サントリー美術館 KAZARI ―日本美の情熱― 第7展示期間

#その他芸術、アート

最終日に行ってまいりました。
チケットを買う時になんとなく「大人一枚ください」と言ったのですが、言った後に目を料金表にやると、普通のチケットは「一般」で、「大人」なんていうカテゴリーは無いんですよね。受付のお姉さんは「はい、大人一枚です」と合わせてくれたのですが、あんまり正確ではなかったかも知れません(笑)

最初には噂の縄文土器がどーんとありました。いやぁ、しかし良くここまでごてごてに装飾したものです(笑)普通に見るとどう考えても祭祀用にしか見えないのですが「煮炊きに使った」としつこい位に書いてあるので、煮炊き用なんでしょうねぇ(笑)根拠を知りたい所です。
以前ETVで人間国宝に弥生の木製品を作らせるのをやっていましたけど、あれ良かったですよね。お三方とも結構苦戦されていましたから、この縄文土器も作るのは容易ではないのかもしれません。
あのETV特集で人間国宝の一人が、先代まで受け継いでいた槍鉋技術を失っていたのには考えさせられました。技術の喪失自体も問題ですけど、環境に人が合わせるのが日本文化の一つの真髄ですから、器の角度に合わせて技術を変える槍鉋の技術の喪失は、文化の喪失そのものなのではないかと思いました。
今回の展覧会では「色絵畦道文角皿」という作品があって、皿のひび割れて陥没した跡に装飾を施して、畦道に見立てた逸品でした。人が割れた素材に合わせる所が典型的で、作品の見事さと共に作った人間の心を感じました。

縄文土器の紋様には物語が表現されているのではないか、との解説が有りました。きっと古事記とかとは全く系列の違う、エキゾチックな物語だったに違い有りません。

今回最も凄かったものは「金銅火焔宝珠形舎利容器(鎌倉時代)」です。玲瓏という言葉を形にしたような珠の周りを、細かい彫刻の火焔が包んでいて、宗教性と共に、途轍もない美しさを放っていました。
展覧会の図録にも宗教芸術に注ぎ込まれたエネルギーの凄さが書かれていましたが、黄金色でこれまた造形が細かい「金銅密教法具(金剛盤・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵・五鈷鈴)」ですとか、凄いもの揃いでした。

日本刀の芸術というのは、実用性を離れている様でもあり、血生臭い様でもあり、理解が余り及んでいないのですが、今回出品されていた「太刀 銘備前国長船住人真光」には芸術性を感じない訳にはいきませんでした。やはり、端然とした所があります。
これ程の刀で斬られたら、斬られる方の痛みも少々は軽減されるかもしれない、などという事が、首の辺りの涼しさと共に、頭に浮かびました(^_^:)

服では「野晒模様染帷子」が面白かったです。髑髏をあしらってある帷子なのですが、奇怪な雰囲気が殆ど無く、飄々とした中に昇華されていました。ハイセンスな意匠だと思います。

あと、不思議に惹かれたのが「雛形絵巻」です。着物の図案帳なので、干してある着物の前に、申し訳程度に女性が数人佇んで居るだけの図なのですが、二十分くらい、周囲をうろちょろしながら見ていました。何が良いのかと思ったんですけど、多分女性が自然なんですね。祭りの絵であるとかの、踊って居なくちゃいけない、といったような雰囲気が無いのがいいんだと思うんです。立ち姿は綺麗でしたし、とても丁寧な絵でした。

狩野永納の「舞楽図屏風」は安摩を気楽な感じで踊っているのが面白かったです(笑)

「ちょうちょう踊り絵巻」は江戸時代に定期的に起こった、踊りの行列の一つのようで、仮装行列だったようです。これが面白く、謎めいていて、着ぐるみがみんな見事なんですよね。魚であるとか、まさにタンノ君なんですが、脚まで鱗で覆われていて、その点勝っています。他にも鶴・蛸・百足・猿・俵などどれも完璧で、絵師の補正でないとしたら凄いと思います。

最後に展覧会の図録が置いてあったので読んだのですが、興味深い文章が結構有りました。
フェノロサの言葉として、日本の芸術は純粋芸術としてではなく、応用芸術――――飾りとして評価するべきだとの旨が書かれていました。
図録を書かれた方はそれを受けて、むしろ飾りの素晴らしさを前面に押し出して、日本美術を振興していくべきだ、というような事を書かれていましたが、この発言の背景には美術を取り巻く思潮の進歩が有ると思います。
日本美術にとって良い時代になりつつ有る様な気がします(笑)彩り豊かな展覧会を有難うございました。

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