津田ホール 山田令子 2台ピアノによる 伊福部昭作品演奏会 賛助出演:パトリック・ゴードン

#音楽レビュー

行って参りました。
結構お客さんが入っていて、老若男女、人種も様々で、これは伊福部音楽の普遍性を表しているのだと思います(断定)

バレエ音楽「プロメテの火」は現代音楽的といいますか、メロディアスな要素が少ない曲。
題材は人類が火を手に入れたことに纏わる神話だそうで、個人的なものを超えた力強さが全編に漲っています。
「SF交響ファンタジー第1番」の解説によると、ゴジラは「人類愛と文明科学への妄信への反省」が根底にあるらしく、この作品にも似たような意味を感じます。伊福部さんは科学の原点といいますか、火を手に入れた瞬間の開けた未来と原罪の様なものを書かれているのではないかと思います。
荘子に機心なんていう言葉がありますが、老荘の思想が追求するテーマと被っている所があるかもしれませんね。

天地開闢といいますかバベルの塔といいますか、そういう劇的な旋律がオスティナートされ、オスティナートがまたオスティナートされます。自己相似形の大海のなかで運命が裂け目作ります。

ただ、楽しむ音楽ではないので、横の十歳ぐらいの男と横の姉と思われる人は寝ていました(^_^;)元が舞踏音楽である、ということもあるかもしれませんね。何度も聴いて体に慣らすと、病み付きになるかもしれません。

ちなみにこの方たちは家族で来ていたようで、当日売られていた伊福部筝曲の楽譜を抱えていて、日本の未来の明るさを感じました。

曲は、次第に静かになっていく感じで終幕。

「リトミカ・オスティナータ」は山田さんは暗譜。勝手知ったる感じで、ゴジラのように気迫がありました(笑)野坂さんに匹敵する位のエネルギーの発散具合で、(東洋的な意味での)狂的な要素を持っていないと、伊福部作品は弾けないのかも知れません。
楽譜の違いなのかもしれませんか、ゴードンさんが主題を弾くと隨分雰囲気が違うのが、面白いです。まろやかな感じになりますかね。大きな人で、椅子がやたらと低い感じなのが、ちょこんとしていました(笑)

古代的なものを醸しながらもプロメテよりあっけらかんとしていて、カンブリア大爆発、といいまか、周囲に三葉虫が這っている様な感覚がしました(笑)
解説によると「韻文は5・7・5の奇数(中略)音楽ではなく韻文の持つ奇数律動をモティーフとしました」「執拗に反復することに依って吾吾の内にある集合無意識の顕現を意図しました」とのことで、旋頭歌的なものが歌われるような場を、集合無意識的な意味で再現しているのかもしれません。

また、「敢えて、この様な厳しい制限を与えたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「力は制限に依って生まれ、自由に依って滅ぶ」と云う言葉への憧れが心底にあったからに他なりません」とのことですが、心底の本音なのか原初的な事をやるのに当時はこれだけの理論武装が必要だったということなのか、、、。
戦後は思想的に深そうに(みせる)作品がたくさん作られましたが、結局プロメテ等を上回る分厚さを伝える作品は知りません。

「SF交響ファンタジー第1番」は簡単な様で難しい曲で、下手すると一本調子になりがちなんですが、最強奏の中に微妙なニュアンスが息づいていて、流石でした。やはり有機性ですか。そういう所が無いと面白くないんですよね。
アンコールは再び同曲の最後の部分を演奏して、終演。
編曲の石丸さんへの拍手も暖かかったですけど、終演後の会場の雰囲気が、やはりとても和やかなのが伊福部さんの演奏会の特徴です。

「真の教養とは、再び取り戻された純真さに他ならない」は「音楽入門」の扉に掲げられたゲーテの言葉ですが、老子が家学で神主の家系であるという伊福部さんにぴったりの言葉です。
その言葉を体現した氏が、更に人類が取り戻すべき純真について、思惟し乱舞し続けた演奏会だったような気がします。山田さん、ゴードンさんを始め、みなさまお疲れさまでした(^_^)

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