のっけから違う話で恐縮ですけど、NHKの歌麿良かったですね。紫とか透かしとか生え際とか、そういうのを抜きにした全体とか、非常に素晴らしかったですね。浮世絵って言うと素晴らしい一方で版画の大味な印象もあったんですけど、それは真髄を伝えていない恐れが有るからだ、という事が分かって嬉しかったですね。歌麿も非常に偉い人だったとのことで、やっぱり反骨精神の無い人間に立派な仕事は出来ないと思うんですよね。
という訳で行って来たんですが、僕は普段宇野先生の公演とかの場合以外事前にチケットを購入するのが常(宇野先生のは自由席だし、なんといってもチケットのデザインがが光彩陸離ですから(笑))なんですが、今回に限っては手に入れていなかったんですよね。
文化勲章受賞記念コンサートの時に余りにもガラガラの会場に衝撃を受けて、今回もそんなものだろうと思っていた事と、評論家がクラシックのチケットで当日券が取れなかったことはかずえる(←何故か変換できない)程しかない、といっていた事とか手間だなと思ったこととか重なって当日買うことにしたんですが、A席以上しか無くて出費が嵩んでしまいました・・・と思ったら正面にスクリーンがあって、これはp席では見難いので九死に一生を得ました。他にも出演者の方々を間近に見られたのは楽しかったし、大体裏側に居たらチューバの強奏で即死する所でした。これは以前より先生を尊敬する事は人後に落ちない私に対する天の計らいだと信じています(笑)
という訳で交響譚詩を筝用に編曲した「二十五弦筝曲甲乙奏合交響譚詩」から始まりました。筝で交響譚詩は無理が有るんじゃないかなと思いましたし、そう考えた人も多かったと思うんですが、実際はオケの殆どの音がちゃんと筝から流れ出ていました。
筝の音色って言うのは独特で美しいですよね。残響の凛とした厳しさや余韻といった物は、他に代え難いもので曲とともに「ああ、これが日本の音なんだな」と非常に感服感動しました。
近くで見ていたので動きの迫真性も味わえ、本当に美味しかったです。ただ原曲とは微妙に違う音が出ていたりもしましたが、編曲の仕様なのかミスなのかは分かりませんでした。
次はティンパニと歌の「叙事詩に依る対話体牧歌」でしたが、これは本当に独特の曲です。藍川由美さんが誰かからだかこの曲だと思うんですけど偉大な曲だと言われたというんですが、まさにその通りだと思います。独創的でフォーレの歌曲とかより百倍面白いと個人的には感じました。藍川さんが言葉以前の言葉を感じさせるような言葉を朗々と唸ってそこにティンパニの合いの手が入るという内容ですが、このティンパニの音には伊福部先生の曲の大地性っていうのを深く感じ、先生の曲の理解が一歩進んだように思いました。頭で聴いたら負けで下半身で聴くのが良いんですね。藍川由美さんの歌唱は上半身が大きな袋に見え、そこから音が溢れ出す様な感じで、相変わらず丁寧で大きな歌い方でした。
片山杜秀さんが藍川由美さんを紹介していた時に「藍川さんは・・・」とか他人行儀で話す所に笑いがこぼれていましたが、二人が夫婦だと知っていないと笑えない所で、マニアックな笑いだと思いました(笑)余り公にされないので・・・今も本当なのかあんまり確信が持てないんですけど(笑)
片山さんといえば我が青春のアイドル・・・と言えば大袈裟ですが、高校の頃影響を受けて結構マイナーな交響曲を聴いたりしていたんですが、あえなく転進したということが有りました(笑)
唐突ですけどお茶の重要な要素に場の空気が有るって言うんですよね。それによって味が違うって言うんですけど、そういう要素は今回の演奏会は最高でした。そしてその場を演出したのはちょっと大袈裟になりますけど、観客や出演者の方の伊福部先生への愛だったと思うんですね。そしてその要が片山さんのそれだったと思うんです。この素晴らしい演奏会を経験させて頂いて片山さんを始めとした方々に感謝しています。私は人の識別がやや甘いんですが、片山さんを見るとクーベリック・・・じゃなかった、郷田真隆九段を思い出すんですよね(笑)
という訳で一回目の休憩に入ったんですが、丁度サントリーホールを出る瞬間に松村貞三さんとすれ違いましたが、体調が悪い様子でそれでもなお来場される事に伊福部先生の高徳と松村さんの気持ちを感じました。
続いて映画音楽の部に入ったんですけど、指揮者の方は本名徹次という方でした。まだ聴いた事のない指揮者だったんですけど、名前が良い感じなのでそれと無しに期待していました(笑)その予想は当たって、この部では簡素な動きで効果を狙わない剛毅な音を鳴らしていました。伊福部調の真骨頂のような旋律の連続にスクリーンの映像も面白くて堪能致しました。横のご婦人は「わんぱく王子の大蛇退治」が気に入られたご様子で手に入らないのか話をしていました(笑)どんな曲もですけど、やっぱり伊福部楽曲は実演が圧倒的に映えると思いました。ゴジラのテーマの威力は絶大でしたし、銀嶺の果ても静かでスケールの大きい曲でした。怪獣大戦争のテーマはとても好きで心浮き立つ心地がしました(笑)
休憩を挟んで三部が始まったんですけど、なんと隣の青年が居ません。きっと特撮ファンだったんでしょうけど、シンフォニア・タプカーラを聴かないで帰るとは。これを聴かないのは本当に勿体無い!
インターネットの伊福部先生の掲示板なんかでも、交響楽曲とかの話をすると特撮ファンが怒ったりして、交響楽ファンに逆に一度聴いてみろといわれるというのは定型化されているやり取りです。聴いてみると交響楽曲も劇伴音楽も本当の表面以外殆ど変わりが無い事は自明ですので、これを聴かないのはジャンルという頭の中に有る区分けのせいだと言えると思います。最近縦割りの弊害であるとか、專門の蛸壺ばかりで大きく見渡せる人材が少ないといいますが、それは制度的な問題ではありますが、結局このような一人一人の心がそのまま社会に反映されたものなのだと思います。
なにはともあれ管弦楽の為の日本組曲に入りましたが、聴きながら「これは最強の祭囃子だな」とか頭の中で呟いていたんですけど、今見て思い出したんですが章立てが祭りそのものなんですよね(笑)四楽章の迫力は流石でしたが、あの勇壮さはねぶただったんですよね。成る程。
という訳で最後のシンフォニア・タプカーラに入ったんですけどこれは色々聴いています。一番良くなかったのは石井眞木さんで、メリハリも雰囲気も無くて最悪だと思いました。師匠への敬意が無いはずは有りませんからきっと現代音楽のやりすぎなのだと思います(笑)今主に聞いているのは手塚/東京交響楽団版なんですけど、これは結構良い演奏です。でもここはこうした方がいいのになぁ~と思う所も多く若干消化不良でも有りました。
という訳で(五回も言っていますね(笑))本名さんの指揮に注目したんですが、まず出だしが最高でした。遅めのテンポでレガート(甘くない)をつけたように演奏するんですが、伊福部先生の曲の遅い所はこういう風に演奏して北海道のブナ林じゃないですけど、神の造物が匂い立つ様な感じが必要だとずっと思っていました。これは似たような雰囲気が一貫する二楽章でも変わらず、これだけでも手塚版を遥かに超えています。所々で頻出するディミヌエンドもくっきりしていて、楽譜通りとはこの事なのでしょう。一楽章はコーダも見事で、楽章が終わっただけなのに拍手が沸いていました(笑)これだけ充実した演奏をされたらそれも当然かとも思います。対応にやや戸惑い気味の楽団の方々の反応が面白かったです(笑)
伊福部先生の曲っていうのは熱狂と迫力というのが要素として有ると思うんですけど、この二つが演奏をやや難しくしています。即ち熱狂を演出するには速いテンポが良いのですが、そうすると迫力が薄れ、遅くすると今度は熱狂が物足りないという事になるんですよね。手塚版の第三楽章を聴きながら私も理想のテンポを探っていたんですが、結論として手塚版よりやや速くして駆け抜けるのが良いだろう、ということになったんですが、その私が考えていたテンポと寸分違わない速度で音楽が日フィルから流れ出た時には驚きました。本名さんの曲に対する理解と愛情は素晴らしいのではないでしょうか。ただコーダの最後の盛り上がりに入る前の金管に粘りが有るのが手塚版の好きな所なのですが、そこは音が弾んでいました。石井眞木さんもこのように演奏されているのでこの方が楽譜に忠実だと思われますし、好みの問題とも言えます。演奏は終始素晴らしく、こんな上品な佇まいの人たちからこれ程力強い音が出るのか、というのが実演ならではの感想でした。見事に終わってからアンコールが有るようで何を演奏するのかと心配しました。場合によっては場の充実感に水を差しかねないからで、タプカーラに力負けしないのは交響譚詩の第一楽章位かなと咄嗟に思ったんですが、タプカーラの第三楽章をもう一回演奏されました(笑)再び伊福部楽曲中最も威力の有る楽章を会場全体が堪能したのでした。
演奏終了後片山さんがお土産と仰っていたチョコレートが配られました。生産地が作曲家の出身の北海道というのがきめ細かい心配りです。味も絶品で最初から最後まで暖かいコンサートだった、というのがこの日の一番の感想です。
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