昨日の昼に何気無くテレビをつけたら、片山さんが出ていてビックリ。最後だったんですけど、英国王室の恋について語っていたんですかね?
イギリスのロイヤル・ウェディングがありましたけど、やはり注目は妻は夫に従う、という事を誓わなかったことでしょう。
これは同じことがナポレオン法典に書かれていて、かれが女性蔑視の価値観のもと「良妻賢母」を確立した人だといわれます(ナポレオンを創った女たち 安達正勝)。これが日清戦争後(歴史は眠らない 2010年10・11月 日本人の“健康”/ニッポン 母の肖像 92ページ)に日本に渡来して、江戸期に比べて女性の権利が決定的に低下し、欧米にワンテンポ遅れる形で男女同権を実現してきたのが今までの歴史と言えるでしょう。
この結婚からいえるのは、今世界はナポレオンに象徴される近代の遺産の負の部分から、脱却しようとしてるのではないかということです。この流れから日本だけが取り残されるのは、やはり情けない。
江戸期を尊重して過去の歴史と接続することで、むしろ一歩早く男女同権の世界を確立できるのではないかと思います。
また、原発から再生可能エネルギーへの転換の流れも、そういう枠で捉えて行くのが良いのではないかと思います。かつての自然の恵みを生かし尽くす思想を思い出すべきではないかと思います。
ただ、あんまり文明が~とか、科学が~とか、いってしまうと今回の震災は本質がぼけてしまって、それ以前の問題なんですね。ある面非常にレヴェルの低い話なんですが、そのレヴェルの低下にも、近代のマイナス面・軽視していた部分がてきめんに影響していると、、、。
確り清算したら、そういったところを煮詰めていって、率先して世界の流れに乗っていくのが良いのではないかと思います。
ちなみに、「ナポレオンを創った女たち」の日本に関する記述は、現代の江戸時代・女性の研究を参照して、書き直すべき部分が多いと思います。
一回行くと一枚券をくれる、ともいうので、行って参りました。
ただやはり会期によって出品作品が変わってくる展覧会で、一度行っただけでは全貌が掴めない憾みがあります。第一期間展示の「放屁合戦絵巻」はとくに生で観たかったかも知れません?!
「千鳥蒔絵香合」は非常に美しい蒔絵の小箱。描かれている蝶は、長寿の象徴であると共にはかなさの象徴なのだそうです。侑子さんっぽいですよね。
これはお歯黒の箱で、虫歯予防の効果もあったとか?
デザインも非常に幻想的な雰囲気を醸していて、文句なしに美意識の高さを感じさせます。
「織部四方高脚向付」はヨーロッパの杯を模したもので、こういうのが日本の骨董の一つの本流といえます。
また「世界の歴史13 – 東南アジアの伝統と発展」((中公文庫) 370ページ)には南蛮文化とは「インド=ポルトガル文化」であって、西欧文化ではないと書かれています。
そういわれれば、乾山の焼き物の洋物系の作品に、東南アジアの美意識を感じることもあるかもしれませんね?!
またこの本によると、「よく中国人は現地の社会にとけこむが、日本人は自分たちだけの社会を作って、遊離していたということをいう人がいる。しか資料に基づいてかれらの行動を分析してみると、当時の日本人、中国人の生活態度にはほとんど差がなく、両者の差は人数の多少だけであるように思われる。」(392ページ)
とのことで、一方で違うとする説を採る本の一つとしては「貝と羊の中国人」(の41ページあたり)がありますけど、前者が出している例が江戸初期であり、後者がこの項で出している例が明治以降であることが注目されるでしょう。明治以降は中央集権や国家神道によって国民としての意識が高まったのではないかと思います。
先ほど女性の話もしましたけど、江戸と明治の間にドラスティックな国民性の転換があって、日本を語る際にはそこに注意深く意識を置くということは、2~30年の間に論壇の基本的なリテラシーになるのではないかと思います。
またそれに関連した話ですけど、この本の流民の話は日本を静的に捉える方向に偏っているように思います。
「五節供蒔絵手箱」は桃の花や雛人形を避けて桃の節句を表した柴田是真の力作。表面的な決まり事を避けることで、内的な祝祭感が湧き出でます。
「薩摩切子 藍色被船形鉢」は清澄な美しさが比類ない薩摩切子の、菓子を入れる器。こういう茶器を使っていたんですね。
「白地紅被騎馬人物文花瓶」は珍しい中国ガラス工芸で、彫りこみきっちりしていて立体的。
たらしこみよろしく偶然のグラデーションを使った「薩摩切子 紅色被皿」と比べると、とりあえず文化的特性が一目瞭然です。
今回は「秋冬花鳥図屏風」を始めとした、土佐派の屏風に心打たれました。これも桜、楓の周りを鳥が飛んでいて、会話をしているような雰囲気。
最近のお絵かき掲示板なんかもみていても、こういう美意識が受け継がれて生きているな、という作品をちらほら見かけます。
対照的に狩野永納の「春夏花鳥図屏風」は勢い重視。やはり武家の雰囲気ですかね。
「邸内遊楽図屏風」は遊興三昧が良い感じの屏風。サウナっぽい風呂は混浴の様で、女性が接待する湯女の様な人だと書かれていましたけど、彼女達はむしろ寝ていて寛いでいる人もいるので、回りの男が三助っぽくもみえるのですが、どんなものなのでしょう(笑)江戸初期のもので、やはり正座はほぼしておらんですね。
「婦女遊楽図屏風」女性ばかりが遊んでいる屏風で、現代に連なる日本人の趣味を感じさせます。至るところで女性同士で抱き合っているんですけど、百合ですかね?(期待)
「正月風俗図屏風」では箏を膝の上に乗っけて弾いていましたね。ぐぐったら古代琴というのにそういうのがあるみたいです。
屏風もどれも中身も状態もべりべりぐっどですね。
鎌倉時代の「壷」は土の味がそのまま良く出ていて、野性味も素晴らしい。伊賀とか信楽とかそういう系統は、私は結構好きですね。
ガレの作品のランプ「ひとよ茸」は自然の摂理、輪廻の世界を表しているらしく、北斎漫画の直接の影響とか、ジャポニズムの世界が炸裂。
詩が書かれた「物言うガラス」シリーズは乾山の様でもあります。
最近フランスの現代のジャポニズムを取材した特集を雑誌で読んだんですが、みんな形を真似しているよりは本質を取り入れている(と主張している)人が多いんですよね。そういうのの元祖・巨匠がガレだといえるでしょう。
細工が細かいので地震の心配が頭をよぎったのですが、ちゃんと免震装置が。この装置の威力をこの前テレビでやっていたのですが、かなり凄いみたいですね。
当館の宝の乾山の「白泥染付金彩芒文蓋物」は、錯綜した模様が律動的で典雅です。
「色絵桜楓文透鉢」(仁阿弥道八(二代高橋道八))は乾山の写しですが、確か魯山人も同じようなものを写していましたね。桜と楓が壮麗で、シンプルな画題に原日本的なものすら薫ります。
「春秋花鳥図屏風」(土佐光起)は葉が赤い桜に白が映える作品で、「四季草花図屏風」(伊年印)と共に状態も素晴らしく、華やかな空間を演出する、至宝といえましょう。
このまえ境地主義の話をしましたけど、とある神主が、何を言ったかより誰が言ったかの方が重要だ、と前に書いていましたけど、これはやはり仏教っぽい考えだといえますよね。中村元さんは、神仏分離令で神道が慈悲を忘れてしまった、と嘆いてらっしゃいましたけど、こういう所は全国の神主に再び引き継いでいって貰いたいものです。
それにしても、伊年印は宗達工房の作品のしるしですけど、絵はやっぱり描かれているものが、とりあえず、全てですかね(笑)
サントリー美術館はコレクションの歴史が非常に若いらしく、東西の融合といった領分が他の古いコレクションより充実しているように思います。
また、記念の展覧会だけあって、これぞ!という品ばかり集められているようで、状態も含めた美しさに、堪能させられました。ありがとうございました。
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