東京国立博物館 平常展

#その他芸術、アート

この日は、花見を兼ねて、行って参りました。
それにしても、サッカーは二時半に起きたんですけど、まだ眠れると思って寝てしまったんですよね・・・(^_^;)

ぐるっと回ったんですけど、白眉はやはり広重。「東都御殿山・真乳山図」が広重の肉筆画独特のうっすらした表現が極まったもので、彩色された分野における牧谿といいますか、それよりは砕けていますけど、風景が光りを吸収してしまったのではないか、と思わせるような作品。良いですねぇ~。

お花見特集の狩野長信の「花下遊楽図屏風」は流石。無名の人の飛びぬけた逸品、という紹介で、有無を言わせぬ闊逹とした素晴らしさがあります。
外人さんが一部分にかぶりついて写真をとっていたのを観て、やっぱりそこが良いですよねぇ、と一人で言っていました(笑)

書のところでは、今回は明恵の書状がたくさん置かれていました。素直ですけど、枯れているわけではなく、明るくて、まめな感じの字だと思いました。

盤珪さんの「触目是心光」は題目の通り艶やかに光るような字。盤珪さんの桁違いの精神力を感じます。
良寛さんの「七言絶句」はいわゆる良寛金釘流ではなく、狂草というのでしょうか、小堀遠州の綺麗寂びなんていう好みを思い出させる、非常に整ったもの。
良寛さんの書というのは完成度・作者の人格を含めて、現代一番の古典となっていると思います。安全パイっぽい雰囲気が漂っている感すらあります(笑)

良寛さんは言い伝えのエピソードも、何が本当なのか良く分からない人ですけど、出家する原因に、船に乗り切らない佐渡奉行の駕籠を前にして船頭が困っていた時に、駕籠の柄を切らせてしまったことが理由だという話があります。
無心で切らせられたのでしょうけど、これは、合わせる方が違う、という意味ではないかと思います。船頭が無理して駕籠を乗せるのではなくて、佐渡奉行が乗り切る様な駕籠などを用意するべきだ、という意味だと思うんです。

これを現代にあてはめると、やはり、合わせる方が違う、合わせ方が違う、といったことが結構あるように思います。たとえば農政などは、こういうことを本に一から見直していけば、けっこう良くなるのではないでしょうか。
幕府と日本政府は違うので、書くのを微妙に躊躇ったんですが、少ない良寛さんと政治・行政機関の話、ということで、書いておきたいと思いました。

「高野切」を始めとした古筆もなかなか。

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