原爆の日があり、戦時中の番組を色々やっているみたいですが、当時の軍部周辺と原子力ムラの違いは表層的なものに留まるといって良いでしょう。
満州事変を起こした石原莞爾が出世したということで、事変を起こしては出世する仕組みが出来て、日本は破局に巻き込まれていきましたが、その省庁の職を作り出すと評価が上がる官僚のシステムは結局これがそのまま引き継がれているんですよね。原子力ムラの総括原価方式に群がる形は典型的でしょう。
いまでもこの人物の事を持ち上げる人がいますが、極めて疑問でそこには戦争に対する反省の欠如を感じます。本人の願いどおり、戦後まっさきに日本自らの手で逮捕するべき人物だったと思います。
戦前も自分の利益、戦後も自分の利益、と同じようなことで破局に至ってもなおやまないことを痛切に振り返るべきだと思います。
tbsの8月13日の午後6時15分ごろのニュースでは、600人が殺されたカラゴン村の虐殺の特集をやってやっていましたが、師団長が戦果が欲しかったらしく虐殺したとのこと。手を下した人間はいくらか捕まって戦犯として処刑されたそうですが、指揮系統では誰も責任を取らなかったとのこと。
虐殺には関わらなかったけれども生き残った人が、命令を受けたら自分もやっていただろう、命令にそむくと殺されても良いというくらいだったから。といっていましたけど、司馬遼太郎さんがいうような商業的な利己主義ではまったくどうしようもならない現実があります。事件の原因は圧倒的に、歪んだ利己主義なのです。
戦争責任といえば、広田弘毅ですとか、城山三郎の小説でよく書かれているというのですが、実際の責任はかなり重い様で、例え東京裁判で死刑にならなくとも、日本国民自らが逮捕して、死刑にするかは別として、それに準じる責任を問うべき人物だったと思います。
城山三郎は最後小泉を批判していた印象がありますけど、実は最初は支持していたんですよね。
忘れもしませんが、ニュースステーションは小泉内閣が成立した時に、バックミュージックに「エロイカ」を流していたのですが、私は、脳みそカラヤンじゃないか、と呟いたものです。あれを支持してしまうという感覚がそもそも理解できません。
佐高信の著作のいくらかを読んでいると、いくらか官僚を批判しているようでそこに対する根本的な信頼感を感じるんですよね。そしてその底流は広田弘毅善玉説と繋がっているのではないかと思います。
昔に読んで、一見口汚いように見えても、だから官僚も安心して批判されているのではないか、と思ったのを覚えています。
また全体的にぬるく急所を外れており、最近でも、田中俊一人事や、財務省や経産省に実名を挙げて正面から斬り込むべきときだと思うのですが、寡聞にしてそういう話は聞いたことが無いんですよね。何か本筋から外れたところを適当に攻撃している印象。
更に戦争責任といえば、テレビでは最近も「私は貝になりたい」をリメイクしていますけど、ネットで出てくる情報をいくらか突き合わせて調べるとどうも東京裁判の不当を訴える為の、プロパガンダ捏造物語という側面が強いようで、ネットでそういうことがすぐ調べられてしまう現代に堂々とリメイクするというのはどうしたものか。
戦中の万歳攻撃も戦後の映像作品で広められたらしく、実際はそういうことはなかったとのこと。
戦後の作られた歴史はかなり酷く、韓国におけるテコンドーの歴史ですとか、流石に捏造で酷いのではないか、という声を日本で聞きますけど、国内でも同じようなレヴェルの作り事が、日本の歴史全般にわたって存在すると思います。
朝日新聞の7月19日のオピニオンの欄では小熊英二さんという人のロングインタビューが掲載されていて、「有能だが不安定な人が担う」という大文字の見出しが付いているのですが、内容をみると、不安定でも被災者支援や政府への抗議活動に走り回っている人がいる、そんなかでも、という逆接の肯定的な内容で、見出しだと不満分子が暴れている、というような意味になっていると思います。
これはネットなどでも運動を否定しようとする時に、無理矢理にぶつけられる言葉で、そういう範疇に新聞が陥っているのではないでしょうか。
この小熊さんという人は8月11日のtbsの報道特集で、安保の時に学生がデモの主要な担い手だったのは少数のエリートだったから、といっていましたけど、今回のデモや古今東西の民衆運動を思い浮かべてみるに、エリートとデモというのが容易に結びつきません。やはり当時は、世界的な流れであって、戦後の世代が最初に社会に出てきた、というのが大きいでしょう。
社会学者や歴史学者は分析をする時に階層に注目してかえって的外れになってしまっていることが多いと思いますが、これもその一つなのではないでしょうか。
この報道特集はデモの周囲の若者にインタヴューをしていて、電気料金が高くなるのでやめて欲しい、という言葉を引き出してそのまま垂れ流していて、TBSの腐敗具合にどうしようもないものを感じます。
専門家の間ではまったく通用しない発言を、日ごろ大手メディアによる原子力ムラのキャンペーンにしか触れていない層に対して街頭インタヴューをして引き出して、それををピックアップしてそのまま流して番組の意見として変えるのが原発事故以降特に目立つ、以前からのテレビの常套手段で、ありていに言ってしまえば世論の創作であり、責任を回避して嘘を垂れ流す技術だと思います。
8月6日のNHKの9時のニュースはトップが卓球で、二番目のニュースが室伏。次が内村で、続けてボクシングにフェンシングでした。ボルト以下オリンピックのニュースが更に延々と続きます。
この日は広島の原爆の日で、東電のビデオの公開のニュースもあります。
ただ、ツイッターなどで報道を重視する人とかの発言を読んでいると、必要なニュースが流されないことに対して、スポーツや種種の芸能への不当な軽視を感じさせるものをみかけることがあるのですが、良くないのはニュース編集であって、他の文化ではないということはしっかりさせなければならないと思います。もちろん明らかにだめだめなバラエティなどはありますけど。
東電のビデオについては大越キャスターの、全面的な公開が望まれる、というのはその通り。ただなぜこの時期に至ってこれしか公開できないのかというのが問題であって、それは第一に東電であって、枝野、野田、更には強制捜査に入らない検察などに責任があるでしょう。
決して自然にこのようになっているのではなくて、せき止めていた人物がいるわけで、その責任を問うということが重要だと思います。
報ステは政治がトップニュースでしたけど、当然ですね。製作から現場の何処かのレヴェルに僅かの良識があれば。NHKは本当に恥ずかしいですし、恥ずかしいと思わないのがもっと恥ずかしいです。
ビデオの限定公開に対する追及は東電と国会事故調に対してでしたけど、やはり国有化されているのであって、政府に強く責任を問いただして欲しかったとおもいます。いわゆるいんちき国有化といわれているものですけど、国有化は国有化ですからね。
お天気コーナーに合わされた原爆特集も良かったと思います。
ただ報ステは8月13日も寺島さんを出していましたけど、そうすると原子力ムラの覚えがめでたくなるのでしょう。地震で壊れたのではないかという一点ではやっている感じですけど、東電解体を提案しないことを筆頭に、後は総じて甘いのではないでしょうか。
NHKは8月8日の午後7時と9時のニュースでは、オリンピックではなく下らない政局のニュースをトップに据えていました。
この日は消費税法案成立をニュース速報で流し、特別枠の緊急放送で流していましたが、例えば膨れ上がったデモを速報で流すとか、関西電力が火力を止めたとかといったことを自分たちの報道と照らし合わせて重大事と捉えるとか、そういうあるべき報道と較べると実に空疎だと思います。
テレビでは「はじめよう節電。みんなのために」という標語が流れる日本民間放送連盟のCMをみましたけれども、こういうCMを流す前に検証するべきことがあるのではないでしょうか。
北海道の冬の節電キャンペーンも始まろうとしているそうですが、政府・電力会社の不作為を放置し、節電キャンペーン曩祖を流し続けてきたテレビ・新聞は、一言も間違いでしたとはいわずに、また同じキャンペーンを続けるのでしょうか。
また、法案が参院を通過した瞬間に、消費税に疑問を呈する報道がかなり増え、典型的なアリバイ報道で、観るたびに非常に怒りが湧きます。
また菅直人は脱原発といいつつも野田を高評価し田中俊一人事にも何も言わないような状態で、今度は「エネルギー・環境調査会」の顧問をやるそうです。
どこからみてもどうしようもない人はどうしようもない人といえばそれでおしまいなんですが、賛成派と共生している、かたちだけ反対派はどんな分野でも非常に厄介で、これはその最悪の形でしょう。
実はこのブログは当初は政治ブログだったんですけど、いくら政治とはいえなぜ安倍の批判に人生を費やさねばならぬのか、ということに疑問を持ったのもあってやめてしまったんですよね。
その時にいつもコメントを寄せてくれたリベラル風の人がいたんですけど、菅直人を批判した記事を書いたときだけはコメントをくれなかったんですよね。
近寄ると本質はがちがちの保守なんですけど、遠くから観るとリベラルに観えるという。これも非常に団塊・学生運動の特質を良く体現していると思います。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/52055572.html)
進歩的な事を言っていてもいざ結婚すると、仕事をやめて俺の給料で食ってくれ、と言われて幻滅したという学生運動カップルの話を聞いたことがありますが、そんな感じだと思います。
あんまり話題になっていませんけど、菅直人が自衛隊を逐次投入して、一気に送らなかったのも死者が増えた原因で、ここも検証を入念にするべきだと思います。
それにしても、堤防など津波についての検証をまったく聞かず、ほぼ皆無といって良い状況だと思うのですが、ここも国会などが調査するべきことだと思います。
あと話題にもなら無いんですけど、計画停電の検証はしなくて良いのでしょうか。やはり人が亡くなっていますし、本当に必要なものだったのか検証は欠かせないと思うのです。
事故前後だけではなく、時間軸の重心をやや事故後に置いた検証も必要だと思います。
政府の議事録も取っていないで終わらせずに、あると思うのですけどなかったとしたら、取らなかった責任者を尋問して責任を取らせるべきだと思います。
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