東京国立博物館 開山無相大師650年遠諱記念特別展「妙心寺」 前期

#絵画

行って参りました。
このチケットは近所のおばさんから貰った物なのですが、おばさん曰く「こんな展覧会誰も行かないわよね~」とのことだそうで、そう言われると開催日も無理矢理三ヶ月に亘っているように見せているような感も無きにしも非ずです(笑)お客さんも流石に琳派展よりは少ないですよね。
こういう世間だからこそ、いよいよ、お寺が好きなz(以下略

とはいえ、これは大博覧会です。お寺は当時の総合文化施設ですからね。
最初の方は、お寺の物が色々展示されていましたけど、一番綺麗なのは袈裟ですね。「九条袈裟 伝関山慧玄料」や「花唐草文様七条袈裟 花唐草文様横被 伝花園法皇料」が丁寧に織られていて、綺麗でした。

ここで、言い訳といいますか、袈裟とは、仏教美術とは何ぞや、という事を自分なりに話したいのですが、鈴木大拙師は、釈尊が悟った時に頭の中には「大きなクエスチョンマーク」があった、と仰ったそうです。悟ったは良いけど言葉では表現し難い、これはなんだろう、ということで、そのクエスチョンマークをどうにか解釈して、釈尊に近づけるようにしよう、というのが仏教のそもそもだと言えると思います。

そんな中で禅から生まれた茶道なんていうものがありますけど、これは美意識を高めることで、そのクエスチョンマークに迫ろうという文化です。美意識と仏教の本質は本当に関係があるのか、といわれるとやはり大有りで、だからこそ茶道が栄え、仏教美術がここまで進歩したのだと思います。だから見識のあるお坊さんは、吟味した袈裟を身に付けて、美意識の方面からも人を導く必要があるわけです。勿論ボロを纏っていても格好良い人は良いですが、何の見識も無いのは良くないと思います。

高級品があるなら、その分貧しい人に施せば良いじゃないか、とも思いますけど、そういう構図は現代の私たちにも言えるわけで、本当に良い袈裟・仏教美術というのは、持つ価値が有ったと思います。そしてそういうものを観る事は、現代でも意義があるし、楽しいことだと思うのです。

ちなみに、良い文化における道楽は―――寄付と比べると微妙ですが―――大抵の消費より有意義で、少し余裕があるなら、むしろ積極的にするべきで、それが世の中にとってプラスだ、というのが僕の考えです。

絵も非常に充実していて、蔡山の「十六羅漢図」がエキゾチックな人物図で、最近アメリカ大統領のニュースばかり流れるから、 顔がみんなそれに見えました(笑)この展覧会のタイトルの650年前と言えば、室町時代。中国文化が日本で大変尊ばれた時期で、その輸入された名品の力強さ、違和感は流石です。日中の至宝展、といったような名前にしても十分な展覧会ですが、「妙心寺」という名前はそれを包括して、更に大きいようです。

何故か戦国武将達の肖像画も沢山有りました。
曾我蕭白が描いた「福島正則像」という物があって、ニヤリとした目元なんか独特でしたが、絵以上に、蕭白に依頼するセンスに親しみを感じました(笑)
長谷川等伯が描いた「稲葉一鉄像」という、色白のひょろっとした物があったんですが、微妙な組み合わせで、等伯と稲葉一鉄は果たしてどちらの方が知名度が上だろうか、と少考しました(笑)

お坊さんの墨蹟も沢山有りましたが、やはり、死ぬ間際に書いた物が印象に残ります。「雲居希膺墨蹟 遺偈草稿」は、ずるっと横に伸びた字に、目一杯の生命を感じます。「道鏡慧端墨蹟 遺偈」は、ぽつりぽつりと書かれた、確りした字がらしいです。道鏡慧端は白隠の師匠。正受老人と呼ばれる天才肌の質朴な禅匠で、この人は結構好きですね。
「至道無難墨蹟 仮名法語」も美しさが長く心に残る、柔弱な筆勢でした。

白隠さんの物も充実していました。白隠さんは私にとってそれ程波長の合うタイプのお坊さんではありませんが、そのお坊さんとしての実力は紛れも無く本物です。
「白隠慧鶴墨蹟 関山慧玄偈」は雄渾な白隠の書なんですが、雄渾な書っていうのは結構他のお坊さんにもあるんですよね。白隠のだけ何故エキセントリックに感じるのかといえば、バランスが独特であることと、薄墨を使っている事があると思います。暑っ苦しい字と薄墨の淡さの取り合わせが絶妙で、ここに白隠の非凡さを一番に感じました。
白隠の有名な「自画像」は生で観ると、訴えかける目力が違います。白隠といえば、一喝したら相手が狂人になってしまった、といった様な喝の力の絶大さを伝えるエピソードが有りますが、その片鱗が伝わってきます。
同じく「達磨像」は巨大で、脇でドライアイスでも焚いているような雰囲気で、正面に立つと地鳴りがしているような感覚があります。
「鼠師槌子図」は戯画調の絵ですが、仙厓さんと比べると線が硬く、僕は仙厓さんのほうが好きですねぇ。
白隠さんは特に、実際観ないと分かりにくいタイプの絵師の一人だと感じました。印刷では絶大なパワーが落ちてしまいますからね。

今回沢山あった絵師は狩野派2代目の狩野元信で「四季花鳥図 霊雲院方丈障壁画のうち」が品の良い永徳のようで、さっきの中国絵画を見ると、あれを上手く日本化した人なんだな、という事が感じられます。外形は似ているんですが、細い線できっちりと描かれている所は、隨分違います。

「銅花瓶」は中国の古代の瓶を写したらしく、禍々しい装飾が美しさの限り。
「銅鐘 IHS紋入」はイエズス会のものを保存していたものらしく、こういうのをちゃっかり持っている所が、中々良い所です(笑)ザビエルらの皮膚の欠片の様なものが、付いているのを感じる品です。

長谷川等伯の「枯木猿猴図」も凄い絵で、なんといえば良いのか。ポゴレリチの演奏に例えたい所ですが、更に怪しい。ぼんやりと描かれた猿猴は不気味さ極まっていて、周囲に無造作に垂らされた墨の飛沫が、更にどろどろ感を増幅します。古典の凄さと、古典らしくない逸脱を持っている絵です。

チラシに刷られている狩野山楽の「龍虎図屏風」は、実際に見ると、名品の説得力がある躍動感。
狩野探幽の「山水図襖 妙心寺大方丈障壁画のうち」はさっきの元信と応挙の中間のような、中々の味わい。この人は金地に強い絵を描いている印象があるのですが、枯れた絵も中々。

さながら昔の巨大な博物館で、多様な品が楽しい展覧会でした。後期も楽しみです(笑)

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