サントリー美術館 お伽草子 この国は物語にあふれている 第7展示期間 その1

#その他芸術、アート

10月30日の8時45分ごろのモーニングバードでは原子力規制委員会の拡散予測が間違っていたというニュースが伝えられましたが、風向きが違うと魚沼市が非難地域から外されたもので、恣意的なものも感じます。

この予測の誤りによって混乱した、と責めていましたが、混乱させたのは、そもそもこのような試算に信憑性があるかのように伝えるメディアであって、規制にならない人事の体制や意味の無さを伝えないことは国全体に大きな不利益をもたらしています。

訂正で混乱がどうという以前に、そもそも信憑性があるかのように伝えた時点で、日本全体に無用な錯誤をもたらしたと言えるでしょう。

テレビはまた淡々と北海道電力の節電要請を伝え始めましたが、誤報の山の振り返りやそれによる死者に対する悼みなどはなく、恥ずかしさは感じないのでしょうか。
「「家庭の電気を毎晩2時間ぐらい止めたら皆分かる」と、原発が必要だとの理解を広げるための人為的な停電にも言及。」といった発言(http://www.47news.jp/47topics/e/234264.php)を大きく取り上げて、それと合わせて掘り下げていくのがジャーナリズムではないでしょうか。

原発などでアメリカの日本への影響が話題になっていますけど、やっぱり経路は官僚を通じて影響力を及ぼしているといいますよね。官僚をかなり自由に大きく入れ替えられるような制度を総合的に設計するのが一番アメリカの影響力に対して正しく向き合える方法になるのでしょうね。

10月30日には細野がマニフェストの未達成を認めたというニュースもありましたが、そもそもやろうという気が無かったというのが正しく、カモフラージュするようなことばの使い方はやめてもらいたいと思います。

民主党はあまりにも方針が百八十度変わりましたが、検察と財務省から脅されているという噂があるんですよね。いくらなんでもありえない変わり方なので、こういう説明の方が腑に落ちる気がします。

戦前は軍部から命を狙われましたけど、構図としては似たような形で政治が無力化している可能性があります。だとすればなんとしてもこういった干渉を断ち切る仕組み、人材育成を考えなければなりませんし、さらにいえば、議会政治自体がこういった干渉を受けやすい宿命を抱えているのかもしれませんね。

ただ、やはり官僚を入れ替えられるようにするのは、こういったことの防止にもなるでしょう。

10月31日のたまむすびでは小田嶋隆さんが小沢がメディアに出ないという話を出したのですが、赤江さんは深く掘り下げようとせず、石原の話に持っていこうとしたりして、話題をずらそうとばかりします。極めて不自然な会話で、実に失望させられます。

恐らく電通だと思うんですけど、話題にしては駄目というなにか大きな力の前に逃げ腰になっているのではないでしょうか。

11月1日のモーニングバードでは主要な勢力の原発政策を並べたボードが出てきて端っこに小沢もいましたが、主要な政党順に向かって左から並んでおり、なんとその順番は党の体をなすかなさないかの河村新党より下です。
とはいえ小沢の党をちらっと映像の中に滑り込ませるのはさすがモーニングバード。(当然皮肉です)

11月1日のラジオでアーサービナードさんも小沢隠しについて怒っていましたけど、そこまでやるかといった感じで、脱原発をどうしても避けたいのでしょう。

テレビでは一斉に第三極第三極と報じていますけど、数的に言えば小沢が第三極であり、そういう発想を持って違うのではないかと報道する局が一つくらいはあるのが普通なのですが、現状は異常な横並びで同じ表現で放送されています。

それにしても、今回の石原の件で思い出すのは、数年前のヒクソン・グレイシーのインタヴューですね。北朝鮮と日本で戦争が起こるとしたら仕掛けるのは日本側だろう、という内容で、北朝鮮のファッショで軍事優先の国の方がどう考えても先に仕掛けてくるだろう、と思う人も多いと思うのですが、現実は中国との関係でヒクソンの言葉通りの展開になりつつあります。

前に日本の外交は交渉が効かず硬直しているのに対して、中国の外交は意外と柔軟性があるということを書いた新聞記事を紹介しましたけど、実は一人一人をみていった時に北朝鮮・中国以上に日本の方が硬直している、というのをヒクソンは見抜いたみたいなんです。

ヒクソンは武士の精神性に憧れて日本に来たそうですけど、実際にみてどうも、脆弱で硬直した精神を持った人ばかりがいる現状を目にしてがっかりしたみたいなんですよね。

右傾化は本当に酷く、政経塾系を中心とした民主もそうですし、自民は言わずもがな。表に出てくるものからいっても、裏で外交や政策を取り仕切っている官僚も恐らく、彼ら以上にそうなのでしょう。これらはそういった事の典型的な表れと言えます。

このインタヴューを読んで、ヒクソンは良く観てるなぁ、と思いましたけど、日本人として非常に情けなく感じたのも確かで、痛みすらあります。

同じように原発では安全神話は意固地さの塊のようなもので、ヒクソンが指摘することに対する本質的な反省をするべきだという面で、この二つの問題は同じ根を持っているといえます。

11月1日の玉川総研は、菅直人が脱原発に傾いた時に東電が、菅直人が海水注入を止めてしまったためにメルトダウンしたという誤情報をメディアに流し、メディアもそれに乗ってしまったという内容。

ゲストの高木美保さんも興味深いといっていました。

東電自体は広報部門を通じてそういった情報を流したという事を否定して、真相は藪の中、といった感じで視聴者にボールが投げ返されて終わるのですが、実際に情報を受け取ったのか記事を書いた人物をはじめメディアの関係者に取材するべきで、玉川さんは実際にそれが出来る立場だと思います。それがなかったので結局うやむやに終わってしまってジャーナリズムとしての意義はここで十分の一以下に減じてしまっていたと思います。

東電の広報部門とは一体どのような実態を持っているのかという解明も欠かせなかったと思います。尺が足りないのでここら辺は次の機会に期待したいと思います。

また、菅直人を海水注入中断を命じたとしてこれだけバッシングするなら、実際に海水注入を止めようとした武黒一郎フェローの責任はどうなるのか、という疑問があわせておこり、しかもそれを追求する報道が菅直人をバッシングする報道と較べてもどうしてこうも存在しないのか、という所を調べることも重要だと思います。

菅降ろしは他にも、事故調の報告書の「ぞっとした」発言を各社一斉に菅直人にネガティヴな情報として曲解して大々的に報道するなど、異常さすら感じさせるもので、その検証も省みられないままです。例えばこれはiPSの森口報道などより、国の命運を左右するという点においてずっと重いのです。
これはなんだかのテレビ局の横の繋がりと統括する組織との密で強い結びつきがなければ不可能だと思います。

メディアによる菅降ろしは長くしつこく続いた巨大なキャンペーンであって、海水注入の誤情報は氷山の一角の一部に過ぎません。その真相の手前で怯んで引き返してしまった感じで、テレビのメディアとしては異例の踏み込みでしたが、真実の情報を掘り出して将来に生かすというジャーナリズムの観点からみると、ほんの端をほじくっただけのレヴェルに留まっていると思います。

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