玉木正之さんが、ポリティクスの語源はポリスで全員参加の話し合いのことだが、政治はまつりごとであって、日本の政治で行われているのは祈りや祀りだ、といったそうですけど、だからこそ、神に誓約するような気持ちで政治を行うのが本来の日本の伝統といえると思います。
白川静さんによると「やはり神とともにうち興じて、勝敗も何もなしに楽しみあうというものが、本当の祭りであると思う。」(文字講話Ⅱ 100ページ)らしく、意外とみんなで集まる所とか、東西の語源に似たものがあることが感じられます。
天譴説とか、今では迷信的な文脈で語られることが多いですが、むしろ天を意識して政治を心がけていたという部分は、現代も見習うべき所が多いのではないでしょうか。
中野三敏さんが爆問学問で現代の政治家と当時を比較して、責任を取るという態度が全然違うということを仰っていて、当時の武士は統治する代わりにいざという時は責任を取る、というのが国民との暗黙の了解になっていたとのこと。こういったことと天を意識した政治は深く繋がっているでしょう。「まつりごと」としての政治がプラスに働いていたと見ることが出来るのではないでしょうか。
絶対王政時代のフランスなどと較べると、江戸時代の日本の為政者にはそういったものを持っている人が散見されるのではないでしょうか(多分)
そもそもギリシャは奴隷制に立脚した民主政だったはずで、全員参加の話し合いが語源といっていいのでしょうか。
神と政治についての文章をいくらか書き起こすと、たとえば「だから今の国連なんかでもね、単に表決するというようなことでなしに、神様を参加させると効果があるのではないか。」(文字講話Ⅳ 77ページ)という事は後続の文章でやっぱり難しいかということを仰っていますけど「今日においても、もしこの載書による盟誓ということが行われましたならば、このたびのような悲惨な戦争はせずに終わったのではないか。神に誓うということを忘れた現代の文明というものが今度のような非常に不思議な戦争を生んだのではないかと思うのであります。」(文字講話Ⅳ 73、4ページ)といったような精神は私も非常に大切なものだと思います。
「神に誓った清明の心を知といい、智という。」(文字遊心 289ページ)らしくこれが日本の政治にとてもかけていることなのではないでしょうか。
それとこういうときになおざりになってしまうときがありますが、現状の西洋の政治はそのような理想通りになっているのでしょうか。それとギリシアを現代の西洋と直結したものとして語るのは、難があるのではないでしょうか。そういった事を仰ってはいないかもしれませんが、そのような意味でいっていると聞こえる表現ではあるでしょう。
ネガティブな現状を伝統と結びつけると文化人、という風潮が日本には以前からあるので、それに異議を唱える意味でもあえて書いて置きました。
似たような話といえば、天声人語で民の字は目を刺した形なので、そこから「知らしむべからず」(だから意味が違いますって)といった日本の政治風土につなげていました。
民は目を刺した字形ですが、それをもって奴隷的に解釈する郭沫若説は白川静さんは否定しております。(字訓「たみ」の項など)
例えば「賢」も同じ様な造字法であって、目を刺して神に仕える・捧げる、ということを、現代的な解釈で盲目な市民と重ね合わせるのは、悪い意味で現代的な解釈だと思います。
それに例えばローマとかかなり退廃的ですし、ギリシャだって非常に欠陥の多い社会ですけど、西洋はそこから良いところなり、教訓を取り出して現代に生かそうとしているのでしょう。
白川静さんは、中国の古代について「歴史的に美化されるほどの内容をもつものであった」(続文字講話 194ページ)という言い方をされるのですが、われわれ日本人も自分たちの歴史から学んでその澄んだ所を取り出す、という作業をもっと一生懸命やっても良いのではないでしょうか。
そういった発想の無さに私は非常に悲しみを覚えます。たしかにそこには「将来の歴史の作用に耐える」(同)時代が存在していたと思うのです。
そしてこういったことは、たとえば日本における「グローバルスタンダード」のありかたを考える時に欠かせない視点だと思います。
TBSの報道特集のハーグ条約の回は凄まじかったですね。
嫌がる子供を洗脳されている、と言っている所からむちゃくちゃで、禁錮25年とか、数千万円にわたる弁護士費用の負担とか、まったく聞き入れられない言い分など、ほとんど国ぐるみのいじめで、「グローバルスタンダード」の妄念の凄まじさを至る所で感じました。
アメリカ側は日本は法治国家じゃないといいますけど、アメリカのハーグ条約の恣意的な運用も同じで、条約の理念である子供の権利が守られていません。
法治国家じゃないということはどういうことかというと、法律的な部分と両輪として働く、近世の日本の言葉で言う「道義」。現代的に言うのならば、司法文化の欠如が本質でしょう。こういったところも今の日本はアメリカ譲りなのではないでしょうか。
この前山口一臣さんが小沢裁判を扱っていて、それ自体はうなづける話でした。
だた、主権在民がどうとか、法律に則っていない、という事を良くおっしゃるんですけど、表面的な現象としてそうだと思うんですが、私はむしろナイーヴな法律主義が、両輪としての、司法文化の空洞化を招いてしまっている所に、今回の検察の一連の不祥事の本質があるのではないかと思っています。そしてその司法文化は社会一般の文化力に支えられているわけです。
山口さんは、誰がいっているかではなく何を言っているかという、基本に立ち戻れ、といっていましたけど、野田の顔をみれば、まともな事を言わないのは明らかで、テレビの多くの人材にも同じ事が言えます。やはり人をみるべきだと思います。
大竹まことさんに政策で選んでこれならどうすればいいんだ、といわれてことばを継げていませんでしたけど、こういった視点が大切だと思います。
それにやはり小沢が主導権を握ったからといって、鳩山内閣以上の結果は出てこないと思います。法的にも政治的にも、小沢の議論をするときは頭の中に留めておくべきことだと思います。
山口さんはいいことも言うんですけど、人を見る目がどうか、といったところで、前も、さすが橋下さん、とかいっていましたし、どうも評価している政治家も信頼できないんですよね。
福島の事故でも、人のミスを軽視していて、それは未だに直っておらず、大飯などに引き継がれているといいますが、法律にしても原発にしても、人が運用するものだ、という部分を軽視していることで共通していると思います。
明治時代では「民権家にとって「国旗」は愛国心のシンボルだった。」らしく、「民権家への共感を媒介にして、民衆のなかに「愛国心」や「天皇」が浸透したことも見逃せない。」(文明国をめざして (全集 日本の歴史 13) 牧原 憲夫 (著) 273、4ページ)そうです。そういった基盤を共有することで、政府と対立できたのだそうで、私たちが反抗しているのは国家ではなく政府である、ということを鮮明にする為でもあったのだそうです。
では現代においてこの基盤の役割を果たしているのは何かというと、それは「近代的な価値観」だと思います。飯田哲也さんにしても、金子勝さんにしても、山口一臣さんにしても、他にも日本である面政府にたてつくような良い仕事をしている人には、それぞれ程度や在り方は違っていても、よりナイーヴな意味での近代的な価値観を持っている人が多いと思います。この山口さんの異議申し立ての仕方は、かつての民権派のように、俺の方が土俵をよりピュアに共有しているんだぞ、というアピールだといえると思います。
しかしその土俵が正しいのか、というと私はそうは思わず、むしろここに修正を加えることで、日本という国がよりよくなるのではないかと思うのです。司法の腐敗であるとか、原子力ムラなるものが存在してしまった理由も、ここにあると思っていいます。
こういったものはナイーヴな意味での近代性が足りないのではなく、むしろそれを補う広い意味での文化性の欠落が大きな原因だと思うのです。
また、菅直人リスク排除、とのことで原子力規正法が代わるそうですが、もはやピンボケであることを指摘するのも手間です。
悪さをした子供が違う子に責任を押し付けようとしている、という表現では子供がかわいそうなくらいです。それを国の中枢で堂々とやっているのですから、普通に考えてもそれよりレヴェルが下だと思います。
そしてこういった參状を招いている社会そのものについても、根本的な批判をせずにやっていくという選択肢はありえないと思います。
事故調でも首相に情報が集まらない体制自体が問題だ、といっていたはずです。そしてこれを一斉に曲解するテレビ局の横並びは一体なんだったのか、という解明が非常に重要だと思います。
台風報道では報ステで福島第一原発を通過する、ということをやっていましたけど、網羅していませんが、ほかではみかけない模様。テレ朝は玉川さんの特集もありますし、局所的にはちゃんとやっている印象。
特にNHKのニュースでは見かけなかったような気がするのですが、しっかりやっていなかったとしたらとてもおかしいと思います。
行って参りました。
戦災を免れた貴重な江戸建築である、三解脱門の特別公開です。良く浮世絵にも書かれています。かなり並んでいて、階段は昔らしく結構急勾配。お年よりは大変ですけど、この方が上りやすいですかね?
中の羅漢達は毎度、あほなような狂ったような表情を浮かべていて、その前にズラッと並んだ歴代上人像はそれなりに皆謹直な様子です。
光背のごつごつした岩のような形状に、戦国が終わってまもない力強さを感じたかもしれません?
釈迦如来が門の向こうの町を見守っていて、門の中から命を放っているようで、仏像の中の玉を思わせました。
観覧ももうすぐ終わる頃で、一部きしんでいたらしく、最後まで持ってよかった、と運営の方が呟かれていました。
同時に公開されていた、徳川家の靈廟も探訪。周囲ではブラタモリの話をしているらしい人がちらほら。
同じく公開料は500円ですが、写真入りはがきなどがたくさんついて、記念品が豪華です。
武家の堂々とした佇まいながら、ちょっと大きい普通のお墓といった感じですかね。
本来は日光東照宮より巨大だったらしいのですが、空襲で焼けてしまったとの事。
東照宮といえば東照大権現という家康のあほらしい尊号ですが、なんでも「徳川の国家デザイン (全集 日本の歴史 10) 水本 邦彦」によると、キリスト教の唯一神の権威に対抗するため必要性があって付けられた名前らしく、「古を以って古を解する」は白川静さんの至言ですけど、今をもって昔は解せないと感じます。
墓は女性とセットになって葬られていたのが印象的。大奥と表裏一体なんですよね。
美術的には門の龍が往時を伝える華麗な彫り物で、龍の覇気にぐにゃぐにゃとした変幻自在さですか。武家の時代の精神性を伝えていると思います。
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