サントリー美術館 歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎 第六展示期間

#その他芸術、アート

後期も、行って参りました。

歌麿の「狐拳三美人」は、丸っぽいポーズの肩付きがかわいらしい図。今は正座でやっている狐拳も当時は立膝でやっていたんですねぇ。
これでやってみると、土台が安定しないので、小手先の技が出しにくくなるような気がします。利を追及して、ちまっこい動作になってしまうのが、現代の狐拳サークルの悩みだそうですが、結構緩和されると思います。こちらが本来の姿なのかもしれません。

描かれている難波屋おきたさんは水茶屋の娘ですけど、お茶を飲むと、健康美人になるのかもしれませんね。
中村元さんによると「生まれかわるということは真実だと思います」(仏典のことば 岩波現代文庫版18ページ)とのことで、「皆互いに父母であり兄弟であります」ということをこういう言葉で表しているようです。
琳派は百年の時を経て転生し、後継者を生んできましたが、美人も200年+49日位で転生するのかもしれませんね。

やはり「大田南畝肖像および狂歌十二ヶ月」といった風流なお笑い物が充実していて、唐詩選のパロディ物といったのも、場面を変えて展示されていました。
「これはどうも日本の文学の中にね、こういう戯れ気味の気分というようなものがあって、それは{竹取}や{源氏}にもみえるし、{枕草子}にもみえる。狂言なんかには特に多くあらわれてまいります。日本人にはそういう、少し遊ぶという癖がある。私も若干はあるんですかね、どうも遊ぶ癖がある」(文字講話Ⅳ266ページ)「いったいに日本の文学は古代から必ず、「笑い」の側面をもっていた」(江戸を歩く 田中優子170ページ)ということで、こういうのは日本の伝統なんですねぇ。
こういう気分の先に、現代でも新しい伝統が生まれて行くに違いありません。

蕙斎の「浮絵東都新吉原夕暮之景」は画面半分を上空に割いた、夏の吉原を大きく捉えて、熱気を詩情に転化した絵。

蔦重といえば、最近「大科学実験」という番組が好きで良くみているのですが、(パラボラの回は綺麗でしたね!)この番組の合言葉は「やってみなくちゃわからない!」。非常に実証的な番組なんですが、タイトルによると、NHKがアルジャジーラと組んで作っているみたいなんですよね。
「当時のアラビア人は何でも眼に見えるものでなくては信用しなかった」(読むと書く 36ページ)らしく、こういう精神が受け継がれているから、こういう番組が作られているのではないか、と思ってみていました。

またそんな彼らに「うっかり抽象的な議論」(同 37ページ)をすると信用されないそうです。アルジャジーラはイラク戦争の時に、きちっと対論をするテレビ局として、有名になったと思うんですが、そこには具体的に聞かないと容易に信用しない、アラブの国民性が反映されているんだと思うんですよね。あるがままを見せる姿勢も、強靭だと聞きます。
今回の政変でも大きな役割を果たしている、と聞きますが、民族押しの私からすると、民族性をプラスに生かしてジャーナリズムの最前線で活躍している(推測)のをみると嬉しくなります。

見たものしか信用しないのがアラブの特徴なら、日本のジャーナリズムの特色は遊ぶ癖。もっと言えば危所に遊ぶ果敢さでしょう。蔦重は寛政の改革を風刺して身上を半分没収されましたけど、幕末では国芳の風刺が笑えて芸術的で果敢でした。これを引き継いだ暁斎は明治に投獄されていますし、宮武外骨がこの流れの人だといわれます。

しかし現代では、この分野は日本の弱点でしょう。メディア自体も、政界から子弟を受け入れているといいますし、報道されるべき情報が、調べないと入って来ないような感じになっていると思います。
現代でもいうべき事をいっている人には、伝来の遊ぶ癖がある人が多いように思います。
ということで、蔦重らの果敢さと、遊ぶ癖を研究することは、今にとって非常に重要なのではないかと思います。本音を言えば爪の垢を、何とか採取して、飲んでいただきたい。

写楽では「谷村虎藏の鷲塚八平次」が、じっと見ているとなぜか笑がこみ上げてくる絵で、今でいえば西田敏行さん風ですか。そういう役者自身の個性が感じられます。

かつて岩城宏之さんは文化に手厚い企業として、サントリーと出光を挙げていましたけど、確かにこの二つの企業は、企業としての内実には詳しくないですが、文化には手厚いと思います。
翻って最近の企業をみますと、非常にこの分野に関しては手薄いのではないかと思います。かつてライブドア事件がありましたけど、社会の仕組みがフェアに出来ていないのは、何も日本だけではないんですよね。そういう意味から実戦的なことについていえば、文化に手薄かったのが敗着だったと思います。福祉分野なり、文化に積極的に参入して、社会と密着する。潰してしまうと社会のいろいろな人が困ってしまう、という状況になっていれば、容易に手出しは出来なかったと思うんですよね。

文化の効用というのはこれだけではなくて、非常に奥深いものですが、顕在的なところについていえば、こういうことが言えるのではないかと思います。

そういう面からいいますと、今回TSUTAYAの後援でこういう展覧会をみられることは、非常に嬉しいです。蔦屋重三郎とその周辺の人々は、これからの日本にとっても大切な人だと思うので、是非バックアップしていただきたいです。かつての名経営者にみられたように、文化に対する本質的な理解は、経営と人生と社会に大きなプラスを齎すことだと思います。
面白い展覧会を、ありがとうございました(笑)

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