東京国立博物館 特別展「誕生!中国文明」

#その他芸術、アート

丁度良いタイミングで開かれたので、勇躍行って参りました。
写真で見たことがある(ような)ものがずらりと。
河南は古代の王朝が主に根拠地を置いた所。奈良国立博物館と提携しているそうで、故都同士、良い所と組みますよね。

最初は夏王朝のもので、今議論が熱い感じの国ですけど、文字資料が無いので、分かることは限定的になりそうですかね?

「黒陶か」「白陶か」は白黒セットで映える、お酒を注ぐもので、お酒が好きだった商の文化の延長線上で捉えらえられる所が、やっぱりあるんですかね。

「か」は商の酒を温める器。
「鉞」は誰かが乗って、狂的なエネルギーを得たと思われる、まさかり。真ん中に、獣が口をあけて牙をむきだしにしているデザインで、威力を感じます。ここに東洋哲学の原点があります。

「戈」は「武」の字で人が持っている戈。そういえば遠い昔、「「武」って戈を止ましめるっていう字だと言われていてんだけど、本当は戈を持って歩く人らしいよ」「へー」なんていう会話が武道場の更衣室で聞こえてきたことがありましたっけ(^_^;)
「玉戈」の方は儀礼用の使えない戈らしく、こっちを持っているんなら、まだ古の日本武術っぽい雰囲気になるんですけどね。字統には「もと武徳をいう」とあって、字源的には儀式用のものが字になったのではないということでしょうか。

延べ棒のような「玉璋」は、シャクのように使った儀式用のものだそうで、字統によるとこれで酒を注いだようですけど、どうやったんでしょうね。
「方か」は婦好墓から出てきた酒を温める器。白川静さんによると「古くは女が君であり酋長であった。女酋長の時代があったのです。古い時代にはそういう君、わが国の卑弥呼のようなものが、たくさんおった」(文字講話Ⅳ89ページ)らしく、この婦好という人はそういう時代の最後の頃の人だろう、とのことです。
マハーバーラタですとかには、男より女性のほうが強い、とはっきり書かれているみたいですけど、恐らく本当の古代はそういうある種の人間的な力に勝る女性が主導権を握っていたのだと思います。

それを武力的な力と制度的な力で、男が主導権を取り返したのが、近代までの歴史で、また男女同権ということで、女性が盛り返すやら盛り返しきれないでいるやら、というのが現代の状況であるといえるのではないでしょうか。

日本ではそういう古代性が結構最近まで残っていて、江戸時代でも、子育てが男の仕事だったり、女性から離婚しやすい環境だったことが知られています。
こういう所もシステム的にいうと、実は女性の力を減殺するシステムは西洋の方がかっちり出来上がっているようなところがあるんですよね。
明治以降そういう所を取り入れてしまい、権利的なところは中途半端に取り入れてしまったところがあったのではないかと思います。

とはいえ戦後の日本は、明治以降に出来たものにしても、江戸以前のものにしても、文化と密着して成立してきた、女性の力を封じ込めるシステムを、とりあえず文化諸共根こそぎ破却しました。
しかし、これで真の男女同権が達せられたと感じる女性は少数でしょう。
この前も鵜飼のCMを東京マガジンで共感できると話し合っていましたが、あのCMは何もしていない女性から給料を奪われる、という価値観の基に成立しています。
こういう旧来の悪しき点の残滓としての色眼鏡は、未だに拡大しつつあるとも言えると思います。
東京マガジンとは関係ないですけど、これは洗練さを欠くゆえの保守性といえるのではないでしょうか。男女同権を文化にまで昇華しないと、良くならないのだと思います。

ということで日本の古代、その残り香としての江戸時代。それらの良いところを思い出して、それを文化の中に練りこみ、共有する。そういう作業を経ることによって、精神的な面、更には権利的な面も向上・復旧し、日本に根元が太い男女同権が実現できるのではないかと思います。

西周時代に入って、ここら辺の発掘物は商末と西周初期の様式を兼ね備えているらしく、周が商を滅ぼした事件に関係する人物の墓からの出土品であろう、とのことです。
日本では吉野ヶ里のような所でさえ、薄氷を踏むような感じで偶然に発掘されたのに、中国ではぼすぼす重要な遺跡が発掘されて、しかも本物っぽいのが凄いです。

「鐃」は楽器なんですが、結構今回出品されたものは楽器が多かったんですよね。結構日常に音楽が溢れていたのではないかと思わせます。

「玉璧」は渋い色調で、当時の人の美意識が偲ばれます。アルタミラの遺跡といいますか、やっぱりそういう味わいがあるんですよね。

春秋戦国になると既に新しすぎるな、という感じなんですが(笑)西周が作っていたようなものを、各地域で作るようになったらしく、鄭国という小国が作った「九鼎」「八き」は王の様式のものだそうで、この同じものの繰り返しがオスティナートの様です。アンコールワットにみられたという、繰り返しの精神と同源なのでしょうか。

「編鐘」は大小揃った鐘のセットで、3オクターブ出るのだそうです。

美術品の部では「澱青釉碗」(北宋時代)のぶわ~っとした口の開き方に、姿が素晴らしい、という言葉の、とても突出したものを観たような気がしました。ほれぼれと致します。女性でも姿が素晴らしい方は、心も素晴らしいものですよね。
「三彩双龍耳瓶」はギリシャのアンフォラという様式の壷だそうで、しゃっきりした異国情緒が漂います。

「玉環」はそもそも神の依り代だったそうです。
「玉羊」は西周時代の墓から出土したそうなんですが、横のデータにはなぜか商時代と書かれている作品。

「第3部 1 神仙の世界」の解説によると「中国の文化の伝統は多神教です」とのことで、「神獣」はその魁偉な神。実用品なので変な形になっているそうですが、それにしても、奇妙さの中の凄みがあります。
解説によると「怪異な神を崇拝した楚国の美意識が凝縮された傑作である」とのことで、楚は原中国的とも言われていますので、そういうものなのですかね。

「壁画 日月図(部分)」は真ん中に烏が描かれていて、やっぱり重要視されているんですね。
「画像石 仙人乗亀」は仙人が亀に乗っている図。
「宝冠如来坐像」は豪華な格好をした如来で、如来にしたいんですけど、豪華な格好もさせたかった、ということなのでしょうか?

「獅子」は平安時代の狛犬の源流として注目される作品だそうです。鳥居とか、神社の様式は意外と最近伝わったものだそうですから、そういう感じなんですかね。鳥居といえば、日めくり万葉集で結構クローズアップされて映されたりするんですけど、良いんですかね。

「天王立像」は布が風にたなびく、実に格好よい四天王っぽい人たちで、横のおばあさんが「(某政治家)より良い顔をしている」と、人材の無さをぼやいていました(^_^;)

今回凄まじかったのは唐三彩の二点。
「三彩舎利容器」はキャラメルが蕩けたような色彩で、魅惑的な傑作。唐三彩は唐が最盛期かと思えば、これは宋の作品。この頃も良い唐三彩がたくさん作られていたらしく、唐三彩と密接な関係があるとされるソグド人の活動も、実は安禄山の乱以降も結構活発なのだそうです(^_^;)
「三彩駱駝」もこれまで観た駱駝系の三彩の中でも、格別に細工が丁寧で迫真的。いななく姿に生き物特有のひだのようなものまで感じさせます。

カタログによると夏は奴隷制の国家だった、と解説には書かれていて、これはまだ郭沫若の系統の学説が支持されているという事でしょうか。

よくいる感じの人が古代人について、合理性は無いよね、と話していましたけど、合理性というのはなかなか計り知れないものです。

売店は白川静祭りで、一般向けの品は大体揃う感じでした。字統とか、中国的にどうなのだろう、と思うのですけど、中国の人は何でも包容して特に構わないんでしょうねぇ。

売店では小さなガラス壷に描かれた内絵が絶品。壷の内側に筆で細かく描いていくのだそうです。
売り物を眺めてたら、これが一番凄い、と16800円の孔雀が描かれた瓶を目の前に置いて貰ったんですが、流石に凄まじいです。
彫漆ですとか玉の彫り物ですとか、中国の美術品は小さな中に雄大さを感じさせますよね。

饕餮文が渋くも魅惑的だったりして、結局五回くらいは回りました(笑)
準備に三年もかかったそうで、よくこれだけ来たな、といった感じの貴重で美しい品ばかりでした。実に、ありがとうございました(^_^)

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