行って参りました。例年通り、ですが、藍川さんによると開催するか迷ったこともあったそうで、聴く方が気が気でないのですから、演奏される方々には心から感嘆いたします。
開演の前に藍川さんが涙ながらに開演する決意について語られ、一分間の黙祷。
まずは作品1にあたる「『ピアノ組曲』(1934)/ピアノ:田中順子」。
最初の「盆踊り」で伊福部音楽特有の地気が至る所から立ちこめます。これが、微妙に解り辛くも癖になる雰囲気で、「踏歌」でははすむかいの女学生が舟を漕いでいましたけど、そこら辺の波長があうと、もっとエキサイティングに聴けるかも!?
「七夕」は緩徐楽章ですけど、こういうときですから、鎭魂歌のように響きます。伊福部音楽は感情というより、魂を描いているような所がありますから、まさに魂が静まる雰囲気かもしれません。
「演伶(ながし)」はスケルツォ風の楽章で、おどけているようでも、どこか濃厚。不協和音なんかも挟まれてい、晦渋ではないんですが、ラヴェル、ストラヴィンスキーの次の世代の作曲家だ、という雰囲気があります。
合気道の開祖が良く、一歩は断絶であって半歩が良い、と言っていましたけど、伊福部昭さんというのは、異端ですけどやっぱり現代の作曲家であって、時代と半歩の距離を取っていたな、と思います。時代の系譜と関係なく民族音楽をやっていた、というような人ではないんですね。
私の場合、白川静さんと比較してしまうんですけど、氏も半歩の人だったと思います。氏のニックネームは「孤詣独往」の人で、もちろんそうなんですけど、「狂」という字を好んだ所にそういう所が表れているのではないかと思います。
「狂」という概念はご本人が良く引かれているように、フーコーの研究などがあって、西洋的な素養のある人にも分かりやすくなっています。
また「しかし、考えてみれば、誰からも好かれて、ニコニコしているような人間が、世界を動かすような思想を形成するということのほうが、ありそうもないことに思います。(中略)日本には、儒学の伝統があって(中略)立派な思想を打ち立てる人は、人柄も立派でなければいけない、という伝統があります」(木田元 哲学は人生の役に立つのか130ページ)とあるんですが、これは偏見であると思います。それは「巧言、令色、足恭なるは、左丘明これを恥ず、丘も亦たこれを恥ず」(論語 岩波文庫73ページ)と、そのような立派な人柄をきっちりと否定しているからです。松下村塾の人たちが好んでいたのが記憶に新しいですけど?時代と葛藤した中国の思想家にしても、東洋では立派な思想を打ちたてる人は、狂的な要素を持っているわけです。
東洋哲学は(表面的な意味で)調和的なものを常に志向している、という偏見があるんだと思うんです。「狂」というのは、そういう人たちに対して、東洋の知に対して興味を抱かせる言葉であると思います。
また、明治の文豪達が直面した課題ですけど、西洋的自我というものがあります。日本は一般に長らく東洋的無我と西洋的自我を違うものであると捉えてきました。しかし、それは本当か。
たとえばこの前感想を書いた仙厓さんの「らいさんやきいも画賛」ですけど、これは皇帝のお召しを焼き芋を焼いて無視した話ですけど、世俗的な欲望に惑わされない、という面からみると、無我の絵である、といえるわけです。また禅者としての自分を貫徹する、ということでもありますから、そういう方から見ると、仏教用語で言う無我の裏返しとしての大我。また、儒学風にいえば「狂」の絵であると言える。そしてこれは、プリンシプルといいますか、基本的に西洋的自我と同じもの――――しかもそれの、レヴェルの高いものであると思います。
こういう土台に今日的な素養を備えれば、国際的にも非常に立派な人だと思います。東洋的な無我。もしくは「狂」といったものを通して、(西洋的な)自我を養成するべきだ、と僕はいいたいです。
・・・というわけで、少しく長くなりましたけど、今日的にわかりやすい概念として「狂」というものを、押し出されていた面もあったのではないかと思います。
そしてそういう狂的なもののエキスが、伊福部音楽の中には濃厚に込められているのではないかと思います。
終楽章の「佞武多(ねぶた) 」は、熱狂的なオスティナートの連打。良い演奏になると折りたたんだ手が、ゴジラのように見えます。
ここで片山さんの解説が。今年は観客も少なめなので、マニアの総領的な雰囲気が際立っています。
今回の震災について伊福部昭さんだったら、何を言うだろうか、ということで話されていました。
伊福部さんは戦時中に木で飛行機を作るためにネジを放射線で圧縮する作業で被曝されたらしく、いろいろな所を火傷してしまったそうです。当時は放射線医学など存在しなかったので、ご自身の判断で、一年間北海道で寝ていたらしく、その後に上京されたとのこと。それを聞いて片山さんは、なんていう人なんだ!!と思ったのだそうです。
そういう伊福部さんは、アメリカ人は好きなんだけれども、アメリカ的な大量消費社会に疑問を抱かれていたとの事。
道東でランプを使って生活していた事もあるらしく、誰でも現代文明はけしからん、とはいえるんだけれども、その言葉が全て実体験から出ていて、とても重みがあったのだそうです。
ちなみに、伊福部さん自身は世田谷に住まわれていて、肉が大好きだったとの事。
またそのような体験から、太平洋戦争は科学で負けたとの思いがあったらしく、これからは文化だと思われたのだそうです。
白川静さんは、戦後まもなくは日本が文化力を発揮するべき時だったと仰られていて、似たようなことを言っている人を他に知らなかったのですが、伊福部昭さんは大体同じような事を考えていたようですね。
そういうことで、文明の逆。原点として、次の「2. 『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』 (1955) ソプラノ&縄文土器太鼓:藍川由美 (作曲者直伝の奏法による) 」の様な作品を作られたのこと。
思えば片山さんにしても、ペンネームの杜秀は故郷仙台から取ったものですから、そういう自分の立脚点のようなものを大事にする人が、集まったコンサートだったかもしれません。兼愛とか仁とか昔からいろいろ議論がありますが、人の愛とかそういうものは自分を中心に同心円状に層を成すのが自然だとも思います。真の公正さもそういったところから生まれるのではないでしょうか。
この歌曲は本来ティンパニなのですが、作曲者によると机を叩いても何でも良い、といっていたらしく、アイヌが太鼓を叩きながら歌う感じをイメージされているようです。
というわけで仙台市縄文の森広場でつくられた縄文土器の太鼓のレプリカを使われたそうで、藍川さんはアイヌの衣裳を着て坐って、上をちらちら見てから、巫女のような雰囲気を漂わせながら、歌われました。
そうなるとただの民族音楽になりそうですが、曲自体は現代のものであり、また、藍川さんの素性が良すぎるクラシックの素養が、截然と作品を今に呼び戻していました。
歌声は裂帛の哀しさであり、切々とした雰囲気が館内に満ちました。縄文太鼓は引っかいたり奏法が豊か。2番の歌詞は沈み行く雄鳥をみて、雌鳥が悲しそうに泣いている歌で、藍川さんが津波を思わせるといっていました。
滅び行くアイヌ民族が重ねられている歌で、まぁ、白川静さんもそうですけど、お二人とも異端の悲哀のようなものをご自身の芸術・学問の深くに内蔵されていることが不思議だったのですが、それは二人が傷つけられてきた日本・東洋の原風景そのものの方だったことによる、必然なのかもしれません。
それにしても、今回も日本は傷つけられましたけど、私たちがどうするべきかというと、やはりゴジラよろしく怒るべきだと思います。
第二次世界大戦にしてもノモンハンにしても最近の経済政策もそうだそうですし、勝っただけで日露戦争もそうなのですが、全て清算して新しい方向に踏み出すことに失敗しています。
ゴジラを模範にシリーズもので、粘り強く怒っていくしか、正しい軌道に乗せる道は無いと思います。
今回も急所はやはり、テレビ・新聞を中心としたメディアだと思うんですよね。
もしかしたら、ネット環境が幸いして、通例の方向性を打ち破れるかもしれません。
「3. 古代日本旋法による『踏歌』 (1967) ギター:稲垣 稔」は日本のギター曲をということで伊福部さんが作られたらしく、今は残っていない踏歌を想像を膨らませて書いたのだそうです。いわゆる反閇で、タプカーラとかと同系のもの。
伊福部節が良く出た作品で、オスティナートが続くうちに、ごぞごぞとしたリズムに燻されます。重厚な雰囲気の中での、ギターの音色が典雅で軽やかで、心を撫でます。
「4. 『ヴァイオリン・ソナタ』 (1985) ヴァイオリン:堀内麻貴/ピアノ:加納麻衣子」では堀内さんはチャイナドレスにズボンを穿いたような格好で登場。マンチュリアといいますか、モンゴルっぽい感じなのでしょうか。北海道に近いですから、チャイナドレス(っぽいの)は伊福部音楽を弾く衣裳として常にありえるのかもしれません。
この曲にもどこか東欧の雰囲気があります。伊福部音楽の汎ユーラシア性といえば、伊福部さんが東欧を好んだことですけど、これは良く理由が分かっていないとの事。
片山さんが思われている事の繰り返しになりますが、伊福部昭さんはあっちがドイツだから、こちらは東欧だ、といったような考えからはとても遠い人なんですよね。論語の「子の曰く、君子の天下に於けるや(以下略)」(岩波文庫55ページ)の表現が近いかもしれません。
前に読んだ文章なんですが、「ヨーロッパでもスラブ系の人たちって、感覚が相当、日本人に近いんですよ(室伏広治)」(齋藤孝 五輪の身体29ページ)といったものを、音楽の分野で感じられたのが伊福部昭さんだったのかも知れません。そういう汎ユーラシア的な感覚を内蔵されていたのではないでしょうか。
広がってしまいますが、そういう視点でいうと、逆に言えば、白川静さんの理論が、汎ユーラシア的なものの解明に、役立つ時が来るのかもしれません。
曲に戻って堀内さんは、お嬢さんっぽい方なのですが、テクニックは結構ごつごつとしたもの。迫力もなかなかあって、この曲はテンションが高いオスティナートが続くので、音が団子になりやすいのですが、今まで聴いた演奏の中で一番そういう弊を免れていたと思います。第二楽章の漸強・漸弱の扱いとかも、繊細で良かったと思います。逆に気になったところを探すと、ピアノより音がやや遅れて出る印象がありました。
アンコールはゴジラの「聖なる泉」。歌詞が不明な名曲を藍川さんとヴァイオリン・ソナタのお二人で朗々と演奏して、さわやかな終演。
今年はこのような時に開催で、伊福部先生の来歴のこともありますし、感情が募って言葉に出来ないものがありました。本当に感謝の一言です。ありがとうございました。
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