Bunkamuraザ・ミュージアム フェルメールからのラブレター展 コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ

#その他芸術、アート

町山さんと上杉さんが対談されましたね。

僕も最初は盛り上がっていたのですが、(うちのパソコンでボンバイエ!って打つと、梵唄ヱ!梵唄ヱ!と変換されました・・・)ADHDがどうのとかいい始めた所でしらけて、触れるのも面倒くさくなって微妙に乗り遅れました。経歴詐称も呆れます。

それにしても質問に答えないでADHDがどうとか、石原のお友達の感覚だなぁ、と思います。
別名のび太症候群と言われるようなもので、差別的な部分は別としても、上杉さんの論理の破綻が糊塗されるような材料ではないと思います。
しかし、上杉さんは自分に落ち着きが無い事をむしろ売りにしていたはずで、どうしようもないなぁ、というのが正直な感想です。

他にも町山さんは上杉さんのアメリカ情報にはうそが多いといっているんですけど、日本にいて確かめるのはとても難しいんですよね。
だから色んな人にせっついてもらって、一時期の「立花隆嘘八百の研究」のように纏められるのも意義のあることなのではないかと思います。

モンゴル史家の杉山正明さんが言うには「合衆国史でさえ、かつては明らかに手薄というか軽微さが目だった」(人類はどこへ行くのか 56ページ)らしく、大分良くなってきたとのことですが、現状分析などに寄っていて、まだ薄いとのこと。

「米国製エリートは本当にすごいのか? 」という本が最近よく売れているみたいで、私も立ち読みしたのですが、色々なことが書いてあって結構面白かったです。

ただアマゾンの書評で指摘されている通り、題名を貫徹できておらず雑多な内容で、売るための題名というような部分も感じます。なので、どこまで信頼して良いのかは微妙だと思います。

しかし売れているのは恐らく類書が少ないためで、こういったいくらかの本を除くと後は町山さんのものしかない位の状況なのではないでしょうか。
この本も問題ですが、この本が売れてしまう状況がもっと問題なのかもしれません。

そういう国単位でのアメリカ研究の手薄さの間隙を縫って上杉隆さんが誕生したという面もあるのかもしれません。

ついでにいうと中国についての研究も分厚いようで、現代の中国の風土を適切に説明してくれるものは多くありません。

中国の省ごとの特徴を知りたいので「中国全省を読む」事典 ((新潮文庫) 莫 邦富 (著) )という本を読んだのですが、台湾やチベットに関しては中国本土の人として仕方のない、限界のある記述ですし、香港に対する冷たさも少し気になります。

日本人が書いた類書では「出身地でわかる中国人」((PHP新書) 宮崎 正弘 (著) )がありますが、一言で言って電波本で、ブックオフで買ってしまったので一応最後まで読んだのですが、まったくお勧めできません。

まとまっているのは「激動!中国の「現在」がわかる本」( (PHP文庫) 株式会社レッカ社 (著, 編集), 天児 慧 (監修) )ですけど、題名の通り今に傾いていて、少し経つと情報価値が隨分落ちそうな内容です。

また杉山さんは他著では国でアメリカを研究する機関を設けるべきだということをいっているのですが、おそらく情報戦に非常に長けていたというモンゴル帝国の研究から来た視点で、外交に本気であれば、米中韓の研究所を設けるのが良いのかもしれません

あと対談にもありましたけど、上杉さんは報道姿勢の根拠とかをどうもメルマガで語っているみたいで、これは公に向かって広く知らしめるべきことで、メルマガでいうことではないと思います(例えばTPP参加賛成理由や福島移転理由)。だから、理由にまで遡って批判できないんですよね。出来るとしたら表面を捉えた感情的な批判だけで、そういうのを待ってましたとリツイートして、それをばねとして美味しく頂くことで、上杉さんは自分の反対者が感情的な批判しか出来ないような雰囲気を周囲に振りまくんですよね。

他の人でも自分の著書などで意見を発表するのは普通ですが、図書館で読めたり立ち読みで要所を調べられる書籍と較べると、本人と一対一の契約に近いメールマガジンは格段に親密性が高く、その壁をちょっと怯んだ形で利用しているなぁ、と感じます。

また、町山さんは原発頑張ってください、と締められていましたが、上杉さんは原発容認に再び転じたようで、反対する理由が無いからと理由を述べているようですが、人の健康にまったく興味が無い上杉さんならではの発言だと思います。

自由報道協会の賞も小沢が受賞したみたいですけど、おべっかが露骨といって良いでしょう。

小沢一郎は昔から自分を革新だと思い込んでいる保守的な人の支持が多い印象があります。

保守系政治家との繋がりの強い上杉さんも結局その中の一人である、というのが前々からの持論です。

しかし別に上杉さんの専売では全然ないのですけど、メディアが変わらなければならないのは重要で、上杉さんと共にここを葬らないように気を付ければ、後はオールオーケ-だと思います。

今回は町山さんでしたけど、自由報道協会の内部でも、例えばTPP賛成とか原発容認とか、他の人や記者クラブメディアが言うと噛み付くのに上杉さんがいうと噛み付かない、ということがあったと思います。
寄せ集めの弱さを自覚しているからでしょうけど、利益共同体の批判をしないのでは、記者クラブと同じということになってしまいます。
最近ではバトミントンのスエマエペアが話題になりましたけど、真のチームワークは存分にやりあった中から生まれると思います。
そこまで期待できる組織かはわかりませんが、とりあえず思ったことはぶつけるのが良いのではないかと思います。

思い出したんですけど、かつて影響力が大きかったジャーナリズムに「噂の真相」がありますが、あの雑誌の最後の頃は酷かったです。

拉致が明らかになった頃ですけど、「噂の真相」は北朝鮮の拉致は無かったという立場を取っていたので、謝罪するのかと思ったらそんなことは一切無く、拉致被害者の周辺を叩き始めたんですよね。

確かに被害者の会はあまり良く無さそうな右寄りの勢力の力も取り込んでいるみたいなんですが、それにしても噂の真相も左右対立の中の左の雑誌の域を出なかったなぁ、というのが感想です。

この矛盾に耐え切れなくなって廃刊したんじゃないかと思うんですけど、そういう意見をいっている人はみたことが無いですね。

「噂の真相」に限らず土井たか子とかもそうですけど、当時の左寄りといわれていた人たちは、拉致が明らかになった瞬間に、右よりの勢力以上に拉致問題の解決に砕心するべきだったと思います。

意識することでは無いですけど、これからのジャーナリズムは左右対立の枠は超えなければならないなぁ、というのが一点。

それにしてもさらに酷かったのが、廃刊号のあたりで、いくらなんでも酷い報道だから廻りのジャーナリストが咎めるのかと思っていたら、編集長の岡留さんをヨイショする記事に終始していたんですよね。

身内は批判しないということなのか、報道の酷さに気が付かなかったのかわかりませんけど、これからのジャーナリズムは身内で固まってお互いを批判し無い様な愚だけは絶対に避けていただきたい。そうでないと新しい時代は永遠にやってこないだろうなぁ、と思います。

また、TBSの報道姿勢がどうかということについてだけいえば、不作為の一種かもしれませんけど、荒川強啓さんは原発の話になりそうになると、気仙沼は頑張っている、というような方向に話を持っていたり、原発はCO2削減に貢献するというようなことをいっています。
特に月曜日の町田さんはTPP推進・原発再稼動を認める経団連の化身の様な人です。この前も東電の国有化反対をぶっていて、これは財務省のシナリオに沿ったものです。

時事川柳などにも東電ネタが出てこないのは不自然だったと思います。

それに
役人の. ボーナスまるまる. モリモリと
がチャンピオンになれなかったのはおかしいと思います。

朝の生島さんは御用学者の安全説をしきりに放送していたようですし、あんまり聞いていないですけど、おおさわゆうりさんは何を特に追求するということはやっていないと思います。

演歌に対して、熟年層の歌なのに恋とかばっかりで政治はないのか、という批判がありましたが、失礼ながら、おおさわゆうりさんは下ネタばかりで政治は避ける方針のようで、同じ様な批判があたると思います。
正直、この世代の特に将来に対して溜め込む必要もない人たちには、もっと権力に対してちゃんと物をいって欲しいです。

DIGはしっかりやっていたので一色とはいえないのですが、TBS全体として東電に配慮する姿勢は聞いていてそこかしこに感じました。

政府の発表垂れ流しや、種だねの不作為まで含めると、東電はじめ経産省を筆頭とした原子力ムラに優しい放送局だったと思います。

文化放送と較べるとやっぱり相当の差があると言えると思います。

ただこれは文化放送もそうですけど、東電はまた広告料を増やしたと聞いていますが、広告料・旅行については、関係あるなりないなり局として必ず触れるべきだと思います。

上杉さんとは関係ないのですが、きらきらでは魔女狩りはヨーロッパでは9世紀に行われていたもの、とのことですが、結構最近までやっていたと思います。現に調べると、

15世紀から17世紀にかけてのヨーロッパ諸国において、多くの人々が魔女の嫌疑をかけられ、世俗の裁判や宗教裁判によって処断された。(ウィキペディアより)

とあります。

また、町山さんは、今までの朝ドラは道徳の教科書みたいだった、といっていましたけど、ふたりっことかそういう意味では凄かったと思います。

ツイッターでも実際はおひさまの反応も良かったということで、つっこまれていましたけど、よく調べられないで喋っている部分も多いのではないでしょうか。

町山さんは今までのぬるかったという朝ドラに通俗性を感じているようですが、NHKはハードな路線で視聴率を稼ぐのが最近の流行のようで、あんまりどろどろしたものの方が、悪い意味での通俗性を備えているのではないかなぁ、と思ってしまいます。
カーネーションはみていないので、あんまりいえませんが、そういう傾向には注意してみて行きたいと思います。

どんな分野でも明るいと低くみる人がいて、そういうのは違うと思いますし、僕は嫌いなんですよね。

それにしても、何はともあれ私も自分の発言に対して襟を正されました。

前に、大島ファン歴は十年来といいましたが、正確に数えるとその時点で7年半ですので、訂正させていただきます。

また、(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/52383675.html)の文章を書きましたが、そのときは忘れていたのですが、丸谷才一さんの「司馬遼太郎論ノート」(司馬遼太郎の跫音 (中公文庫)291ページ)は読んだことがあるので、それを踏まえてお読み下さい。
それでも結構新しいことが書いてあるとおもいます。

丸谷さんは「ひどく誤解されてゐる」といわれていますが、割符が合わない、とかぼやくなら訂正する文章を書けたはずで、誤解をさせていた、というのが正しいと思います。

他にも、当該部分を探し出せないのですが、読者のうちの○○人が分かってくれれば良いんだ、という文章を、司馬遼太郎さんの本を纏めて読んだ時の最初のほうで目にしていて、一般の受け入れられ方と本人の伝えたいことに乖離があるんだろうな、という眼で読んでいました。

分割いたします。

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