根津美術館 特別展「ZESHIN ―柴田是真の漆工・漆絵・絵画―」後期その6

#その他芸術、アート

庄司紗矢香さんが行って来た、というのもあって行って参りました。庄司さんはこれと山種に行ったみたいですけど、どちらも近代と近世以前がバランスよく揃っている展覧会ですが、日本美術は江戸時代を中心として近世以前が良いので、そちらのほうも機会があったらよくみていただきたいな、と思うところ。

根津美術館に行くのは初めて。交通の便が必ずしも良くないのと、太田記念美術館を優先してしまうというのもあります。東京国立博物館のパスポートを取ってしまうと平常展などが同系統で質量が圧倒的、というのもあります。

表参道を直進して行くといきなり笹に覆われた巨大な和風の空間が出現して、驚きです。施設もはいそで先進的。隈研吾風だなと思ったらまさに本人の建築でした。

庭も広大で高低差があり鬱蒼としてなかなか全体が見渡せないのが特徴。獣道を進むようで風情があって楽しいです。私が行った日は紅葉がほんの僅かに残っている頃で、それも趣があります。
ところどころに茶室があり、仏像が点在しているのが好印象。「鉄造菩薩坐像」というのがあって、よく朽ちずに今日まで残られました。雨ざらしですけど、大丈夫なんですかね。

しかし室外機は是真のデザインのように和風な周囲に溶け込ませることはできないのですかね。

展覧会の室内は暗く、今回の展示はそこまで照明を絞らなくても良さそうですが、日本美術にはそもそも抑え目の自然光が一番合うのかも知れません。展示ガラスに頭をぶつけている人を何回もみたのも他の展覧会ではないことで、恐らく暗くてわからないのでしょう。

話し声はかなり大きかったのですが、出光のように注意が入ることはなく、お客さんも心得ているのでしょう。同じく茶人風味の創業者が作った美術館として対照的なところです。

カタログによると是真の父親は袋物煙草具商に婿入りしたらしく、彫り物をして浮世絵も描いていたとのこと。是真は工芸家として二代目とも言えるでしょう。

この展覧会の特徴はとにかく色々なものがあることで、重箱・書棚・文箱・盆・蓋・印籠・根付・板戸・鍔・残菜提・煙草筒・香合・香箱・蒔絵額・茶入・棗・櫛・簪・屏風・漆絵などなど驚異的で、非常に貪欲に何でも吸収する人だったのだそう。絵は四条派と円山派を学んでいて、長崎に遊学に行こうとして讃岐で発熱して引き返したのだそうですが、南蘋画(変換できない、、、、といいますか、そもそも是真が単語として変換できませんね。)を習得しに行こうとしたのではないかということ。

江戸の道具のすべてを磨き上げていたような存在だったのだな、というのが全体を観た感想。西洋で漆器のことをジャパンといいますが、それは是真の仕事に対する賛辞という面が大きかったとのこと。

ジャポニズム全盛の時に生きていたので、河鍋暁斎と並んで欧米で生前から評価が非常に高かったのだそうですが、日本では二人とも戦後しばらくまで忘れ去られていったとのこと。それは二人が市井に根ざしていたことに関係があるだろうとのことで、たとえば万博にはあれほど評価が高かった浮世絵は出品されていないんですよね。

当時の日本は大日本帝国の美術として歴史を編纂していたらしく、二人の作品はその中から漏れてしまったとのこと。こういうことを考えますと、恐らく岡倉天心あたりの影響が強いんだと思いますけど、恣意的な罪深さを感じます。天心は性格に偏りがみられたともいいますけど、やはり美意識や、業績を振りかえってみても、私は偏ったものを感じるんですよね。もちろん当時の寺社仏閣の保存に対する功績は計り知れませんが。

暁斎は是真を尊敬していたのだそうですが、結局二人の交流はなかったようで、大きな根は同じでも、それぞれの工芸と浮世絵という根は、時代に違う受け入れられ方をしたのでしょう。反逆児の暁斎(といいますか、普通の江戸っ子の精神だったのかもしれません)と帝室技芸員的な立場の是真では、立場的にも会い難かったでしょう。

是真の独創には漆絵という分野があって、油絵に触発されて似たような重厚感を漆で出したのこと。最近真似している人をあまりみないのは、金銭的な面もあるでしょうか。
「漆絵花瓶梅図」は木枠を漆絵で描いたトリックアートらしく、いろいろな事をやります。

カタログによると、幕末の志士たちは大体是真より2周りくらい年下なのだそう。
国芳が是真に弟子入りを願った、というエピソードがあり、そのような人が明治まで活躍しているというのは違和感を禁じ得ません。武術家にしても歌舞伎役者にしても、維新直前に死んでいる大家が多いんですよね。
しかし国芳は貪欲で、絵の真実以外のことは何も考えていない人だったことがわかります。そしてそれは、江戸っ子の美意識でもあったのでしょうね。

幕末から明治に漆芸を宝玉にまで高めた作家だなという感じで、最初に置かれていた「扇面蒔絵書棚」は素晴らしい完成度。構築的で、良い意味で遊びが無い作風です。イカが発光する様な螺鈿が神秘的な美しさで、色々な作品で幻想的な趣を湛えていました。
同型の「扇面蒔絵書棚」は明治20年に新潟の豪農に依頼されたものらしく、江戸期に蓄えられた地方の農村の経済力を感じます。

本阿弥光悦などと較べると古典から取材したものは少なく、尾形光琳のものを写した「業平蒔絵硯箱」くらい。本格的な人ですけど、そういえば文人肌だといったような話はあまり聞かない人ですね。

その代わり市井の習俗に取材したものが多く「五節句蒔絵手箱」は七草。「稲穂蒔絵菓子器」は稲穂をあしらった品よく爽やかな作品。「養蚕漆絵重箱」は養蚕を描いていて、当時盛んだったのでしょう。網野善彦さんをはじめとして最近の学者で、今までの史学では養蚕が見逃されている、と指摘する人は多いですけど、実際かなりだったのでしょう。

かといって雅趣が無いわけではなく「籠秋草蒔絵菓子盆」は乾山が描いていたような籠で、茶の精神を感じさせます。微妙に中間的な豊かな領域にいる人だと思います。

「写生帳」のスケッチは江戸時代らしく精密。花弁の様子など細かく捉えられています。ちょうど貝が描かれているページが出ていてその重層的な構造が漆をおもわせます。

「瀬戸写茶入」は茶入れの質感を漆で出したアクロバティックなもの。漆というのは自然に馴染んだ人為の最高峰だな、といったような気持ちにもなります。
「変塗絵替丼蓋」は木目と漆の協調が美しく、木目の芸術というのは漆芸の一側面です。

「蕗漆絵重箱」は朱味のある輝きの中に幽かに蕗が浮かんでいて、素晴らしく美しく「蜻蛉蒔絵鍔」も蜻蛉が半分しか描かれていませんでしたけど、バランスが良いです。こういうのは江戸期全体の美意識でもあります。
明治の七宝とか細かくてすごいですけど、こういう連綿と続いてきた美意識が非常に後退していると思うんですよね。

「蓮鴨蒔絵額」も美しい波紋表現で、こういった微細なニュアンスを出せた最後の世代といって良いでしょう。

「折釘蒔絵煙管筒」は磨き抜かれた美しい日用品で、往時の生活全般の美的レヴェルの高さをしのばせます。

「大橘蒔絵菓子器」は絶美の工芸品で品が良く「雪中佐野蒔絵額」は北条時頼の宿を求めた逸話を描いたもの。「葛蒔絵板戸」は植物を描いた室内装飾で、若冲画に良くある感じですが、彼はそもそも欄間が出発点でした。「枇杷烏蒔絵額」は漆の濃淡で描ききる烏が見事で「鳥鷺蒔絵菓子器」は抽象的にしつらわれた烏と鷺の飛びまがう様に落ち着いた感動があります。「鉋屑漆絵菓子器」は引っかき傷のようにざらざらした質感が手に馴染みそうな感じで「鷺草素彫目録盆」は素彫りだけの珍しい作品とのこと。「紅葉狩蒔絵板戸」は精緻さのみならず自然な雅趣がすばらしく「月薄鈴虫蒔絵額」はウィーン万博に出品された、しびれる月光表現の作品で、志野焼が浮いているようです。

そもそも社会では最初に絵で認められたらしく「高砂図屏風」は木の幹の描写で勢いを出し逆巻く波も極めて動的。ねばねばしていて漆のような波です。蕭白すら思わせる画風ですがどこか落ち着いていて、動中に静があるといえましょう。老夫婦の雰囲気も良いです。

「正月飾図」は表具まで使って描かれていて、これは其一も良く使った手法です。

「葛城図」は下半分は紙の色のままで想像させるさせる作品で、岩に流れを変えられた水が層のように表現されていて、やはり漆の質感。

「阿房宮図襖」は襖絵のみならず、周囲の漆や取っ手も是真の自作でしょう。他の展覧会とは自然にみるところも違ってきます。

漆を観ているとだんだん自分までどろどろしてきたような気分になり、とても落ち着いて心地良かったです。素晴らしい特集展示だったと思います。ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました