ラトル指揮 幻想交響曲

#その他音楽

前に新宿のタワーレコードに行ったら、ラトルのキエフの大門が流れていました。遅いテンポでこれでもか、とばかりに変わった演奏を繰り広げているのですが、何か納得がいきません。確かに目一杯やっている、しかし、何かエキセントリックな感じがしない。例えばヴァント等は普通の曲を普通にやっていても、何かおかしい、変な感じがするのですが、ラトルは変な事をやっても変な事をやっているようには聴こえない指揮者だと思いました。それは変人振りに腰が入っていないからだと思います。本人の深い所から滲み出てくる表現ではないからではないでしょうか――――――。

ラトルが切れる指揮者だというのが、プラスになっている演奏だと思います。ベルリオーズはオーケストレーションの妙が強調される作曲家ですが、管弦楽の扱いが上手くても、例えばデュトワとかでは甘ったるさが先行して余り良くないと思います。モントゥー盤が名盤だとされるのも(僕も好きですが)、彼が意外と一直線的な迫力も兼ね備えている指揮者だからでしょう。ラトルはモントゥーに加えて芝居っ気があって、色彩は極めて鮮やかです。

でも第1楽章はやっぱり綺麗過ぎる所も有ると思います。所々のざわめくヴァイオリンにはもう少し異な色彩があっても良いと思います。
やっていることが極端な割には音色は澄んでいる、というのは良くも悪くもラトルの特徴のようです。

第2楽章は冒頭のハープが中々蠱惑的。緩急強弱自在で舞踏のリズムが見事です。
踊っている人のふわふわの衣装の手触りまで感じさせるような演奏ですが、ディズニー音楽的な感じも一方でします。そういう良さが有りますが、幻想交響曲としては疑問もあります。途中の極端なアッチェランドも、ラトルらしい。

第3楽章は遅いテンポでの弱音が徹底していて、良いですけど、個人的には全く寂しさとか強い情念を感じ無いですねぇ。それはラトルが常に音楽を流し続けてしまう指揮者だからだと思います。本当の意味で沈黙が無い感じです。
8分辺りの掛け合いは、躍動する低弦が見事。ベルリンフィルの長所が良く出ていると思います。

第4楽章はティンパニが上手いですねぇ。ベルリンフィル、うまいなぁ。
この楽章は演奏が少し扁平な気がします。

第5楽章も音の高低、コントラストは有るんですけど、何かが伝わって来るというよりは、うるさく感じる所も所々。
5分半辺りも、錯綜しているのが魅力的な部分ですが、リズムで割り振られてしまっている感じで、整理され過ぎていると思います。

所々極端な試みも有りつつ、派手で爽快で、現代的な聴きやすさも備えた、平凡ではない演奏だと思います。
しかし、幻想交響曲の持つ、どろっとした違和感のある部分、鮮やかなのにどこか古色を感させるような部分、といった本来の魅力と言えそうな部分は均されてしまっている演奏だと思います。

「クレオパトラの死」はグレアムさんの気合が入りつつも自然な歌唱が良く、ラトルは引き立たせる為の伴奏に、細心な感じで徹しています。こういう所に、最強の職人であるラトルの本来性が垣間見えます。

キュビズムの所で偶然にもちょっと触れましたけど、ところでヨーロッパの諸科学・芸術は、論理的であるようでいて、片輪にキリスト教があるわけで、実は論理的な所と非論理的な所のバランスが良く取れているんですよね。モーツァルトはフリーメイソンであったわけですが、そういう場合は彼らの身分の低さが、自由な音楽を作るのに一役買っていたわけです。同じく社会的立場が低かった、往年の名指揮者の不良性が、音楽を豊かにしていたんじゃないか、ということは宇野先生が良く言っている説です。

戦後、音楽家の社会的地位が向上して行った訳ですが、そうすると、楽譜の論理性に対する非論理的な部分が弱くなってしまった。消極的な意味で楽譜に忠実な演奏が増えて、詰まらない演奏が増え、いつの間にかクラシックの音楽界の中でのシェアが低下していた。これがクラシック界の現状だと思います。

ラトルは最近色々、珍奇とも言えそうな演奏をしているようですが、彼の行動からはこの流れを変えたい、という衝動のような物を強く感じます。しかし残念ながら、確乎とした方向性は見つかっていないのでは無いでしょうか。

こういう時に我々が何をなすべきか、といえば、質や伝統・論理的な部分を踏まえつつも、なるたけ自由な演奏を行い、聴き、褒め称える事だと思います。
更に日本人としては、変化する西洋から学び続けつつも、日本的な美意識、洗練に対する嗅覚、といったものの深い所を身に付けて、それを発信して、音楽界の価値観を豊かにする。全員が全員でなくとも、全体としてそういう事を確りやって行く。演奏でも評論でも、そういうことを基礎に置いてきちんとやっていけば、21世紀に日本は音楽界を豊かにした国だ、と世界から評価されると確信しています。

坂本龍一さん等は、こういうことを強く念頭に置いて活動されている一人だと思います。以上は日本に限らない話ですが、伝統あるアジアの国々は、こういうことをしていくべきだと思いますよ。ひいては何か、ラトルの助けになり得るかも知れません。

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