また、故事にはこのような話がすでにあります。
公孫瓚 - Wikipedia
「公孫瓚は役人の家の子弟に優秀な人材がいると、決まって故意に困窮に陥れ、凡庸な者を重用した。公孫瓚は「役人の家の子弟や立派な人物を取り立てて、彼らを富貴にしてやったとしても、自分がそのような官職につくのは(名声や実力から見て)当然だと考え、わしがよくしてやっていることに対して感謝しないだろう」と理由を挙げている。特に元・占い師、絹商人、その土地の豪商ら3人と義兄弟の契りを結び(この3人は巨万の富を有した大金持ちであった)、彼等と姻戚関係を結んでいた。公孫瓚の敗死は迫害した名士層が袁紹に付いた為でもある。
公孫瓚が寵愛する商人たちは至る所で悪事を働いたので、百姓たちに怨まれ、代郡・広陽・上谷・右北平は公孫瓚に反逆してその長吏を殺し、鮮于輔らと合流した(『後漢書』公孫瓚伝)。」
「お友達内閣」という言い方がありますけど「公孫瓚内閣」という言い方が一面正しいかもしれない。
無能で国を亡ぼす人間のパターンは昔から同じだ。歴史に学ばなければなりません。
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