Bunkamuraザ・ミュージアム 国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展その7

#その他芸術、アート

10月21日のサンデーモーニングでは金子勝さんが自民党と民主党の争いに触れて、なぜ支持されていないのかを振り返らないで権力闘争に終始している、ということで全くその通りだと思います。

メディアについては、とりあえず主張だけみれば、民主党のマニフェストに回帰するとしている国民の生活が第一について横並びでほとんど触れられないのはやはり問題でしょう。元の民主党のマニフェストをやるのであれば、期待する人は多いでしょうからね。

金子さんは政党政治の破壊、ということを仰っていて、確かに深刻な問題なのですが、気になる点も。

まずは一つはやはり、破壊されるほどの政党政治が存在したことがあったのかということですね。

それと、政党政治の崩壊の前に人材の崩壊があるわけで、やっぱりそこを指摘しないと本質的ではなく、隔靴掻痒の感を免れません。結局人が駄目だとどんな仕組みでやっても駄目なんですよね。

もう一つは政党政治、というのは究極の形態なのかということで、例えばウォール街の支援を受けるとその意見ばかりが政策に反映されてしまう、といったような偏った一部の意見だけが取り入れられて政策が運用されるようなことがあります。

昔はといえば「須田さん自身も「人びとの合意を得られない支配権力など存在しようもない」と説いていた。」(刀狩り 藤木久志 238ページ)らしく、この著者などの最近の研究によって近代になる前の政権というものをみていくと、人気を得る為に満遍なく市民の意見を聞いていくところがあり、日米の現状などと較べていくとより民主的な性格をもっている部分もあるように感じます。

これは江戸時代もそうですし、例えば古代エジプトでも昔は奴隷の労働力でピラミッドを造っていたという歴史観が公共事業であったという風に代わり、さらには教育や技術の継承にも大きな役割を果たしていたらしく、ピラミッドを造らなくなると王朝は衰退してしまった、と吉村教授は言っていました。

そもそも議会というのは地主の利害調整に端を発しているともいい、既得権益や一部の意見を擁護する性格がそもそもにあって、それが今アメリカや日本などで表れているのではないかとも思うのです。

そういったものを乗り越えたもう一つ先の市民による政治の形態があるのではないかな、などともおもうのですが、近代以前の営みの良質な部分にそのヒントがあるのではないかと思うのです。そしてその中でも江戸期の中にはかなりその良質な部分が含まれているように思います。

ちなみに最近、議会制民主主義は面倒くさいもの、という話を聞きますが、こういったことも過去は面倒くさくなかったかのような、アジア専制論的な認識に基づいて発言されている可能性があるでしょう。調べると近世以前も非常に面倒くさくも、お互いを抑制しながら、牽制しあって均衡を築いてきた政治の形が観えて来ます。

金子さんのコメントでは爆破予告事件について、ネットは無料だという意識がおかしい、ということも仰っていましたけど、今回の被害者の中にはパソコンのタイマーをダウンロードしようとした人もいたらしく、流石にこれくらいのソフトは無料でしかるべきだと思いますし、フリーウェアに支えられている現在のネット環境をからみて、どうなのか、と思わされます。

もちろんお金を出して育てていくべき文化がネットにはたくさんあって、そういったものを開花させるためにも出すべきところにお金はどんどん出してゆくべきだとは思いますが。

10月23日の大竹さんのラジオでも、ネット時代の新しい犯罪とみると本質を見誤る。警察の常識とバランスが問題。という専門家のコメントを紹介していました。

10月24日のモーニングバードでは元検事の大澤弁護士が、IPアドレスが指紋だと思われていたのがそうではなかったという事件だ、と解説していましたが、2秒打ち込みの話を初め普通にやれば途中で気が付くはずで、ネットの特殊性の中に隠れようとしている弁解だといえるでしょう。
コメンテーターに検察無謬論について突っ込まれて、少しかちんとしているようにお見受けしましたが、そこら辺が本質だと思います。

今回のサンデーモーニングでは、沖縄の暴行事件で夜間外出禁止なんていうのは処分としておかしく、地位協定の改正が本質だ、とスタジオ内で同意していたのは他の番組ではあまりみない良いところだったと思います。

これを機にオスプレイの飛行などで譲歩を引き出すのが、本来日本側にあるべき、日本の外交のなすべきことです。

「風を読む」では科学とそれに追いつかない倫理観の話をしていましたけど、iPSの利用などでこれから行われるべき議論はまさにそういった問題だと思うのですが、原発に関しては初歩的なモラルハザードの積み重ねが非常に大きく、そういったものを無視して高尚な議論に収斂させてしまう可能性には事故発生当初から非常に危惧を抱いています。

寺島実郎さんがネットでの匿名での批判を批判していましたけど、日本は実名でやると容易に潰されたり不利益をこうむったりする社会なんですよね。

例えばかつての反原発運動の人達が異端視されてこうむった社会的なマイナスは甚大ですし、運動とまでも行かなくとも記事をちょっと載せるだけでプレッシャーに晒される、ということが多くありました。日本における内部告発者の苦難の道のりもそういったものを象徴しています。

そういう社会や制度をやめていって、実名でやったら得をする社会にしよう、と提案して強力に推進して、その実現の後にネットで匿名によって社会に不利益になるような批判が展開されたとしたら、その時に問題として取り上げる事柄だと思います。

そもそもこの人も胸に手を当てて考えれば、自分の意見の決定に実名であるがゆえの、経団連との関係などの利害が大きく関係していることが浮かぶのではないでしょうか。それは寺島さんがもう一つ話した、関係があるゆえに縛られているということであり、まさに圧力の一形態なのです。それを断ち切ろうとすると非常に苦労するわけです。

だから、日本で匿名が大きな流れを占めるネット社会に、日本の国民性の観点から解釈を与えようとする人がいますけど、歴史的に培われたものというより、一時的な社会の状態がそういった状況を導いていると理解する方が現実に適っていると思います。

そしてそういった社会状況は、キッチュでマッチョな歪んだ男性原理。明治以降の中央集権的に何でも管理していこうという思潮と密接な関係があるというわけです。

10月21日の安住さんのラジオでは磯田道史さんが江戸城攻略の講義をしていましたけど、結論としては、人数がいないとそこまで堅い城ではない、というこで、徳川家は逃げることを良く考えていた、とのこと。安全神話とは真逆の姿勢といえるでしょう。

剣術はむしろ部下がやるもの、ということで、逃げるために徳川家はむしろ泳ぎを重視していたとのこのと。
八丁堀で泳ぎながら弁当を食べていた藩主がいたらしく(そういう話はありましたね)、日本は古流泳法が発達しすぎている、といつも不思議に思っていたのですが、逃げるための技術というのも大きかったのでしょうね。

花巻東の大谷投手はメジャー行きを決めたそうですけど、それが良いと思います。日本に居るとスケールを小さくさせられかねませんからね。そういう意味でも雄星もそのままメジャーにいった方が良かったんじゃないかと思うんですよね。明らかに現代日本的な不条理の中で潰されかけましたよね。
そういったものを観た上での決断でもあったのではないでしょうか。

と思っていたところ10月25日のラジオでのアンジャッシュの渡部説によると、楽天が大谷を取りたがっているのだが、二軍のコーチにデーブがいるために、菊池を尊敬している大谷はそれを避けてメジャー行きを表明したとのこと。
太谷本人の菊池をみてメジャー行きを決めた、という言葉にもこういうニュアンスは感じますよね。

思った事を書いてしまえば、デーブは雰囲気がそもそもそっちのほうの人の雰囲気で、ああいった人を不祥事を起こしてもなお、コーチとして雇う人達の見識を疑います。

ドラフトでは過去の色々な映像も流れていて、江川事件とかやっていましたけど、あれはマスコミによるいじめですよね。しかも横並びが気持悪い。今の目でみればそういった中で記者クラブという存在もあったのでしょうね。
本当に叩くべきは読売本体だと思うのですけど、論点を微妙にずらして叩きやすい所を叩いたのでしょうか。

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