていますと、螺髮の話は仏像の彫りやすさの後に仏説がくっついてきたのだなと納得。
飛鳥時代の「観音菩薩立像」はこの時期特有の流水のような佇まいが美しく「毘沙門天立像」は目の怒り方がが人間ではない迫力で野性味満点です。
青銅器では「双羊尊」が珍しく、大英博物館に同じものが一つあるだけなのだそうです。アンデスの酒器に似たようなのがありますよね。
腐食が少ないものがたまにあるのが特徴のコレクションで「?猊十二支文鏡」などはぴかぴかで皆さん見入っていました。しかし古代の美術品は東西問わず細かいですねぇ~。
お経では「華厳経巻第五十二(二月堂焼経)」が天地が程よく焼けていて良い感じ。「広弘明集巻第十五(中尊寺経)」は豪壮な平泉文化を感じさせます。「華厳経巻第三十七(泉福寺経)」も程よく焼けていて、旧約の華厳教との解説ですが、旧訳の誤字でしょうか。
茶道具では古田織部作の「茶杓」が真っ直ぐで綺麗でやはり利休とは異質です。
周囲ではへうげものの噂をしている人がいましたが、この作品はどうなのでしょうか。まったく観ていないのでなんともいえないのですが、断片的に観た感じでは、モノマニアックな欲望に現代的な文脈を見つけてそこを拡大しているもののように思うのですが、もっと正面から普通に描いた方が魅力的のように思います。
日本文化を正面から見詰めるのではなく近代的な文脈に適合する部分だけを切り取ってしまっているのでは無いでしょうか。
「瓢形水指 銘 呂洞賓」は古伊賀で、奇麗事ではないその姿に思わず微笑ましくなります。
「阿蘭陀莨葉文水指」はオランダの焼き物に日本の蓋をつけているのですが、海外で日本の焼き物に蓋が付けられた作品は良くみるので、逆ヴァージョンは新鮮です。
「黒楽茶碗 銘 雪峰」は黒い釉薬に定評がある楽道入が作ったもので、是真と共通するその美意識がすばらしいです。
「宝飾時計」は豪華な西洋時計で乾隆帝が集めていて日本では清朝時計と呼ばれていたとのこと。
乾隆帝など清朝の歴代皇帝は西洋趣味が強い人もいて「西太后とフランス帰りの通訳」(渡辺 みどり (著))には西洋文化に驚く西太后が戯画的に描かれていましたけど、あれは流石に無いですよね。「西太后―大清帝国最後の光芒」( (中公新書) 加藤 徹 (著))にはこれの種本となった本には信用できない記述も多いということが書かれていましたけど、この方が面白いと思って著者が創作した部分も多いのでしょう。
日本にもこのように東西の出会いを幕末などで劇的に書く小説が多いですけど、海舟がアメリカに行って大して驚かなかったように、以前から影響は入ってきていたのであって、前回書いたように、明治政府が作った幕府外交の無能性を強調していて問題なものが多いですよね。
この時計は豪勢なんですけど、あえて言うなら貴族的なだけで是真のような精神がありません。頂上に彫られている天使がかすかにそういったものを担っていますが、頼りなく、現代に向けて更にこういったものはフェードアウトしていっているのではないでしょうか。
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