東京国立博物館 平常展 特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」その7

#その他芸術、アート

行って参りました。

とりあえずの目当ては特集陳列の「江戸時代が見た中国絵画」。

まず第一のポイントは中国で珍重されているものと日本で珍重されているものは違うということ。それを取り巻く思潮も、日本独自の美意識が反映しているという見方と、時代によっては一級品を購入できなかったが故であるという見方と二つある模様。

東博のブログで凄く丁寧に解説されているのですが、関西は明治になってからの内藤湖南を指導者に実業家達が集めた「新渡り」と呼ばれる中国の価値観での一級品のものが多いらしく、展覧会の企画の人はそちらが優れていると考えていたのが、東京に移ってきて考え方が変わり始めているとのこと。

東京国立博物館のコレクションは市河米庵旧蔵のものを中心に青山杉雨や林宗毅が集めたものらしく、このまえ青山杉雨展が開かれていたのはそういう繋がりもあるんですね。

最初の「寒江独釣図 伝馬遠筆 中国 南宋時代・13世紀」は池に船が浮かんでいるだけのもので、日本でだけ異常に大切にされているという牧谿の作品と共通したものを感じます。この絵も何度も模写されて日本で伝統的にとても大切にされてきた一幅であるとのこと。元々は大きな絵だったのを切ってわざわざこの構図にしていることが研究で分かったのだそうです。

幽玄の世界で、横には探幽の模写がありますが、こういったものを展開しているのだなと納得できます。日本画をつまらなくしたのは探幽であるということを話しているのをどこかで小耳に挟んだことがありますが、確かに桃山の豪壮な狩野派の描写は失われているのですが、味があってこれは一つの芸術です。責任はその簡素な造形だけしか受け継がなかった後世にあるでしょう。

狩野元信のものは探幽の模写と比べても余白が少なく、力動感があります。

日本で大切にされてきたものは、賑々しいものではなく、いわゆる禅的という言葉で連想されるような、簡素で幽玄な広がりを感じさせるものが多いと思います。日本独自といわれる枯山水を思わせるものが多い。

そこにはいわゆる輸入学問としての禅ということのみならず鈴木大拙に指摘されるような、日本在来の思想の展開としての鎌倉仏教があって、その審美眼の先にこれらのコレクションがあるように思います。

日本文化は中国文化の影響が大きいですけど、西岡常一棟梁がいうには法隆寺などを観てもちゃんと自分たちの風土に合わせて改良しているらしく、絵画においてもそういう自国の主体的な一線を感じますが、それと比べると現代の日本の価値観を打ち出す能力の低さは深刻だと思います。

解説中では世界遺産やカンヌでの評価ばかりが国内で話題になる、とかいてありましたけど、そのような賞で国内で国際的に評価されているものが見当たらないというのは深刻な状況だと思います。自分たちの中で価値観を醸成して、高め、打ち出すことができていないのです。

日本は海外では想像以上に歴史的には芸術の国として評価されているそうですが、現代の芸術的な鑑賞力の低さは目を覆うばかりだと思います。

戦前は京劇などでも、日本で成功すると箔がついて本国で成功することができたのだそうです(「京劇―「政治の国」の俳優群像」 (中公叢書) 加藤 徹 (著) )。そのように国民のレヴェルを高めていって高い鑑賞力を発揮することで、日本は将来にわたってアジアの中で有意義な位置を占め続けることが出来ると思うのです。

あとこれはやっぱりメディアも関わっていて、今でもニューヨークの文化の格式が高いのは、新聞社の批評欄がそれなりに厳しいというのがあると思うんですよね。日本には馴れ合い以上のそれが存在しない、というのが非常にマイナスなのではないでしょうか。(吉田秀和的な作品と直截的に向き合ってない批評になっていると思うのです)

「祖師図 暁?賛 中国 元時代・14世紀」は輪郭線の強弱が衣の雰囲気を際立たせた筋が良い感じの品。この作品など「日本的解説」と「中国的解説」の二項に分けられて解説されているのも特徴。前者は基本データを、後者は日本での伝来などが書かれています。こうやって観ていくと、各展覧会でこういった絵を扱う時はこのようなスタイルが必須のようにも感じてきます。

日本には昔から漢文がメインといわれる仏教でも、一方で仮名法語と呼ばれるひらがなでの表現の伝統がありました。こういった二つの系統の表現方法を使い分けることは、工芸ですとか他の展示物でも、作品の本質を浮き立たせる優れた表現方法になりうると思うのです。

板橋美術館の展示ですとかも、そういう表現の系列の中で解釈することも可能でしょう。

「羅漢像 伝禅月筆 中国 明時代・17世紀」などの箱書きもたくさん展示されていて、これは日本独特のもの。中国のものは直接作品に鑑蔵印や跋文を書くのだそう。表具は質素なものが良いとされ、それを鑑賞する習慣はないのだそうです。

日本でも浮世絵で林忠正が明治に輸出したものには表に彼の判子が押してありますけど、今でももったいなかったなと思います。自国のものを大事にしていない痛みを感じます。

「墨竹画巻 伝管道昇筆 中国 元時代・14世紀」は文人の妻の水墨画らしく、日本の女性の画家としての活動に影響を与えたのではないかとのこと。こういう歴史的な根拠があるかないかで気分的・社会的にだいぶ違うということがありますよね。

それを模写した「墨竹図(模写) 狩野養川院(惟信)模、原本=伝管道昇筆 江戸時代・18世紀」は驚異の模写率で、適当に描かれたと思われる竹の葉の勢いまで極めて精巧に写されています。
この前の王羲之展で紹介された「双鉤填墨」の奧義でも使っているのではないかと思われる出来栄え。

「岩竹図(模写)狩野晴川院(養信)模、原本=伝呉鎮筆 江戸時代・19世紀、原本=元時代・14世紀」もかなり上手く写されていると解説にありましたが、精巧さではコピーと真似の差があります。

東博の中国画コレクションは狩野派の中で最も格式が高かった木挽町狩野家のものを引きついでいるのだとのこと。
狩野派は全国にネットワークを持っており、その仕事先の大名家などが持っている書画を写してひたすら木挽町に集積したらしく、乾隆帝の「石渠宝笈」と並ぶアーカイブスであるとの解説が。

狩野派は江戸時代中、権威を保ちますが、このように中国の書画の本物の息吹きに触れる事ができる環境を独占的に持っていた。そしてそこから吸収して自在にアウトプットすることができた、というのも大きいのでしょう。

当時手に入らなかったのは中国でも珍重されていた元代の文人画の4大家と呼ばれる人達の作品で「竹図 伝趙孟?筆 中国 元時代・14世紀」は伝ながらもその貴重な一幅。趙孟?は書家の印象が強いですが、画家としても物凄く大事にされています。

日本の文人画は北宋以来の中国の文人画に大きく影響を受けているらしく「天保九如図 谷文晁筆 江戸時代・文政7年(1824)」は「山水図 李在筆 中国 明時代・15世紀」とかなり似ています。今度谷文晁展があるといいますけど、欠かすことができないアングルでしょう。
ただここでは谷文晁のものは彩色があって蒼々としており、日本独特の湿度のようなものが描き込まれているような気がします。

「花卉図 王武筆 中国 清時代・17世紀」は穏やかな彩色が施されたふんわりとした、奇麗な逸品。

「清書画人名譜 3冊 浅野梅堂撰、鷲峰逸人編 江戸時代・嘉永7年(1854)写」は「中国伝来の画人伝は概ね時代や身分別になっていた」のを日本人が使いやすいようにいろは順に並べなおしているものらしく、さらに日本で編纂された画人伝である「君台官」も「おまけ」で付いているとのこと。この「君台官」はかなり不正確な所も多いのですが、日本での中国絵画の受容史上非常に重要であるとのこと。日本で作られた架空の画家の項目もあるそうです。

こうやってみると、やはり中国は身分がきつい社会であるなと感じます。

「秋林隠居図 王?筆 中国 明時代・建文3年(1401)」は直立する枯木と水を深く蔵する清澄な湖の取り合わせがなかなか。

最期のほうはいわゆる「新渡り」の名品でしたが、こういった収集も江戸時代の蓄積があったからこそであるとのこと。芥川龍之介や志賀直哉が憧れたコレクションだったそうですが、最近はそういったものに興味を示す小説家や文化人は僅少ですよね。もちろん時代が違うともいえますが、こういった絵画の内容を体感する時に、寂しいのではないかと思うのが、正直な感想です。

たった二間でしたが、日本美術を振り返るのにきわめて重要ながらなかなか開かれない特集で、凝縮力があり、一通り観るのに一時間半かかりました。

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