太田記念美術館 浮世絵猫百景 -国芳一門ネコづくし- 後期 その2

#その他芸術、アート

宮城の聴取会はやらせそのもののようで、例えばアンケートを取る際は街頭のものでも、縁者に関係者はいないかと聞かれます。基本中の基本ができていませんし、元々する気が無いのでしょう。

そもそも三つにカテゴライズされているところから猛烈におかしく、メディアは決めた個人を突き止めて報道するべきだと思います。

アリバイ作りに使われて悔しい、と参加者の方々が仰っていましたけど、これはテレビでも常套的な手段で、TPPでも増税でも反対派をちょくちょく置いて推進VTRとかをガンガン流すんですよね。それでアリバイを作ったということになるのですが、それはおかしいのでないか、と多くの人が強く感じ始めていると思います。

7月16日の報ステでは飯館村の特集をやっていましたけど、やはり、自分たちの家はいつ建つのか、という避難されている方の言葉が重要でしょう。
家が建たないのは、解体・売却をせずに、国が東電を生かすことに決めたので賠償費用を節約しようとしている為、というのが一番の核心であるはずなのに、そういう報道はありませんでした。
原発が壊れた原因は地震も大きいのではないか、という部分は熱心にやられるのですが、それ以外はかなりピンボケで遠慮がちな、ぬるい面が目立つのではないでしょうか。

7月17日の報ステでは避難指示の20キロの根拠についてやっていましたが、結局少数の人が決めた、という話しになって、個人は浮かび上がらなかったと思います。その一つ前の活断層のニュースについても、活断層を無視した一人一人について情報が追加されるべきだと思います。

同じ日の猛暑のニュースでコメンテーターの三浦さんは徒然草を引いて、日本の住居は夏を基本にできている、といっていましたけど、東北・日本海側を軽視しすぎでしょう。前に似たような文章を読んだ記憶があるので、それの引用かもしれませんが。

7月17日の朝日新聞の一面広告は経済産業省の節電のお願いで、ジャーナリズムなら火力を止めている矛盾を横のコラムなりで突くべきだと思います。テレビの報じる電気予報は88パーセントで、そのまま報じる姿が観ていて恥ずかしいくらいです。

関電は火力を止めて供給量をギリギリにして節電を要請。NHKを始めとしたテレビはそれをそのまま流します。「電力不足の懸念がぬぐえない」という表現に、ごまかしを感じさせると思います。

昨年には東電が出した数字をそのまま正しいと受け取っても、節電はピーク時だけで足りるはずなのに、長時間の節電を要求し、テレビは何も異議を唱えることもなくそのまま伝え、たくさんの人々が熱中症でなくなりました。

今年はそれに対しての何も振り返りもなく、同じく節電キャンペーンを繰り広げ、関西電力は民意のダブルスコアでの反対にもかかわらず、再稼動にこぎつけました。

去年のなくなった方々に対して、責任を持って、報道を振り返る特集を組むべきだと思います。

去年も今年も発送電分離をして個人の電力を吸い上げられればかなり助かるんですが、テレビは節電と電力不足を強調するだけで、この問題の解決方法について提案しないんですよね。

nhkは先ほども技術者が育たない、世界への責任云々とか自前で寺島ロジックを展開していましたけど、そもそも以前から未来が無い事を知っていて人材は集まっていないらしく、中身はアメリカのコピー技術です。廃炉に向けても技術者は必要ですので、技術者を迎えるだけの待遇があれば良いと思います。

推進しないと育たないというのであれば、戦争しないと陸軍将校が育たない、みたいな話だと思います。もしくは石炭をやめると石炭を掘る技術が衰える、とか。

国と一体化して、無理矢理推進にもって行く、愚かなジャーナリズムの姿に、そろそろ気づいてもらいたいと思います。

デモは良い感じになってきましたけど、やっぱりテレビの電波に乗ると、波及効果や安心面の点でかなり違ってくるなと感じます。なんといっても数秒を何百万も出して買い取る世界ですから、特集の効果は計り知れません。
自己満足ではないかという批判もあるようですが、今までデモが無いと嘆かれてきた日本で、こういう批判が出るのはある意味驚きです。
確かに現象面だけを見れば具体的な政策決定に繋がって行くプロセスがみえませんが、やはり何より意見を表明することが大切で、悪い意味で具体的な利益に繋がっていかないと動かない、現代人の考えが疑問に繋がっているのではないかと感じます。

勝海舟は「昔の人は、今の人のやうに、人目に見えるやうなところに頓着しない。その代わり誰にも見えない地底へ、イクラ力を籠めたか知れないよ。昔と今と違ふ所は、ここだよ。」(氷川清話 講談社学術文庫175ページ)といいますけど、デモについてもそれ位の気持ちで良いのではないかと思っています。やっぱり大切なのは、実のある意味での厚みの積み重ねだと思うのです。

それにしても、そういった類の話をしてもまったく乗ってこなかった親戚のおばさんが脱原発を熱く語り始めるようになり、おそらくテレビの影響でしょう。絶大な力で、流れを作りますよね。

もっと不買運動とか強硬な運動を展開した方が良いという人もいますけど、そういう意味からも色々な人が同意できて、意志を表明しやすい集まりにすることが非常に重要だと思います。
物事には必ず反動が付き物で、羽生さんですとか、最強の手段は最善の手段ではない、とよく言われますけど、こういったことにも、外交にも良く当てはまることだと思います。

しかし、ニコニコで金曜日のデモの中継は、有料会員ではないとちゃんと観られないとは・・・・。ちょっと先行きはまずいと思います。
フェイスブックも、そもそも有名な作った動機がふざけていて経営陣の人間観がうかがえますよね。当初のハーバードの横の繋がりが売り、というのも、あえていえば、旧パラダイムど真ん中で、流行っても登録するものかと横目で見ていたのですが、このまま失速しそうですね。上手くいくようなことがあっても本格的な企業になるのは難しいと思います。

カンブリア宮殿では吉田かばんをやっていましたけど、修理を丁寧にやってくれるみたいなんですよね。
ソニーも修理を丁寧にやるような企業になれば復活すると思うんですよね。それは消費者に対するホスピタリティの姿勢を規定する部分であって、技術者が持つべき意気地だと思うのです。

野田が無能だということで、政経塾系の人は社会を経験していないからではないか、という意見を聞きますけど、それだと経団連・マスコミを始めとしたほかの原子力ムラの人達は社会経験が豊富ということになるわけで、本質的な批判ではないと思います。
やはり日本全体で人を育てて行くシステム・文化が壊れている。これを良く観て立て直して行くのが、一番本質的だと思うのです。

厳しく言えば、そもそもマニフェストと言い出したところでおかしかった。公約と違わないのではないかという意見は当時からありましたけど、何も考えずに海外のものをファッショナブルに持ってきました、という雰囲気は横溢していました。

シロアリ退治どころが餌をやっているともいいますが、自身がシロアリになっているのではないか、とも思う今日この頃。
最近刺客を送るとか手法も小泉政権に似てきたといいますけど、メディアと組んで情報を流せば大丈夫だと思っているのでしょうけど、あの頃とはインターネット論壇の成熟度が段違いなんですよね。
功利的な面からだけみても、やっぱり情勢の変化に的確に対応できていないと思います。

しかし東電料金値上げは政府が国民に賠償を負わせるために決めた、という事を報道しないのは、今までの中でもかなり罪が重いほうだと思います。

行って参りました。

滅多にないくらい混んでいて、猫ファンが終結しているという事でしょうか。いつもと客層が微妙に違うような気もします。

「流行猫の曲鞠」は菊川国丸という蹴鞠の名人の動きを猫で再現したものらしく、現代のサッカー選手の動きといって違和感はありません。蹴鞠とサッカーというと冗談みたいな話になりますが、意外と似た様なものなのかも。

サッカーも開催されるといえば、雑学家族はオリンピックでしたけど、オリンピックは理想的に語られることも多いですけど、競技会中を狙った戦争であったり(最近ではロシアが北京オリンピックの時にグルジアに侵攻した)、排除されるものも多く、お祭りなどで競い合う風習は世界各国にあり、一地域の伝統(神話)を背負ったオリンピックという名称は百年以内に変るのではないか、などと思っています。

白川静さんはオリンピックの祭りの側面に光を当てていて「ギリシャの都市国家のいくつかが競いあっているという時には、ああいう競争的な形で行われることが必要であったかもしれない。」(文字講話Ⅱ 99ページ)らしく、それに較べて日本の祭りは融和的だとのこと。国際社会の関係がより融和的になれば、オリンピックの内容、位置づけ、名称も変ってくるのかもしれません。

続く文章には「やはり神とともにうち興じて、勝敗も何も無しに楽しみあうというものが、本当の祭りであると思う。」(100ページ)とあって、オリンピックのノモス性に対して日本の祭りのイデア性を強調しているとも取れる文章です。

日本の時から、ばらばらに入場するようになった、といっていましたけど、日本らしいといいますか、閉会式直前に日本酒を振舞う国もないでしょうね。

日本はそのそも美意識的にはばらばらが好きですし、お酒の国でもあります。

開会式の行進はやはり軍隊そのものだと思うんですよね。終わったら武装解除するのは当たり前で、本来そういう歪んだ男性原理からは最も遠い国である日本で、ばらばらになったのは当然でもあると思います。

大阪万博の反文明性など、戦後のこの一時期は日本の良い伝統が、せめぎ合いながらもいくらか発揮されていたと思いますね。

7月7日のANNはスタジオでもインタヴュー先でも白がかわいらしかったです!
7月8日のANNは町の上品なお姉さんといった感じの親しみやすさが良くて、7月14日のANNは、熱帯の蝶々にいるような、深い紺色が、つやのある輝きを放っていたと思います!

「名誉右に無敵左り甚五郎」は風神雷神閻魔様関羽といったものが描かれているのですが、禁制を潜りぬけての役者絵が本質なのだそう。真ん中に描かれている左甚五郎は国芳自身らしく、後姿にカリスマ性を感じさせます。

色んな人が出てくるといえば、音楽の日は西田敏之さんが流石に気合はいっていましたね。専門家でないともいえますが、ああいうのを歌というのだと思います。

まとめは、大島さんがかわいらしかった、ということで良いと思います(^_^;)

柏木さんは、誕生日おめでとうございます!!

CDTVは開いた背中とか、上品でかわいらしかったと思います!踊りはこういう振りでちゃんと踊れていますけど、もう少し肩に表情があると良いのかも。たとえば右手を前に出す時とか、左半身を残しつつ、右手を肩甲骨を巻き込むように前に出すと、動きに深みが出ると思います。他にもちょっとした手の動きでも、小手先ではなくて、肩甲骨ごと動かそうとすると見栄えが良くなると思います。

マイケルジャクソンの踊りをみると良くわかるんですけど、肩甲骨のダイナミックな動きに、踊りの魅力をかなり頼っているんですよね。凄く肩が良く動く。中井君とか真似しますけど、もちろん動いているように見えるところもあるんですけど、その点物凄く差がありますよね。

しかし、ボディバランスはやっぱり、グループの中でもかなり良いですよね。

サンデーの写真はにこやかな感じで、お肉の付き方も健康的だったと思います。みんな頭の中で勝手にパーティが始まっていたと思います!他の二誌と較べても露出が大きくて、青少年の健全化に貢献していたと思います??!

フライデーの写真も良かったんですけど、正直に言うと少し物足りない所も。。。。大島さんのを出して較べてみたんですけど、親密な生々しさといいますか、そういうのがもっとあったら良いな、と思ったんですけど、それではアイドルアイドルした意味ではアイドルっぽくないのかもしれませんね。

柏木さんは腹黒っていわれますけど、僕はむしろ、たまに正直な事を他の人より言うから、それでそういう印象を与えているんじゃないか、と思っているんですけど、整ったものしか出してこない、という点では、ファンとしては腹の底がわからない、という印象も感じるのかもしれません。

心をそのままぶつけたような写真もあると、良いと思います!こういう媒体ですけど、大人を魅了する表現力が欲しいと思います。

でも、チェックのスカートで坐ってる写真とか、良い笑顔だと思います!

MJも悪くないしかわいらしいんですけど、全体的に薄くて感想が書きづらい感じ・・・・。もう思い切って、よこのあきちゃさんとか、もっと暴れた方が良いのかも?!

大島さんは、魔法かけて?の写真は雰囲気が素晴らしいと思います!

みぃちゃんの自動車部はお尻を抑えながら夕日に向かって走っていくところですとか、たしなみがあったと思います。過去のシーンとか結構流れましたけど、みぃちゃんのファッションセンスは結構好きですねぇ。

みみちゃんもとてもリアクションが上手かったと思います!傘を差したりたかみなさんに抱きついたり、とても良かったと思います。表情も雪をかぶった感じで、冴え冴えとしていたと思います。

ブログの浴衣もとてもかわいいと思います!

りのさんは、元気だと反省していないと思われる、といっていましたけど、反省していないと思われるのは、本来はやめるルールなのにやめていない以上宿命で、元気なのとは関係ないと思います。
ファンと向き合う気があるのなら、心からの申し訳ないという気持ちから出てくるコメント以外、するべきではないと思います。

本当に申し訳なく思い続けるのが、一番の幹で、反省しているように見える見えないは、枝葉であってむしろ気にするべきではない、という発想が重要だとおもいます。

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