行って参りました。最近の東京国立博物館はお寺の出張所のようになっていますねぇ。まことに喜ばしいことです(笑)この前の法相の薬師寺・興福寺に続いて、今度は華厳の総本山です。
最初の方は発掘された瓦の類が。戦国時代の瓦ですとかは、中まで真っ黒、といった雰囲気の重々しいものですが、東大寺の瓦には重々しい中にも、ふがしのような軽い雰囲気も感じられるような気がします。
美術的に素晴らしいのは「八角燈籠火袋羽目板」。音声菩薩というレアな(多分)菩薩が描かれていて、ふっくりして肉厚な感じが、なかなか美しかったです。
「八角燈籠」というお堂の正面にでんとある、八角の燈籠にはめ込まれているものなんですが、いわゆるインドラの網の宝玉を思わせます。
インドラの網といえば、勝海舟が「西郷もおれが居るから西郷だよ。どうだ、閉口したらう」(氷川清話 (講談社学術文庫)360ページ)というのはこういう仏教的世界観のことをいっているのでしょう。今では構造主義的な方面からこういう考えをする人のほうが多いのかもしれませんが、仏教では人間の深みにまで入っていけるのが主張点です(笑)幕末の変転を取り仕切った人(たち)は、こういう世界の観かたが身に付いていたんですね。文字は嫌いだといっていますけど(笑)
ちなみに構造主義と仏教といえば、庵野秀明さんという人がいて、この人はいまわの際をとても重視するんですよね。普段いい人そうにしていても、追い詰められると本音が出る。そこでなお良い人でいないと本物ではない、(もっというとそういう人は殆どいないから、人は信用ならん)という考え方をされる人だと思うんですよね。
つまり解釈すれば、人には固定された本質があって、それがいまわの際に出てくる、といういう考えをされているんだと思うんです。
それに対して盤珪さんは、病気の時に日ごろの決心が抜けてしまう、と相談してきた人に対して、平生がよければそれで良い、というんですよね。
つまりこれはその人が置かれている文脈も含めてその人だと思っている。病気の時に良くないから普段も良くない、とは考えないんですね。平生と病気の時を違う文脈として切り離して考えている。
インドラの網を踏まえて仏教的にいえば、その人は世界全てを含んでいる。だからその人自身だけでその人たらしめているものはない。そういう考えが背景にあるんだと思うんです。
日本の伝統的な罪に対する感覚が継承されている、という面もあるのかもしれません。
どちらが正しいかといえば、僕は断然後者を採りたいですし、実際そうだと思います。現代思想でも後者的な考えをするのではないでしょうか。
さらにいえば、若い頃に仏教的な考え方がある程度身についていると、前者的な価値観を持つ可能性が(論理的な面から言えば)減ります。多少なりとも東洋的な考え方が身についていると、健やかに過ごしていける可能性が広がると思うんですよね。
おまけにいうと、こういう面からみると東洋哲学を西洋哲学の筆法で記述すると新しい思想になる、ということがあるんですよね。
「正法眼蔵随聞記」では「竹の響き妙なりと云へども自ら鳴らず、瓦の縁をまちて声を起こす。花の色美なりと云へども独り開くるにあらず、春風を得て開くるなり。学道の縁もまたかくの如し」(岩波文庫 90ページ)とのことで、つまり精進していれば、縁がやってきて学道が成就するということで、これは最近良く使われるところの、セレンディピティと同じ様な意味でしょう。
また、禅のもとともいえる老子では「其の身を後にしてしてしかも身は先んじ」(老子 講談社学術文庫33ページ)とのことで、つまり無為自然にいて人に推されるのを待っている(待たないことで自然に来る)そうです。つまり道を守ることによってなかば計画的に幸運を引き寄せるのが、東洋の処世術で、セレンディピティのなかでも誤解とされるような用法の中には、こういう考えを何とか西洋の筆法で表そう、という努力が感じられと思います。
ここらへんが最近の一つの際なのではないかと思います。それにしても、道元のは雅趣溢れる表現ですねぇ。
今回は快慶の傑作がてんこ盛り。「僧形八幡神坐像」は彩色も鮮やかな像で、衣紋は木で出来ているのに八橋を重ねたようです。手には精神の繊細さが感じられ、微笑んでいるようないない様な、中間的な表情も絶妙。快慶はすごいですねぇ。
「蓮花」は恐らく銅で出来た蓮花で、開いている姿に、ぞぞっとさせるものがありました。
快慶の「阿弥陀如来立像」は、深甚の一言。阿弥陀信仰の精髄を最も感じさせてくれる文化財なのではないかと思います。
「地蔵菩薩立像」はいつも家の壁に貼ってある作品で、鉢合わせしてびっくり。阿弥陀如来より一回り小さい、繊細かつ流麗で生き生きとした作品で、寄って見た時にある、わずかな欠け具合が愛おしげです。
この部屋を出るのには、かなり決意が要りました(笑)
「良弁僧正坐像」は払子を持った風格がなかなか。後姿に修学が積もっているような雰囲気が。「公慶上人坐像」はつるつるとした感じの、江戸時代の仏像らしい雰囲気。
深甚な仏像群が、実に揃った展覧会でした。
前後しましたけど、インドラの網にちなんで、私に連なる総ての世界の、方々、物、縁に感謝をして、実感して、一年の締め括りの挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
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