東京国立博物館 創刊記念『國華』120周年・朝日新聞130周年特別展「対決-巨匠たちの日本美術」第5会期

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行って参りました。
最初はいきなり運慶 vs 快慶でした。仏像というと静的なイメージがありますけど、鎌倉時代に彫刻が興隆した背景には武家政権の成立がある、なんていう話もありますので、そういう武断的な力を内に秘めている所が有ると思います。
東京フレンドパークⅡでは最初にフランキー為谷さんが出てきますし、サイモン&ガーファンクルはライヴでは最初にミセス・ロビンソンを歌ったそうです。そういう盛り上げる役割を、強力に果たしていたと思います。

運慶の彫刻は力強いんですけど、なんですかね。実在的で尚且つ、底知れない魅力があると言うか・・・。写実的な像なのに極めて厳かな印象を受ける所が、不思議です。最も有名な仏師の風格と言った所でしょうか。
快慶は繊細の極み。やはり言葉に表すのは難しいですが、見ていると自然に心が静かになる仏像です。
最近この仏像が載った新聞を切り抜いて、部屋に張っているんですけど、帰って来るまで同じ仏像だと気が付きませんでした(笑)細かいひだのような物が感じられて、印刷と本物の違いは絶大でしたし、展示方法も妙味が有りました。

雪舟 vs 雪村は雪舟の「秋冬山水図」が構図の美しさが際立っていましたが、雪村の個性は凄まじいです。「蝦蟇鉄拐図」の蝦蟇仙人の格好など、生で見ると特に怪しさの極みで、面白いので真似をして部屋の中を歩いていました(笑)蕭白なんかは今回見ても思いましたけど、ナイーヴな人が酒の力を借りて傾いている、という感じなんですが、雪村は天然自然にまずい人だということが伝わってきて、嬉しくなりました(笑)

一番対決っぽかったのはやはり永徳 vs 等伯ですね。「はせ川と申す者」なんていう永徳の口吻(多分)からして、存在すら認めたくない、という気持ちが出ていると思います(笑)それに二人とも、この展覧会の中でも個性が目立っていたと思います。山口晃さんの絵師の絵のバッチが、ガチャガチャで売られていましたけど、この二人が格好良かったと思います。
永徳の「檜図屏風」はこれまた超有名な絵です。木が画面から突き出ている所に覇気があって、天下人に愛された、なんて言われますけど、逆に言えば木の下の方しか描いていない訳で、私は息苦しさも感じました(笑)とはいえ、配色筆遣い等等、得体の知れない迫力があることも、やっぱり確かです。
「花鳥図襖」も鶴なんか、気迫が漲っていることで言えば、若冲の鶏と同じくらいでした。
「洛外名所遊楽図屏風」は良く有る狩野派の絵なんですけど、時代の息吹きを受けたのか、形式に堕さない生き生きとした雰囲気が有って、なるほどこれが狩野派の絵か、と思いました。
「洛外名所遊楽図屏風」や「松に叭叭鳥・柳に白鷺図屏風」は最近発見されて、鑑定人の感性で永徳の作品と判断されたらしく、確かなんでしょうけど外野としては冷や汗物です(^_^:)

等伯の絵は本当に侘びています。「萩芒図屏風」は琳派から華やぎを取り去ったような絵で、秋の風が確かに吹いていたように思います(笑)
かといって枯れているわけではなく、余りにも侘びが充満していて逆に力があるような所もあります。やはり桃山時代の絵だと思います。

長次郎 vs 光悦は焼き物対決で、難しかったです(笑)光悦の「黒楽茶碗 銘時雨」なんか良かったと思ったんですけど、横で「分かる?」「分からない」なんて会話をしているのを聴くと、考えてしまいます(笑)とりあえずただ見るのが良さそうです。
長次郎の作品はどれも正統派っぽかったです。そういえば利休の再現映像なんかでは、こういう茶碗を持っているなぁ、と思いました(笑)
「黒楽茶碗 銘七里」「赤楽茶碗 銘大ふく」であるとか、光悦の作品はきれいに纏り過ぎていない所が良かったです。「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」の書も、自在な筆勢が味わい深かったです。

宗達 vs 光琳は琳派の巨頭対決ですが、宗達はどうも状態の余り良くない物しか観た事が無いんですよね。今回もそうでしたが、「草花図扇面貼付屏風」が枯れた感じでよかったです。宗達は力強いんですけど、その背景は結構枯れているんですよね。「扇面散屏風」にはかの雷神が居て、荒涼とした風景を背景に怒り狂っている、といったような感じでした。決して綺麗なものでも、大作でもなかったのですが、正直、胸の内側をどんどん叩かれているような感覚が未だに収まりません。
しかし、かの「風神雷神図屏風」は会期末の展示のようで。。。逸まりましたかね。遅すぎた(松林図屏風)という噂もありますから、この日が丁度良かったのだと僕は信じています(笑)
光琳は「菊図屏風」の菊の肉感が良かったです。

応挙 vs 芦雪は師弟ということで、和やかな雰囲気です(笑)
応挙は規則に捕われず見たままを描くという革命をやったそうで、要するに芭蕉と同じ事を絵の分野でやった人なのかもしれません。
応挙は「保津川図屏風」が最高です。これだけが目玉の展覧会でも、私は遠征して来るかも知れません(笑)水を描いた日本画は無数にありますけど、この質感はちょっと他には無いと思います。無数の絹糸・・・というと平凡な例えですが、柔らかさ、清涼感、どれをとっても正統的にして格別な川でした。
芦雪の「虎図襖」はとにかく可愛いです。イッパイアッテナとか、そんな感じでした(笑)

仁清 vs 乾山は焼き物対決です。仁清は多彩で方向性が掴めなかったんですけど、表面が底光りする雰囲気がどの作品にもあったような気がします。奥の深そうな人です。
乾山は現代的過ぎるくらいに現代的な意匠と、そのオリジナルの美的センス、光琳の絵付け、と実に最強の古典です(笑)

円空 vs 木喰はそれぞれの自身像の対照が興味深かったです。木喰は満面の福福とした笑みで、厚く、彫りは丸く滑らか。綺麗な光背まで付いています(ぉ
対して円空は力の抜け切った姿をしています(笑)細く、ごつごつとしていて、全てを背負いつつ、全てを捨て去り、笑みが残った、という感じです。
どちらのほうが寿命が長かったかは、一目瞭然だと思います(笑)
円空の「十一面観音菩薩立像」の魁偉にして静かな存在感は素晴らしかったですし、木喰の「十王坐像」の閻魔大王は、怒りの向こうに木喰仏特有の微笑が感じられて、愉しい気持ちになりました(笑)

若冲 vs 蕭白は若冲の「仙人掌群鶏図襖」の鶏の気高さが美しさの限りです。魂を描こうとした画家、若冲のエッセンスが詰まっていると思います。
蕭白は「群仙図屏風」の波紋なんか極めて繊細で、画力の高い真面目な画家、という一面も強く持っているのだなぁ、と思いました。

大雅 vs 蕪村は・・・文人画はどうも、見て凄く感心するんですけど、魂が反応しないんですよね(何)とはいえ、蕪村の「新緑杜鵑図」は余白が活きまくっていて、余韻嫋嫋でしたし、「鳶鴉図」の佇まいは唯一無二の個性です。

歌麿 vs 写楽は歌麿の錦絵が凄かったです。「当時全盛美人揃・玉屋内小紫」の威風、「衝立の上下」の細やかな情景と彫り、と、絵全体に白粉がかかったような、瀟洒な美しさがあります。絵もさることながら、どれだけ高等な彫りをしたら、こんな繊細な風味が醸せるのかと思いました。
写楽の説明では、最近能役者の斎藤十郎兵衛説が見直されている、と書いて有りましたが、私は以前から十郎兵衛だと思っていたので、一時期没になりかけていた事を知りませんでした(笑)特徴を捉え過ぎている位に捉えた所、稚拙に見えるデッサン、と、演じる側の人間が描いた絵だということを強く感じます。素人ならでは?の古典を飛び越えた凄い絵です。

鉄斎 vs 大観は鉄斎の「富士山図屏風」が超有名な一品で、只管筆勢で迫力が強調されています。数多の富士山図の中でも一番迫力があるものの一つだと思います。大観も迫力の有る絵を描く人ですので、この頃の時代は迫力重視だったのかもしれません。
大観は相変わらずな感じですけど、こうやって見てくると、近代の息吹きを感じる日本画です。

教科書総巡りの様な展覧会でしたが、そういう作品の本来の場所、、生身の良さを感じることが出来る展覧会でした。岡倉天心が創刊した『國華』の歴史は日本美術の新たな歩みの歴史だと思います。節目の年を祝いたい気分で一杯です(笑)。

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