どおも、こんにちは。こちらは無事で、家の被害も僅少で本とペンが数個落ちたくらいでした。
当日に岩手の親戚に連絡したんですけど、家の中は食器棚が倒れて大変だそうで、停電で何の情報も入らないのだそうです。電話が繋がったのは、旧式だったのが幸いしたみたいです。
岩手の親戚については、今日、全員無事が確認できました。
誰にどのような声をかけて良いかも分からないのですが、大丈夫ですので、言い難いのですが、安心してください。亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りいたします。
江戸時代では安政大地震の後に、「鯰男」フィーバーという訳の解らないドンちゃん騒ぎが起きるのですが、災害都市といわれる江戸に生きた人たちの、知恵だったかもしれません。
「困苦艱難に際会すると、誰でもここが大切の関門だと思って、一生懸命になるけれど、これが一番の毒だ」(氷川清話 講談社学術文庫版328ページ)といった感覚が、住民全体に共有されていたのではないかと思います。
ただ、もちろんこれは心構えで、救援する人員の集中が遅れるようなことがあってはなりません。
通常通りの面白いテレビ番組を望む声も多いようですし、不謹慎であるという躊躇を乗り越え、どれだけフィーバーできるかが、復興の鍵かもしれません。
なにはともあれ、自然体というと難しいですけど、どこかに余裕を持ってお過ごし下さい。
ということで、適当に感想を書いたので読んでみてください。
行って参りました。
小林清親は明治の浮世絵師。しかし、浮世絵師としての修行は積んでいないそうで、そういう面では伝統と切れている人です。
「梅若神社」は元々お寺だった場所を、廃仏毀釈に伴って神社に改称した所だそうで、絵の静さも相俟って、非常に寂しいです。「両国焼跡」が町が焼けて煉瓦建築だけが残った図ですが、清親の絵はまさに江戸の残骸で、この絵は象徴的です。
「高輪牛町朧月景」は横浜の鉄道が闇夜の田園地帯を疾走するもの。
「その海舟が、明治を三十年もすごしたところで、ひょっとするとこの明治よりも徳川時代の方が民衆は幸福だったかもしれないと言いはじめた。これは大変なことである」(氷川清話 講談社学術文庫版391ページ)とあるのですが、海舟は晩年になると「今日は文明ださうだ」といった感じで、毒づきまくっているんですよね。これは海舟だけが持った特殊な感想なのか、といえばそうではないようで、似たようなことを明治の元勲の中にも感じた人は多かったようです。
これは司馬遼太郎さんが好んだ話で、そういう風に江戸に比べて悪い所が出てくると、元勲たちは自信が無くなってしまう。そういう時に横浜の鉄道に乗って、これでよかったんだ、と自分に言い聞かせる。と、そういうことをしていたそうなんですよね。
「明治以後に江戸期を捨てたことに、日本の不幸があったのではないでしょうか」(未公開講演録愛蔵版Ⅳ 212ページ)とあるのですが、司馬遼太郎さんは前にも申しました通り、江戸時代以来の日本の文化に、人を成長させる要素を認めていなかったわけです。「文化のほとんどが非合理です」(未公開講演録Ⅱ 213ページ)という考えで文章を書いていった。
また「ヨーロッパをあんまりきれいに見すぎているというわけですね」(未公開講演録Ⅴ 110ページ)といったことを、指摘されるような文章を書いて、また坂の上の雲のような、単品で読むと華々しい明治を描いたかのように読める作品を、書いたわけです。
その一方で江戸時代の良さというものを、誰にも勝って感じていたのも彼だったわけです。そこには矛盾があるわけで、普通なら葛藤が起きます。いろいろな所で、読者と割符が合わない云々、とぼやいていますけど、そのことがとりあえず、それではないかと思います。
先ほどの元勲たちの姿に、いくらか自分を重ねる所があったのではないか、と思います。
それにしてもこの矛盾を放置する姿勢は、日本のいたるところに存在してしまっているのではないかと思います。
原発については、そんなに安全安全というのなら、東京に造れ、というのが東北人の声で、東京に造らないのは、やはりリスクを意識しているからである。一方で東北に対してはリスクは無いといって、徹底した安全対策や、間違えた時の予行練習をしてこなかった。
そのことが、被害を拡大させてしまったのではないかと思います。
日曜日にサンデーモーニングで日本人は役所に頼るので自分たちで云々、と言うことをコメンテーターが言っていましたけど、田舎の人間は横の繋がりで生きているので、そういうことがあるとしたら都会の人間だけであろう。世界に先駆けて「がんばらない宣言」を発した岩手と東北は、軽やかな創意工夫と適度な団結心で、速やかに日本の首邑として復興するであろう!とおもいます。
光線画という影を主体とした作品が得意で「御茶水蛍」は、真っ暗な中にちらちらした蛍が綺麗です。ゴッホが日本画は影が無いから日本は明るい国なんだろう、と考えてアルルに引っ越したのは有名ですけど、やはり西洋的な技法に接近したものだといえるでしょう。
ただ光線画は次の「たばこと塩の博物館」でみかけましたけど、幕末からあるようです。
ただこちらはシルエットで、イギリスのシルエットの直接的な影響がありますかね。
「猫と提灯」は油絵的な表現で、彫りも流石です。「駿州湖日没の富士」の解説によると、狩の場面は浮世絵では取り上げられないらしく、東西の文化の違いが浮かび上がります。
外国の方が江戸時代を讃えた本があったので、ぱらぱら捲ってみたら、ベジタリアンの人で、そこを讃えていてなんじゃらほと思ったのですが、獣を余り殺したがらない発想の中には現代が学ぶ所も多いのかもしれません。
アナウンサーの方は、当日の自然体が素晴らしかったですね。
二日目以降の悲しみと勁さに満ちた表情も、気高く神々しくて、時に阿修羅像のようでした。
情報が入って来た時の動きも、他の人が挙動不審に陥ってしまうのに対して、群を抜いて美しかったです。
何を言っても不謹慎になりかねないので、言い難いのですが、私を含めた多くの人の心に明かりを灯したと思います。
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