10月20日の朝日新聞の窓の欄では司馬遼太郎さんの日比谷焼き討ち事件あたりの文章を引用していて、要約すると、新聞が煽ったら煽られた民衆に煽り返されたのがこの事件であるとのこと。
これは司馬遼太郎さんの得意な話なのですが、私が今まで得てきた歴史的な知識と照合して微妙な違和感も。
『「いのち」と帝国日本』(全集 日本の歴史 第14巻 小松裕著) によると「藤野裕子は(中略)彼らと同士連合会や新聞論調とのズレを指摘して、民衆が単純に同調していたわけではないことを強調している。」((156ページ)とのこと。
また安易にデモクラシーと結びつけることに継承を鳴らしながらも、米騒動などと繋がる一連の「民衆運動の時代の開幕」(155ページ)であるとのこと。
「政治家全体に対する徹底的な不信」(156ページ)が根底にあったらしく、「今後いっさい納税も兵役も国債募集にも応じないといった宣言、さらには軍備全廃を求める声も紹介されていた」(67ページ)そうです。これは戦争というものそのものへの疑問といって良いのではないかと思います。
色々な人が色々な考えを持って参加した様で即断できませんが、根底には政治不信があり、単にもっと色々せしめろというのではなくて、国民の痛みに根付くもの、という見方が適切なのではないかと思います。
こうやってみますと、司馬遼太郎さんは戦前に関して、軍部より民衆の方が冷静であったと、例えば「「昭和」という国家」で明言していますが、ここでは民衆の責任を過大に見積もっているといえるでしょう。
「「昭和」という国家」でも顕著ですけど、例えば日本文化を称えながら、裏腹にひたすら日本文化を一々貶していくような所があって、これも裏腹なものの一つなのかもしれません。
さらに解釈してしまえば、戦後という時代は大衆の時代でしたが、大衆自身が本当に大衆を信頼して歩んできたかといえば、そうではなかったような気がします。そういった捻れが司馬遼太郎さんの民衆に対する歴史的な評価の捻れに表れているのかもしれません。
(前に話した領土問題の話も民衆を信頼していないものの一つでしょう。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/51670555.html)社会的には、例えば地方分権が進まないのはそういったことの表れの一つといえるでしょう。)
新聞の記事では冷静な日本のメディアを成長したとする文章が続きますが、第二次世界大戦で侵略した側の国としてさらに領土問題で強硬な路線を支持する論調を新聞を張るとしたらかなり特異といえるでしょう。むしろ問題はその先で、今回は石原慎太郎の思慮を欠く行動がこういった事態を招き、さらに国際社会での日本の説得力すら失わせる結果になったわけですが、そこを批判できなければ「内省力を欠く論調」になっているといわざるを得ないのではないでしょうか。
新聞でもテレビでもそういう論調を奇妙なほどにみかけないのです。これでは権力におもねるという点で戦時中と変わらず、これは非常に大きな問題だと思います。
巨泉が日本に帰ってきていうには、海外では石原慎太郎の差別発言などもちゃんと流していて、今回の尖閣の問題もその延長線上として、日本の右傾化として捉えられているとのこと。戦前の国際連盟脱退などとダブらされて伝えられているそうです。ここを流さないことによって、日本の報道が描き出す事件像は国際的なそれとかなりかけ離れてしまっているのではないでしょうか。そして戦前のそのときも海外から観た日本の姿を伝えられなかったのではないでしょうか。
今度は新党を結成したみたいですけど、メディアにはしっかりとした報道を望みたいと思います。正直しっかりした報道をしている姿を想像できませんが。
10月23日にはイタリアで地震予知ができなかったとして禁錮6年の判決が下ったと話題になりましたが、日本でも堤防などの関係者には厳しく問いただしてみたい所。
もう一つは日本の地震予知を研究する団体でどこがどれだけ真面目にやっているのかという問題で、実働がほとんどないのに再就職組みなどばかりがいる組織はあると思うんですよね。そういうの洗いざらい検証した番組をテレビは組むべきだと思います。
このニュースは無いと言い切ってしまったのが問題らしく、日本で言えば安全神話は同じものでしょう。イタリアなら禁錮刑は免れないということになります。
それに、さしずめ枝野辺りは禁錮を何年を食らっているかわからないくらいでしょう。
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