出光美術館 日本の美・発見V―「笑(わらい)」のこころ その7

#その他芸術、アート

柔道では福見が負けてしまいましたけど、笑わないのが大きな理由でしょう。他の競技ではだんだん、笑ってリラックスした方が良い、というスポーツ科学の成果が入ってきたのか、笑うようになっているのですが、柔道だけ取り残されている感じ。

中村という人にもそういう傾向があるみたいですけど(初戦敗退したみたいですね)、多分指導者が無表情なのを好んでいるのだと思いますが、表情のない人間というのは枯れ木に等しく、死んでいると思います。そしてそれは日本の伝統的な精神ではありえません。

日本はそもそも中国文化と比べた時に笑いが多いというのが特徴であって、それは武術も同じことだったと思います。日本武道の中では比較的江戸武術の面影を残しているといわれる合気道の「合気道」といった初期の著書には、稽古は愉快に行うべし、ということが強調されていて、それは江戸期以来のものでしょう。

柔道の成立は軍国主義が勃興してくる頃にあたり、その影響を大きく受けています。それで無表情だったり地味な色遣いが良しとされるわけですが、今回の福見の負けは、日本文化の伝統に立ち返ることが出来なかった為といえるでしょう。

柔道は自らのうちにある軍国主義的な要素を認めて、伝統と照らし合わせて克服する作業を徹底的にやらない限り、優れた身体文化として復活することはありえないと思います。

柔道でもう二つ気になるのは、武術としての本源を忘れていることで、この前も柔道界の重鎮のインタヴューでグレイシー柔術について聞かれていて、グレイシーが打撃を失くして柔道に接近すれば興味は出てくるけど、そうでなければ興味はない、というような事を言っていて、情けなくなりましたが、これは武術としての柔道の立場を放棄したものだといえるでしょう。

日本の武術は実戦で生きる技を追及することによって磨かれてきたのであって、そういう本質的なところに立ち返って、身体を磨きなおさない限り、真の技も精神性も復活しないだろうし、これからのやる気のある若者には無視されると思います。

あとは、どうも日本の伝統的な精神と柔道が分かれてしまっていることで、古い伝書とかを読んでいると、みんな当たり前のように儒教や仏教の用語・文脈で自分たちの術理を説明するんですよね。そしてそれは武術界の精神性・モラルの支柱になっていたわけで、これを失ったことが最近の柔道界で頻発している事件と深く関わっていると思います。

内柴の事件ですとかも事件以前にもいくつか同じようなことがあったそうですが、試合で勝てる選手だからと、精神を二の次にして、ごまかしてきたのではないでしょうか。さらにそれを女子柔道部の指導者とするにいたっては言語道断で、この事件に関する柔道界全体の責任は重いと思います。

今まで申し上げたようなことが、この事件に深く関わっていて、改善をするべきだと強く思っています。

こういったことはすべて剣道にも当てはまることです。

剣道も何か不祥事を起こしたみたいですけど、剣道と日本古来の剣術は(あんまり)関係が無い事を、ここに書いておきます(^_^;)

対照的にアーチェリーは笑顔が印象的でしたね。しかし蟹江選手は久保ミツロウ先生にそっくりですね、、、、。

卓球は石川佳純ちゃんが結果を出し切れませんでしたけど、この人そもそもかなり才能のある人だと思うんですよね。子供の頃から明らかに優れた表情をしていらっしゃいました。
強い気持ち、という事を強調されていましたけど、集中力とリラックスの総和が明らかに高くなかったと思います。三位決定戦も第一セットで集中力を使い果たした感じで、リラックスを研究されるともっと長い時間持つようになって反応も良くなると思います。

柔道は本当に結果が出なくて、ころころ負けているのに、銅では不満、と口をそろえる所がそろそろ滑稽になってきていると思います。石井の総合転向が暗示していましたけど、武道の精髄を極めたい若者にとって魅力が無くなって来ているのが大きな理由ではないでしょうか。

松本薫選手の妖精キャラが唯一の救いでしょうか。

葉詩文がドーピング疑惑は欧米もやってきているから気になるのでしょう。いやはやというしかありません。

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