いや~、大分涼しくなってきましたねぇ。今横から鈴虫っぽい虫の鳴き声が聴こえるんですけれども、やっぱり、みなさん体調管理にはお気をつけください。
震災はやはり、どこまで事故の清算が進んでいるかが気になるところ。
事実関係が精確に掴めないのですが、菅直人、枝野さん、保安院や斑目原子力安全委員長、といった中で責任のある人、もしくは全員が責任を取らないと、同じ様なことがあった時に、また大本営発表が繰り返されると思います。
あとはメルトダウンの可能性を知りながら、追及しなかったメディアですね。
東電の責任も、検察が拝金主義でいる間は、どうしようもないんですかねぇ~。
行って参りました。
最近よくギリシャ趣味をくさしますけど、もちろんギリシャそのものが悪いというわけではなく、ギリシャ好きの人にあまり良い雰囲気の人がいないことを、不思議に思っていました。
このごろ「興亡の世界史」のシリーズをよく読みますけど、アマゾンの書評で、良く内容が平和すぎてシリーズのタイトルとそぐわない、というものをみかけます。
このシリーズを中心になって編纂されている福井憲彦さんは、著作の内容をみると、どうも日本人としての西洋史を確立したい、という気持ちが強い方のようなんですよね。
日本を代表する西洋史学者として、第三者的な、西洋に無い視点を提供したい、という考えをお持ちのようにお見受けします。
暴走気味ながらアジア・モンゴルの重要性を掲げて突っ走る杉山正明さんが編集委員に入っているのも、その表れではないかと思います。
そういう文脈から考えると、この「興亡」という言葉には、ひとびとの抗争という意味よりも、近代から現在まで盛りを迎えている西洋文明も、長い歴史の中の興亡の一コマに過ぎない、と西洋・近代を相対化する視点が込められているようにおもいます。
そんな同シリーズで一貫して疑問を呈されている言葉に「ヘレニズム」があります。
ヘレニズムとはそもそもドイツの歴史学者ドロイセンが1836年に言い出したらしく、その用法は最初はかなり限定的だったようです。(モンゴル帝国と長いその後 (興亡の世界史) 杉山 正明 (著) 214ページ)
「ヨーロッパの成立はいわゆる中世以降(中略)ギリシアをもってヨーロッパの起源と考え、アレクサンドロスの東方遠征をヨーロッパがアジアを圧伏せしめた最初の事件とイメージするからである。いわゆる「ヘレニズム」なる現象も、その文脈で語られる。(中略)時代が、歴史の虚構を創作する典型のひとつである。」(同349ページ)というわけで、この言葉の虚構性を指摘しています。
また同シリーズの「アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史) 森谷 公俊 (著)」 でもこの言葉に触れられていて、「その背後には紛れもなく、ギリシア文化が最高で東方の文化は劣等なものと見る、差別的な価値観がある。日本で流通しているヘレニズムの概念もまた、このようなギリシア中心主義、それを受け継いだヨーロッパ中心の視点を深く内在させているのだ。」(同23ページ)とのこと。
またアレクサンドロス大王の東征も、19世紀のはじめのころに「彼のおかげで、成熟した高度な文化が東洋に広がり、占領下のアジアはいわば、ギリシア的国土になった」(同39ページ)とヘーゲルが評価していたらしく、そのような感じで植民地支配の正統化の論理として使われていたようです。
つまりどういうことかというと、日本においてこのような西洋のギリシア観を受け入れるということは、自己植民地主義的にならざるを得ないのではないかということです。
日本にいながら豊穣な江戸文化を嫌う、三島由紀夫が典型でしょう。
そして侵略の論理なのですから、彼らが右翼なのも肯ける所です。
東洋の王道を捨てて、列強の真似をして植民地を広げていく思想は、こういったところに源流があるのではないかと思います。
「われわれ日本人が欧米を模範としてきたとき、二度も挫折したことになる」(地中海世界とローマ帝国 (興亡の世界史) 本村 凌二 (著) 16ページ)とありますが、戦後の経済も結局は同じことだったといえるでしょう。
更にこういった視点は国内に注がれるわけで、在来の文化を駆逐してしまったのではないか。西洋のように自国の文化を大事にしながら、発達することの出来なかった理由になっているのではないかと思います。
それが原子力村周辺にみられる、極端な、枯れきった人間の在り方を生み出してしまっているのではないかと思います。
それにしても、日本人でありながらこのような西洋の歪んだ正当化を受け入れられるということは、それ自体が歪んでいるといわざるを得ないのではないでしょうか。
こうしたゆがみが取り除かれた歴史を学ぶ、将来のギリシャ好きは、きっと東洋の文化も正当に評価する良い人に違いありません。
まとめますと、今問題になっている日本のシステムと、明治以来の自己植民地主義が深く関係しているのは確かだと思います。そしてそれはしばしば社会でギリシャという表象をとっている、ということではないかと思います。
最初に置かれた「ゼウス小像」は流石に精美で、威力を見せ付けています。伝ハンガリー出土なのだそうです。
「擬人化した葡萄の木とディオニュソス像」のディオニュソスはかなり中性的。
「ヘルメス小像」は翼のついたサンダルを履いていて、バック・トゥ・ザ・フューチャーの発想もここらへんから来ていますかね。
「鏡を持つエロス小像」の解説によると、ペルシャはエロティックに思われていたとの事。ペルシャの調度品がギリシャではステイタスになっていたらしく(56ページ)、そういった物質的な憧れと文化を乱れているようにみる気持ちが、そのように思わせたんですかね。
「英雄ヘラクレス」のコーナーでは、その物語が記された壷がずらっと。
ホメロスの叙事詩がギリシャでは重要ですが、日本でも心の綺麗な女性が詩を読むと、清涼感があって素晴らしいです。料理をしながら笑っていたりすると、その周囲はさながら神話の世界です。
さんま祭りに参加される様子も素晴らしかったです。
さんまといえば、りのさんのさんま御殿はとっても面白かったです!
お題もこの前のごきげんように続いて、りのさんに合わせたかのような回で、本当に事務所が強く押sみんなに大切にされているんだな、とほっこりしました。
とっても綺麗で悩ましげで爽やかで良かったんですけど、お話にのめりこむと前かがみにちっちゃくなって、早口になる所が気になりました。
難しいですけど、肩の力を抜いて、なるたけ自然体でお臨みください。
整体では、本番の前に肩を思いっきり上げて、ストーンと落とすと緊張しない、なんていわれているそうです。体質に合うかわかりませんけど、良かったら試してみてくださいね。
変わった雰囲気を漂わせながらも、さんまさんのように、メインになれるスケールの大きい芸人さんを目指して、精進してくださいね。
毎日忙しくて、おつかれさまです。
「黒像式アンフォラ」という名前の装飾的な作品群で、当初は祭祀用だと思われていたそうですが、研究によって日常的に使っていたことがわかったそうです。ここら辺は縄文土器に近いです。
ヘラクレスの物語は「肉体的な試練を乗り越えれば勝利という報酬を得ることが出来る」事を伝えているらしく、ここら辺にも近代・資本主義の文脈の匂いが致します。
これをみるとヘラクレスを目標にしていたというアレクサンドロスの「志の高い人間にとっては、いかなる艱難辛苦といえども、それが輝かしい大業の達成に導くかぎり、艱難辛苦それ自体に限界はないと私は考える。」(アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史) 森谷 公俊 (著) 345ページ)という言葉が良く理解できます。
分割いたします。
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