太田記念美術館 江戸の祈りと呪い(まじない)

#その他芸術、アート

昼食は例の如く明治神宮で摂ったんですが、滅茶苦茶暑い日でした。直射日光が殺人的で、それでも大丈夫だろうと外のホールで食べていたのですが、あえなく撤退しました(笑)ホールには一人も居らず、当然ながら、皆さん判断が良いなぁ、と思いました。

美術館に行く途中で、いかにも怪しい東南アジア系っぽい人に四川募金で呼び止められました。他の所で払いますので・・・といってもしつこく付いて来たので、多分違法な募金のような気がします。こういう募金であるとか、振り込め詐欺であるとか、世の中捕まえにくい犯罪が思いの他多いものです。気を確り持たないと駄目ですねぇ。あんまりとげとげするのも考え物ですが(笑)

断トツで感銘を受けたのが、河鍋暁斎の「達摩耳かきの図」ですね。達摩が遊女に耳垢を取って貰っているんですが、達摩の風貌がまさに魁偉で、筆遣いも雄渾の一語でした。一方の遊女は実に繊細に描かれていて、対比の妙が素晴らしかったです。この幅の広さは暁斎の面目躍如といえるでしょう。
達摩と遊女を絡めた画題は浮世絵の伝統的なもので、歌麿にも遊女に扮した達磨の絵があります。遊女の仕事は禅の修行より厳しい、ということなんだそうですが、事実を述べると共に、彼女らに過酷を強いる政治批判の意味も有ると思います。
また、日常そのものが修行である、という意味で「別無工夫」なんていう禅語が有りますが、そういう意味で言えば、過酷な遊女の日常には大きな工夫が含まれているに違い有りません。そういう仏教の真実の一端を表した絵になっていると同時に、人の日々の営みと仏教を殊更分けて、権威主義的に振舞う僧に対しては、強い批判になっている絵だと思います。
ただ、辛けりゃ良いというものではないので、きっと遊女には行者を連想させるような、聖性を備えた人も多かったのだと思います。
つまりこの絵は見事な絵であると共に、政治・文化両面に対する鋭い批判・批評性を持っている訳です。
またこの絵を見て、九鬼周造の「「厳かなもの」は「可笑しい物」へ、「可笑しい物」は「厳かなもの」へ常に急速に転化しようとする」という言葉を思い出していました。それぞれを「聖」と「俗」に入れ替えても成り立つ言葉だと思います。そうだとしたら、それは聖と俗が本来同じものだからだと思うんですよね。そういう事が噛み締められる絵でも有りました。

同趣向の勝川春章の「達磨と美人図」というものもありましたが、こちらは静かな絵で、美人と達磨の馴染んだ雰囲気がまた違う味わいが有りました。

他には三代目歌川豊国の「雨舎春の道連れ」という錦絵が、踊りが切れていて、良い感じでした(笑)
まじないと言えばお百度です。期待に応えて?「つき百姿盆の月」という月岡芳年の作品があって、楽しい感じでお百度を踏んでいる所が、ユーモアがある感じで良かったです(笑)
広重の江ノ島の錦絵も、毎度ながら描き込みが細かい良い絵でした。

今回は初めて土曜講座を聴いたのですが、演題は「浮世絵版画における抒情性の研究 -広重の作品を中心として-」でした。部屋からはみ出しそうな人出でしたが、広重は流石に人気で、講座にこれだけの人が集まることは珍しいのだそうです。いや、私も目当ては広重なんですが(笑)
ただ講座自体は、広重の魅力に肉薄できる内容ではなかったと思います。いや、そんな講座は難しいですが(笑)
学会では広重は抒情的な作家で有る、というのが共通の認識になっているそうで、そこからして微妙に違和感があります(笑)叙情性は確かに有るんですけど、叙情的ということで言ったら、他の作家にも結構そういう人は多いんですよね。当たり前ですが。
私は広重の一番の特徴は、その叙情性が極めて濾過された形で表出していることじゃないかと思っています。抽象的になりますけど、叙情性から一歩引いた所にいる感じが素晴らしいと思います。

平常展でしたが、核となる作品があって、良い展覧会だったと思います。

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