前後期両方、行って参りました。
定家は自分を悪筆と考えていたそうで、見易く丁寧に書いていたそうです。生真面目で、禅僧が好むような稚拙さも感じられる字で、こういう人を祖に持つ家だからこそ、残ったのかもしれません。名前も定家ですし(笑)
毎度、司馬遼太郎さんによると、あまり綺麗な話ではないですけど、「日本人の原型を探る」の88ページに冷泉家の話が出てくるのですが、これによると冷泉家はあまり公家中の公家といった家ではないようですね。
また、集団からちょっと外れた人が、その集団の気風を継承する、という理論があって、十四代沈壽官さんに薩摩人の気風を見たという話や、武士以上に武士らしかった新撰組の話が出てきます。
私はヤンキースのジーターにアメリカ人の理想態を感じることがあるのですが、この二つの話をあわせると、冷泉家は公家中のジーター、もしくは新撰組といえるのかもしれません。
あんまり読めなかったんですけど、美術的にも見事な展覧会で、一番綺麗に思ったのは筆者不明の「後拾遺和歌集」。極小の文字の中に美意識が詰まった文字で、瀟洒でした。「周防内侍集」は藤原俊成の伝の付かないもので、緩急が強く付いた奔放な字に力がありました。
本当に奇跡的な家で、守ってきた方々に敬意を表して文章を閉じたいです。
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