江戸東京博物館 特別展 平清盛 その5

#その他芸術、アート

行って参りました。

丁度会期が一ヶ月しかなく、主催者はあんまりお客を集められないと思っているのかなぁ、と思っていたんですけど、かなり混んでいて列が前に進まないくらいでした。

町には清盛関連の本も最近は溢れていて、再評価が進んでいます。最早何でも再評価で、戦後ずっと現代人が一番優れていると思っていた人が多かったと思うんですけど、実はそうではないことにみんな気が付いてきたことが反映されているのではないかと思います。

それに加えて、短命政権ですから、中国でも短命政権は次の王朝に史書を編纂されて悪く書かれるのが通例です。三国志の曹操が典型だとよく言われます。

清盛もどうもそういうマイナスイメージが多く付きまとっているようで、それを丁寧に剥がして行けば勝手に清新なイメージが紡げる所があるみたいです。
カタログによると「平清盛ほど実際とかけ離れたイメージが定着している歴史上の人物はいないだろう」とのこと。

業績で特筆されていたのは、史上初めて武士の政権を誕生させたことで、最近は鎌倉幕府は二番目という説が定着しているそうです。

また文化的で慈悲深い側面もクローズアップされていて、展示されていた「平家納経」は絢爛で凄まじいです。清盛が書いた序文も見事で、池とかの小さく身近な詩情を讃え、これを和光同塵というのだろう、と書いています。美しい世界そのものが仏の説法である、ということだと思います。

後に伝わった禅の言葉で言えば「一切衆生悉有仏性」(一発変換)が似たような意味のようです。(道元「永平広録・頌古」 全訳注 290ページ)

毎度、司馬遼太郎さんは和光同塵という言葉を、和光は塵に等しい、という意味だとして「この国のかたち」に連載されていたのですが、後に私が仏教関係の本を読み込むようになって、このような意味で使われているのを一度もみなかったので、疑念が沸々と。

良く使われる意味はオンライン辞書で引くとすぐ出てくるように「仏や菩薩ぼさつが仏教の教化を受け入れることのできない人を救うために、本来の姿を隠し変えて、人間界に現れること」(goo辞書)でこの平家納経の序文はこの意味でしょう。他には、人を導く為にあえて才知を隠すことの様な意味にも使われていると思います。

華厳経の核心であるというのですが、何種か華厳経の注釈書を読んでみてもそのような記述はみつからず、華厳経の全文は読んだことは無いのですが(大部の書であって、余程マニアックに探さないと出てきません。華厳経は東海道五十三次の53という数字の出典になっているように日本文化と極めて密接な関係を持っているお経で、これが容易に手に入らないというのは、一見華やかなようにみえる出版界の意外な貧しさ。特に伝統文化方面の乏しさを表していると思います。)多分無いのではないかと思います。

司馬遼太郎さんは文化は癒しである、という事を強調していて、成長の糧になるという縦軸を認めなかった人で

サントリー美術館 美しの和紙-天平の昔から未来へ- 第5展示期間
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たとえば親鸞について、親鸞は聖などと付けて呼ばれたくなかったに違いない、ということをいうんですよね。

「聖」は宗教の最高価値なので、ここでは宗教的な価値(さらにははそれを目指した向上)を否定しているのではないか。そしてそういう要素を和光同塵の、和光は塵に等しい、という解釈に見出して、喜んで長文を連ねたのではないか―――――――。そんなことを感じさせる恣意的な間違いだといえるでしょう。

これ以外にも、これまでみてきたように、司馬遼太郎さんには怪しい変な説が多いです。
それをあえて解釈すれば、日本には例えば学術的に重要な、必要な翻訳をするより、何か新奇な説を唱えた方が学問の世界で栄達しやすい、という傾向があったと聞きます。医師でも実技的なものより論文が重視される、という傾向があるといいます。
飯田哲也さんも日本の官には成熟技術を無視して、目新しい技術に飛びつく傾向があるといいます。

そういった時代の精神がパロディ的にこの牽強付会な説に表れているのではないかと思います。

司馬遼太郎さんは独創性ということばを口にすることが多いですけど、もちろん独創性は大切なのですが、こういった事を踏まえていうなら、その「独創性」にはかなり怪しい要素が含まれているといわざるを得ないのではないでしょうか。

敢えていうなら、独創性とは結果であって、本来内的なものなのではないかということです。
司馬遼太郎さんの独創性は外面的な結果に着目することが多く、そういった点を無視しがちなのではないでしょうか。

展覧会に戻って、平清盛を知っても・・・・というような冷めた会話をしている人も表では見かけました。

現代のつながりということで言えば、貿易を推奨したのが室町幕府を先取りした先見性に満ちた点らしく、解説の映像で清盛からいきなり貿易立国日本に飛んだので、こっちもぶっとびました。

同時代人ということで西行の展示も結構あり、同じ北面の武士から片方は漂泊に出た、ということで、微妙にドラマチックな仕立てに。平家納経とかを見ると二人は隔絶した存在ではなく、かなりの程度の精神世界を共有していたことが感じられます。

「西行書状」は七福神に奉納する和歌の心得について、歌の良し悪しは関係なくただ自分の気持ちをお納めすれば良い、と答えた書状。

なんか茶碗が出てきたので、馬蝗絆に似た色だなーと思っていたら、馬蝗絆でした。展覧会で遭遇するのは五回目くらいですかね。今、本来ある東京国立博物館の東洋館が閉まっていますからね。
伝重盛所蔵らしく、平家の日宋貿易の成果ということでしょう。

おおっ来た!と思ったのは京都・峰定寺の「鳥羽院御願 不動明王二童子像」で、全体の迫力、繊細さと一目みただけで伝わってくる秀逸さ。
背後からせり出してくる火焔光背の、ぎりぎりで焦がしてくる様な雰囲気が素晴らしく、本体の勁さ精巧さも抜群です。

同じく京都・醍醐寺の「阿弥陀如来坐像」も極めて品があるしっかりとした作りで。華麗な光背が瞑想の深さ清らかさを思わせます。

「墨書磁器」は遺跡から出てきた自分の名前が書かれたと思われる茶碗で「遺跡が語る日本人のくらし 」((岩波ジュニア新書) 佐原 真 (著))という本によると、これを「属人器」と呼び、モンゴル・朝鮮・日本にはあって、欧米・中国にはない特徴的なものなのだそうです(123ページ)

「経石」はお経が刻まれた石で、当時はかなり有力な記録媒体だったのでしょうね。信仰心を感じさせるものですし。

清らかな世界を感じさせるといえば、火曜日のやじうまわいどは白と赤の上着が、蓮の花のようで味わい深かったと思います!
ふんわりと立っている姿が美しくて、芍薬の様でもあって、ぱっと飛び込んでくるような鮮やかさがあったと思います。

インタヴューでは松本選手の不思議なキャラクターをよく引き出していたと思います!

話の中でリアクションが品が良くて心根が表れていて、他の人達に振る時の声はとても優しいと思います。

水曜日はぴょこぴょことポジションを変える時の軽やかな動きが、かわいらしかったと思います!
スイーツを語るときのにこやかな声と、ニュースに切り替わった時の落ち着いた低音のギャップが、ぐっときました。

依田さんとか共演者に呼びかける声はどこまでも優しくて、台風が近づいてくるのに海にいるサーファーをみた時の悲しみの表情は、大気そのものが悲しんでいるように感じました。

この日の「きょうの説法」には笙が出ていましたけど、笙の縦の管は天の気を集めて高雅な音を出すための工夫らしく、市川さんの声は人の声でそれを実現しているとおもいます!
ANNと較べても寛いでいて、そういった個性がより素直に出ていたと思いました。観ていてとても楽しい番組だと思います!

服装はモノトーンが肌に馴染んでいて、抜群に品が良かったと思います!

7月28日のANNは青と白の鮮やかなコントラストの衣装が、さながら水泳競技場の神様のようだったと思います!
高温レポは暑さで大気が歪んでいて、ビックリしました。かわいらしいパンツルックだったので少し残念。。。

熱中症にも気をつけましょう、という台詞が慈愛に溢れていたと思います!

7月29日は白の衣装にスカートの赤の縞々の簡素な柄が、至純な雰囲気を強調していたと思います!
ご出張は、プールでの動きにカメラの人が付いていけ無かったのが残念でした(演出?)
まさにひんやりグッズのような服装と中継だったと思います。

8月4日は一転してワイルドな黒でびっくり。フラメンコダンサーのような、シックで渋い魅力があったと思います!

それにしても獅子舞みたいな恐竜でしたねぇ~。

主導的、とか少し噛んでいましたけど、お天気の時や朝の番組の方が言い間違いが少ない印象。感情を込めて読まれるのがとても上手いですから、逆に感情を乗せる必要が無いニュースは、そこまで得意ではいらっしゃらないのかもしれませんね。

犯罪系やそれに近似した意味での政治ニュースはサブの方に読んでもらうと良いのかもしれませんね。

競泳の100×4リレーはお祈りのおかげでメダルを取りましたね!しかし気が付いて調べてみると、200×4リレーが何の音沙汰も無く終わっていて、、、、人材が足りないか、投入できなかったんですかね?

朗読の「赤ずきんちゃん」も教え諭す優しげな感じが爆発していたと思います!

江戸初期に書かれた土佐左助の「平家物語絵巻」は現存する平家物語の中で唯一36巻揃っているらしく、場面は約七百。全て並べると940メートルもあるのだそうです。

かなり上手く絵の具も質が良いのか江戸琳派の残存作品並みに綺麗です。第二の狩野元信の発見でしょうか。

一度これを全部並べて懇切丁寧な解説を付けて展覧会をやってみるのも面白いかもしれません。さらに琵琶法師の方などを招いてイベントをやればもう平家物語マスターではないですかね?!

「源平合戦図屏風」ですとか、丁寧に描かれているのですが解説がなく、横のおばさま方が解説があればいいのにねぇ、と言いながら通りすがられていきました。

清盛関連の新研究のみならず、平安末期の時代展としてとても充実していたと思います。ありがとうございました。

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