千葉市美術館 蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち 前期

#その他芸術、アート

昨日の名人戦は終盤のこれからという所で、羽生さんに悪手が出たのがもったいなかったですねぇ。
7五の歩を取るとみせかけてなかなか取らないのが、善悪不明ながらも名人戦っぽかったです。

6月1日の報ステでは東電の再就職の話が。枝野がいうには、純粋な民間企業なのでいいにくいとのことですけど、こういうことをどうどうというということはどういうことかというと、政府には待ったをかける力があるはずなので、この人事には事実上政府の意向が反映している、という視点でマスコミが報じないので、高をくくっているのだと思います。

今からでも志のあるメディアに散発的でも良いのでこういうアングルから値上げを取り上げてもらって、風向きを変えてもらいたいとおもいます。

同じ日の報ステでも、福井の人達のためにも電気を大事に使いたいと思います、という大阪の町の声を紹介していましたけど、福井の再稼動賛成の人はお金漬けになっていて、政府がそれに新しいシステムを提案していないことで賛成しているのであって、福島を他人事だと思っているような考えでもあり、尊い犠牲・尊重するべき地元の人の心情、みたいな感じで報道するのはやめてもらいたいと思います。

また、江川さんが、再稼動で一番リスクがあるのは福井なのに、容認という言葉は傲慢だ、といっていましたけど、上のような状況であって、福井県民の利益相反を意識するべきだと思います。お金でリスクを取らせたものを、崇高な自己犠牲のように話して、再稼動派の人が、周囲の反対の意義を減殺させるのはあってはならないと思います。
メディアの報道に惑わされずに、周囲の自治体の反対が過半数を超えていることをみるべきだと思います。

行って参りました。

一番最初に掲げられていた「山水図」は朝鮮絵画。蕭白にしても若冲にしても画風を見ていくのに、朝鮮絵画の影響は欠かせないらしく、前に一度それらと朝鮮絵画との関わりを調べる展覧会があったんですが、行きそびれてしまったので、今では謎です。

また解説によると「京狩野の絵師は蕭白の画風を取り入れることもあっただろう」とのことで、権威的と思われる狩野派も意外なほど柔軟です。明治初年の歌舞伎なんかも色々取り入れて凄まじい出し物をしていたみたいですけど、江戸時代はかなり自在にお互いに取り入れる文化が発達していたのだなぁ、と思います。

最初の展示は「蕭白前史」で、色々な作家の作品が。
山口雪渓の「寒山図」ですとか、超俗的な寒山図が多い中で気さくな感じがして軽やかでした。

「鷹図押絵屏風」は鷹と小禽が描かれた作品で、支配するものの威光があまねく及ぶという意味を持ち吉祥画題として好まれた絵柄なのだそう。

権力の威光というと今では胡散臭い感じで、学会でもそう思われていたそうなのですが、結局威光が及ばないとどうなるかというと、国が四分五裂してしまうわけで、戦国時代のような人が大量に死ぬ時代になりかねないようです。なので権力というものをそういう面で肯定的に捉えて行く、という観方が現代はされているようです(織豊政権と江戸幕府 日本の歴史15 (講談社学術文庫) 池上 裕子 (著)  あとがき)。こういったものが吉祥画題になるというのは、当時もそういう感覚があったということでしょうか。そこだけを取り出せば趣味の良いものではありませんが、近世までの権力の誇示には救命の意味があったのは事実だと思います。

それが現代ではどうかというと、余計な権威付けや儀礼は、地域の活力を奪い、歪な中央集権を構成するマイナスの材料になってしまっていることが多いと思います。意義の無いお役所言葉などそういったものでしょうし、伊勢神宮の儀式・位置づけなど、明治の時にかなり変容したらしく、そういったものの一つでしょう。

他にも日本には明治以来の(文化的な)荘厳で権威を保つシステムが各処にありますが、現代では悪趣味なだけで無用な長物になっているものが多く、時代に合わせて順次廃止していくべきだと思います。そのための基準点としても、江戸時代というのはとても参考になるのではないかと思います。

「林和靖図屏風」は隠者を描いたものですが、顔に生気が無く、解説には隠棲に嫌気が差しているところを描いているのか、とありましたが、無表情で超俗的な雰囲気を強調しているのではないかと感じました。
他にも「竹林七賢図屏風」は珍しい七人のうち二人が決裂して出でてくる場面、ということで、竹林の七賢も俗っぽい、との解説があり、「許由巣父図襖」でも、鄙びていて楽しそうな絵ですが、高士も俗っぽいとの解説。

今は古典的な美しさであったり宗教的なものは古臭く捉えられる時代ですから、そこから逸脱した「俗」を強調することで蕭白の現代性を炙り出そうとしている解説のようにおもわれますが、少し無理気味の様な気がしますし、当時の価値観を尊重してその中で蕭白を捉えてみるのが、とりあえずの本筋なのではないでしょうか。

蕭白は寺と関係が深い人ですし、「鷹図」の署名には「入道」と書いてありましたしね。「桃蝦蟆図屏風」など平安敬人と署名があるものも多いみたいです。

「塞翁飼馬・蕭史吹蕭図屏風」は竹が細くて強くて良い感じ。「恵比寿図」は鯛の目が不敵。

珍品では洋犬を描いた「洋犬図」がありました。

「楼閣山水図襖」は見事な山水図ですが、意外と雪舟とかの影響が強いらしく、伊勢を中心に作品が残っているそうなのですが、今ではなくなってしまった作品も多いようです。若冲展のときと較べると、展示の場内の作品密度も少し低めですかね。

第三章は京の画家たち、ということで、若冲の「月夜白梅図」は流石に本格的です。
蕭白はインパクトがあって、それが驚かすだけに終わらない実質があります。最初に蕭白の絵を観た時に感じたのは描き込みが細かいことで、それで全体としての迫力のヴォリュームを見事に出しているのですが、たまに繊細な弱さも感じるんですよね。印象としては僅かに升田幸三に似たものを感じます。職種が違いますが。

観ている楽しみの大きさでいえば、絵を垂直に掘り下げていく気迫が強い、若冲の方が微妙に上かな、とも思いますが、あちらは弟子も非常に多い環境で、画材的に恵まれている気もしますので、そこら辺はフラットにみていかなければなりません。

「柳渓渡渉図」は池大雅の指頭画という指で描いた作品で、筆の流れが無いので、なんとなくがびがびしていてすんなり入ってこないのが特徴です。

応挙の「富士山保図屏風」はうっすらぼんやりした富士山で、金毘羅さんの襖絵のよう省筆の極み。恐らく牧谿の影響なのでしょう。

蕭白の絵を一同に集めた、大きな展覧会で、放浪の画家がかしこに残した絵を拾ってくる手間、研究の厚さも感じられた展覧会でした。ありがとうございました。

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