儒教・中華思想・司馬遼太郎・杉山正明・池上彰

なんだかわからないですけどマスコミは石原慎太郎さんに優しいですからね、僕も理由を聴いていみたいんですけど。と12月31日の午後4時40分ごろ荒川強啓さんのラジオで小西克哉さんがいっていましたけど、色々推測は出来てもとても謎です。恐らく水面下で関係者以外の人達には見えないところで何か力学が働いているのだろうと思います。

紅白では斉藤和義さんが「NUKE IS OVER」とギターのストラップに書いていたのが話題になっていますけど、曲の選び方が穏健だった様な気がしたので、なんにも無いのかなと思っていたんですけど、流石です。といいますか、僕はほかの歌手がやらないのが逆に格好悪いと思います。
原発事故の次の年の紅白に、そういう歌が見当たらない、ということの異常さを、業界やNHKを始め、かみ締めるべきだと思うのです。

服部克久さんがいう、日本の音楽界の現状とはこのことでしょう(絶対に違う)

「ヨイトマケの唄」は昔は普通に労働歌だな、という感じで聴いていたんですけど、だんだん印象が変わってきたところがあります。
遡ると、江戸時代の人間は滅茶苦茶働いていたみたいなんですけど、あんまり、労働が大変だ、みたいな歌とかぼやきが聞こえてこないんですよね。そして祭りになるとさらに弾けて動き回るわけで、基本的な労働観の違いや疲れ知らずの身体能力を感じさせられます。
女工哀史の頃から、資本家による搾取的な労働に変わった、というのもあるでしょうし、だんだん労働が大変だ、というような文芸が出始め、最近では日本人は凄く長く働くのに効率が悪いなんていう話も聞きます。心身の体力が無い中で無理矢理働いているのが能率が悪い原因の一つでしょう。
そういう中で「ヨイトマケの唄」と近代、なんていうことに思いを馳せてみると、色々感じるものがあるように思います。

1月3日には池上さんの中国特集でパックンが、中国と同様アメリカには先輩後輩という言葉は無い。末端の従業員と社長も、ファーストネームで呼び合って対等だ。といっていまいたけど、資本家と労働者の断絶は日本より相当酷く、表面的なものでしょう。戦後は長らく欧米に対してこれと似たような神話が流通していましたよね。

また池上さんは、中華思想の説明をしていましたけど、日本にも中華思想はあります。欧米も勝手に他の国を未開とか半未開といって侵略していったわけで、それをいわないと中国だけが特殊であるかのような話になってしまうと思います。

池上さんは以前に、原発の時に不安を煽った週刊誌が売れましたが、そのことについて考えなければなりません、といっていましたけど、メルトダウン隠し・speedi隠しに加担し、節電キャンペーンを繰り広げて、デモが極大化するまで無視し、その後も東電の原発による赤字を燃料費高騰にすりかえるなど、時間軸を伸ばして行くと数限りありませんが、そういったNHK・民放と較べて、週刊誌の方が良くやったというのが私の印象です。

そういったことを等閑視して、週刊誌を非難するというのは、驚きで、感覚を疑ってしまうのです。

池上さんはこの前の選挙特番で面白かったとも聞きましたが、本質的に悪い意味でNHKの人でもあるな、というのが私の見方です。

朝日の紙面を批評する欄でも、菅直人の「ぞっとした」発言について話したぐらいで、例えば広告費とデモを報道しないなどの原発報道の関連性についてなど、本質的な問題には何一つ触れていないのではないでしょうか。

しかしこの回でやっていたレバノンの状態へのフランスの責任は重いですね。ノーベル平和賞???
ノーベル賞がいかに欧米の身内の顕彰という面が強いからといっても、あまりに偏っていると思います。

中華思想について加えて書くと、朝鮮ではナショナリズムが非常に強いですが、それはナショナリズムが強くないとすぐに潰れかねない、日中に挟まれた地政学的な条件が関係しているといわれます。伝統的には小中華主義といわれるものが存在していました。

この前の中国展のはなしで、実際言われているより中国は戦乱の時間が長かったのではないか、という事がいわれているということを書きました。

そして戦乱ばかりだった中国、という像を描いた時に、本場の中華主義にも、似たような、歴史的に成立せざるを得ない事情が見出せるように思うのです。
私はそもそも中華主義を他国のナショナリズムとことさらに区別する必要は無いと考えているのですが、もちろん大国なのでそのナショナリズムがもたらす結果にも特有のインパクトがありますし、華夷を峻別する特有の道具立てがありますが、規模の違いで考えて良いのではないかと思っています。

前にもちょっと書きましたけど、司馬遼太郎さんは中国・朝鮮の生活に密着した儒教を儒教と呼んで、日本については儒教はなかった、といういい方をするんですよね。それが近代化が成功した要因になったというのですが、こういう風に儒教を呼ぶとどうなるかというと、江戸時代の時点で本来は儒教はなかった、と判断されて良いのに、江戸時代的な儒教もない方が良いと読者に判断されるんですよね。

そしてそれは「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」を読むとわかるように司馬遼太郎さん自身が備えている思想的性向でもあるわけです。

非常に巧妙に、日本の社会から伝統的な思想を抜いていこうとしているレトリックだといえると思います。

司馬遼太郎さんは日本の中華思想について触れないで、中華思想や小中華思想を良く強調していて、特に小中華思想については、かなり馬鹿にしていたといって良いと思います。
司馬遼太郎賞を受賞されている杉山正明さんもそういうところがかなりあって危うさを私は感じます。

こういったことは戦後に長く、中国・朝鮮に対して、あの人達は儒教的な(小)中華思想を持っている、と逆の意味で差別ないし日本の優位点として使われていたと思うんですよね。

私は中国の中華思想をどこの国も持っているナショナリズムから、そこまで特別視して切り出すべきものではないと思っていますし、歴史的には、日本も沖縄やアイヌ民族に対して小中華的な態度を持って接したといわれています。

ここらへんは人を偏狭だとして、自ら偏狭な視点で見てしまう落とし穴で、実際戦後に広くあった見方だと思うので気をつけなければならないと思います。

また、儒教がなかったと、という言い方は脱亜論的な枠組みで優位性を主張している点も見逃せません。

中華思想による逆差別、に陥らないことに今後私たちは注意深くあるべきだと思うのです。

1月4日の午前8時55分ごろのTBSのニュースで紅白を振り返っていて、ゴールデンボンバーのパフォーマンスが出来なかったとかどうとかやっていましたけど、斉藤和義さんについては振り返るものを観ません。どうでもいいパフォーマンスばかりを、パフォーマンスとして振り返ろうとしているのではないでしょうか。

同時間帯、NHKの教育では子供向けに「富嶽三十六景」(変換できない・・・)の番組をやっていましたけど、当然で、こういったものを子供の内に良く触れさせないのは考えられないことです。

手抜き除染の話が出てきましたけど、手抜き除染をさらにさぼったもので、どうしようもないといえるでしょう。このタイミングで出してきたのは、自民党政権になった原子力ムラの余裕でしょう。

ゼネコンに効果が無い公共事業を委託して太らせる政策が民主党政権下でもずっと続いてきたということであって、これは官僚主導でしょう。国土強靭化のような間抜けといえる政策を防ぐには、財と官との関係を絶つことが欠かせません。

1月7日のモーニングバードでは韓国の切腹騒動をやっていましたけど、腹をかすめただけで、物々しい音楽をつけて大きく報道する日本のメディアがどうかしていると思います。凄く長い時間を割いており、本当に対外関係ネタは大好きですよね。

日本では学生でも政治犯ではないと分かる、とゲストの田中喜代重弁護士がにこにこしながらいっていましたけど、小沢裁判などひどいものは日本国内でもたくさんあり、人このことは簡単に言えるのだ、ということに対する畏れが無いことが司法の世界の自浄能力の無さを象徴していると思います。

この人は小沢裁判でも検察・メディアのストーリーにのっとったことしか言わなかった人です。もちろんテレビのとって都合が良いから使われるのですが、あえて基本に立ち返ってもらう意味も込めて、こういう人を出すのはおかしいのではないかと声を大にして言いたいと思います。

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