上野の森美術館 没後40年 レオナール・フジタ展

#その他芸術、アート

行って参りました。
展覧会をやっている事すら、この前まで知らなかったんですけど、前に行った青山ユニマットで感銘を受けたというか、何か肉声を聞いたような、そんな気がしたんですね。
この前の「薔薇」ですとか、洋風の外観を保ちつつ、そこに日本絵画から受ける感動の様な物が、無形のものとしてフィードバックしているのが感じられて、その象徴とかに頼らない文化の生かし方にやや驚きました。
私の種々の日本美術を観て感じたものが、勝手に光るように反応して、それをフジタの絵に対する割符のように感じたのです。

日本趣味といえば、炭坑節とか民謡が入っている事で有名な外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」という曲がありますけど、民謡がもろに入っているような路線は恥ずかしい、というような人がいて、私はそんなことは無いでしょう、と思っていたのですが、フジタの様な本質的な日本趣味と比べる時に限れば、少し恥ずかしいのかもしれません(笑)

ちなみに「ポニョ」では「管弦楽のためのラプソディ」っぽい曲が流れていましたね。主題歌もそっくりの元ネタがあるようですし、所々で流れているクラシック調のBGMも、どこかで聞いた事があるような気がしないとも限らないようなものがありましたので、もしかして、「ポニョ」の音楽は微妙にクラシック縛りで作曲されていたのかもしれません。

フジタといえば、昔ブックオフで立ち読みした本に、フジタは日本に対して複雑な感情が有ったから、日本では展覧会が開かれないのだ、との旨が書かれていたのですが、最近は良くやっているようで、理由は分かりませんが慶賀の至りです(笑)

初期作品の「夢(夜の風景)」はモディリアーニの影響を受けた絵ですが、なんとなく歌麿風の表情に見えます(笑)とはいえ、ここら辺はまだ、強い個性を確立するには至っていない感じですね。

「自画像」は本人が執念を持って手元に買い戻した作品らしく、覗き込むタイプの浮き上がる写真を思い起こさせるような、艶やかな良い絵でした。

「アトリエでの自画像」は何気無い製作風景を描いているようですが、良く見ると変なベルトをしていたり、猫の表情も丁寧に描かれていて、所々にアクセントがあります。山下清は遠くから見ると楽しい画家だと感じましたが、フジタは寄って細部を良く見ると楽しい作家のように思います。

「半身裸婦像」は墨で描かれた、いわゆる水墨画ですが、女性の凛とした姿が美しく、仙厓さんファンとしては水墨画もここまで進歩したのか、と感慨を禁じ得ません(何
クレオパトラ、といいますか、小野小町を思わせる美しさで、是非、こんな方にお仕えさせて頂きたい、と思わせます。

有名な乳白色の画風が極まりつつある頃に製作された、目玉の大作の「構図」と「闘争」は60年間放置されていたらしく、驚異の修復作業を記録した映像が上映されていました。素晴らしく綺麗になっているのですが、カンヴァスの横を見ると、洗浄され残したと思われるカビが点々と付いていて、かつての惨状を想わせます。
置き土産として、ユキさんに残したものなのだそうですが、一体何処に置かれていたのでしょうか・・・?(パリ郊外らしい)

「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」は静的な絵を、猛獣を内に秘めた緊張感が覆います。
「闘争Ⅰ」「闘争Ⅱ」はミケランジェロの「最後の審判」っぽいですが、実際に影響を受けているそうです。真ん中でみんな戦っているのですが、血が出ていたりとかは無いので、殆ど北斎漫画のノリです(笑)
中に腕ひしぎ十字固めをきめている人が描かれている辺りが、日本人のアイデンティティです。実戦と総合格闘技の違いを聞かれて、路上で寝っころんで腕ひしぎなんてしないだろ(笑)、と言っていた人がいましたが、この絵の中では80年前の大正ロマン(大体)として存在しているようです(笑)
絵の端っこに男女が我関せずとばかりに居たのが、面白かったです。
みんな裸なんですが、局部は全て丸出しで、形状が注目されますが、全て皮に包まれていました。生物学的にはこちらの方が多数派だそうですし、イスラエル周辺でもない、ということが言えるかもしれません。
この二作は本当に見事で、観ていて中々飽きが来ない絵です。

「馬とライオン」は下書きだけの絵で、この絵を分析することによって、今まで墨だと思われていた、フジタの量感を出す表現に使われていた素材が、実は油彩であったという驚愕の事実が判明したそうです。この話を聞いて思い出したのは、伊福部昭さんがフルートに笛の模倣をさせていたことで(誰が始めたかは知りませんが)、一流の先端クリエーターは、結構何かこういうバランスの良さを持っているものだな、と思いました。ZUNさんも「和風がテーマ」の「和洋折衷」で作っているそうで、発想の根っことしては同じ様な意味なのだと思います。

「猫」は猫の野獣性に焦点を当てた作品で、飛び上がるさまは暁斎もかくやと思わせます。

ここから先は戦後の作品。フランスに引っ越して、カトリックの洗礼を受けたそうです。
「イヴ(09-03)」は胸のぽよんとした感じが良かったですが、写真に勝るのかといわれると分かりません(笑)

広告に刷られている「花の洗礼」は、花が落ちていく曲線の優雅でたどたどしい感じに、フジタらしさを感じました。

戦後の作品は戦前と比べると今一ぴんと来ないな、と思っていたのですが、「十字架降下」を観て俄かに、ああ、と思いました。取り囲む人達のキリストに送る視線が切実で、ここでは文化であるとか、生活とかではなくて、あるのはキリストに対する信頼だけなのではないかと思いました。
フジタの祈り、そのものを感じました・・・と思っていたのですが、何か釈然としません。
キリストを取り囲んでいる人達が女性ばかりなんですよね。しかも「十字架降下」にしても「キリスト降臨」にしても、キリストを取り囲んでいる天女を除いた女性の人数が5人なんですよね。これはフジタの奥さんの数と同じです。
・・・・・・。
フジタの絵は色々深読みできて楽しいですねぇ(笑)それと周囲の女性達は、女性というより母性的なものを漂わせていた人が多かったと思います。

フジタは最後の仕事として教会を建てたそうで、「スタンドグラスのための下絵:聖ベアトリクス」が見返り美人風の構図の美しい絵。「フレスコ壁画のための習作:磔刑(聖人たち)」の中にはフジタに似た人が描かれていました。「最後の晩餐」でもイスカリオテのユダの横にいる人がフジタ顔でしたけど、まぁ、趣味なんでしょうねぇ。

ステンドグラスはこの展覧会の為に特別製作されたものがあって「ステンドグラス:聖チェチェリア(再製作)」がとても美しかったです。下書きも良かったですが、楽譜が弾かれて交響曲になったような美しさが鮮烈でした。

「構図」「闘争」は暫く来られない感じだそうですし、フジタの変遷を辿ることが出来る、良品の多い、良い展覧会でした。立脚点が複雑で、仕掛けの多い作家なので、勢い感想も長くなってしまいましたが、もし全部読んでくれた方がいらっしゃいましたら、お疲れさまですと申し上げたいです(笑)

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