どうも、こんにちは。
今も微妙に涼しいですけど、そろそろ過ごしよい時期が来ますかねぇ~。
911から十周年ですね。振り返ってアメリカの衰亡が話題になっていますけど、イラク戦争を始めた主な理由は、石油利権と軍需産業でしょう。つまり極一部の利益の為に全体が犧牲になったわけで、これは今の日本の構図とそっくりともいえるでしょう。
アメリカの後追いをするな、といえるほどの立場かどうかはわかりませんが、おなじ轍を踏まないためにも国民全体で、情報を共有する必要があるでしょう。そのためにはやはりマスコミが重要で、記者クラブという政・官の手綱を解体することが急所なのではないかと思います。
世界史の興亡をみていて思うのですが、けっこう自滅さえしなければ、何とかなるのではないかと思うのですよね。イラク戦争もサブプライムも自滅でしたけど、中国の脅威ということをいう人がいますけど、競争的に捉えてもそんなに力む必要は無いと思います。
東洋の王道を守って、再生可能エネルギーに投資し、記者クラブを解体するなど制度を洗練させて、足元から積み上げていくことが出来れば、結構何とかなると思うんですよね。
そのために、ここで自滅コースの進路を取ることを、なんとしても止めなければならないのではないでしょうか。
関連する話ですが、リビアのカダフィ政権がほぼ崩壊したようですね!!カダフィ政権はCIAと結託していたようで、これで中東の革命が米国の覇権の揺らぎという共通項で括れるようになったのではないかと思います。
上杉隆さんですとかは、「アメリカは、中東戦略の一環として、チュニジアやエジプトの独裁政権を積極的に支援してきました。そのなかで、両国も民主化を緩やかに進めてきたのです。」(この国の「問題点」 ~続・上杉隆の40字で答えなさい~ 173ページ)とアメリカの政策によって民主化が進んだように書いていますけど、いくらなんでも論理に無理があるとおもいますし、アメリカに都合のいい論理です。
「結局ギリシアの「自由」という大義にもかかわらず、アレクサンドロスは自身の利害に合致すれば僭主制でも支持したのだ。大義名分と現実政策の乖離といえばそれまでだが、自由の名のもとに独裁政権を支持するのは現代のアメリカも同じこと。」(アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史) 森谷 公俊 (著) 136ページ)らしく、今回の中東もそれ以上のものではなかったと思います。
「チュニジアもエジプトもアメリカの中東政策のおかげで、インターネットを広げることができたといっていいでしょう。」(この国の「問題点」 ~続・上杉隆の40字で答えなさい~ 173ページ)と書いていますが、北朝鮮のような政体だったら駄目だ、という事を書いているのでしょうけど、だからといって、アメリカのおかげとはいえないと思います。
やはり、色々な流れが交じり合いながらも、アメリカのくびきと表現して良いのか分かりませんが、その影響下を脱した出来事だったといっていいでしょう。
TPPに対して批判的なのは良いと思うんですが、上杉隆さんの批評は、アメリカに対する批判的な視点を余りにも欠いていないでしょうか。
その結果、情報が伏せられていたり、とても歪んで出てくることがあると思います。
911の十周年に際しても、イラク戦争の愚かしさ(もしくは素晴らしさ)について語った、という話は寡聞にして知りませんし、その時にジャーナリズムが果たした役割について振り返るのは、アメリカの報道を一つのモデルとして活動されている人として、必須のことだと思うのです。
もしくは都合の悪い事は書かない、ということがアメリカのジャーナリズムにも、広く存在するのでしょうか。
自由報道協会で会見をしたことがある細野大臣が、除染の専門委員会を原子力村で固めたそうですが、ここを強力に追及できるか否かが、一つの試金石になるでしょう。
とはいえ検察が強制捜査をしないのは、筋が通ってないと思います。検察庁から東電に天下りが行っているといいますが、やはり拝金主義の結果として動かない、と考えざるを得ません。
大手マスコミは相変わらずで、極一部を除いて論外であり、言及するのも面倒くさい。
献金の話もクローズアップされないですし、広告費・中国旅行の話題は当然ながらありません。
経産省の人生設計や、発送電の分離は、極めて稀に触れられるほどですし、原発と経団連の利権の関係もやりません。
大手マスコミは原発が少数の人の利益にかなうので推進されている、という現実を炙り出すのに失敗していると思います。
大本営発表を直接に発表した枝野経産大臣に対して、そういう非難の論調が余りみられないのも、ふしぎです。ふしぎというより、メディアが共犯なので書けない、というのがやっぱり本当なのだと思います。
「スフィンクス像」は宮崎アニメで出てくる感じの翼の生えた女性っぽい雰囲気。半身半獣の像はアマゾンと呼んで野蛮人視していた異民族が反映されているのだそうです。
野蛮人といえば、りのさんの握手会は大変だったみたいですね、、、、。
人間関係は本当に大変です。
仏教では、あの人も私も宇宙の一部だから(唯識)、と言ってみたり、あの人だって将来凄く良い人になる可能性のある、立派な人なんです(常不軽菩薩)、といってみたり、自分の本源に立ち返っていれば、どんな時でも大丈夫(不生禅)といった、悲しみや怒りを避けるための色々な教えがあるんですけど、そう考えただけで避けられるわけでもありません。
ただ、そういう風なことをちらっと思う浮かべるだけで、トラブルを成長の糧にしていくことが出来るし、少しは心が和らぐと思うので、良ければ試してみてくださいね。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。 死ぬ時節には、死ぬがよく候。 是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」(良寛さん)というのもありましたが、こういう格言を思い浮かべてみた時に、どういう風になるのかと武術的に考えると、脱力しやすくなるのが共通しています。
肩の力を抜いて、修行の一環だと思って、喜べるぐらいまで鍛錬してみてくださいね(勝手
「恨みを隠して友達になるのは私も恥ずかしいと思う」(孔子)という言葉もありますし、時には正直に怒って、無理はしないでくださいね。
ヤングマガジンはとてもせくしーだったと思います!身体もとても柔らかいんですねぇ。
北原さんのブログにあった写真も、北原さんのような明るい正統派美少女だったと思います(^_^;)
マイペースで、お仕事を楽しんでくださいね。
「優勝選手の像」はローマ時代のコピーだそうですが、こういうリアルな像はギリシアの人間中心主義を表しているらしく、これがミケランジェロに引き継がれていきます。
引き締まっていますが、ふくらはぎなどは結構細いです。日本人は人種的にふくらはぎが太い、と陸上の人がよく言っていますけれども、あれは本当なんですかね。
私には同時代の東洋の遺物。周の青銅器が浮かぶのですが、あの、人の奥底から取り出したような巫祝的な饕餮文と、百八十度違う方向性が凄いです。
東西共にお祭り関係で、素晴らしい美術品と心が綺麗な女性はお祭りが似合うのかもしれません!?
「走る少女の小像」はスパルタでは他の諸都市と違って女性が運動競技に参加していたそうで、その半裸像。
体を捻っていて、後ろに進んでいるようにさえみえる作品で、昔の心が綺麗な女性は、ムーンウォークをしていたのかもしれません(違
再び、分割いたします。
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