手抜き除染についてはNHKだけが「不適切な除染」という用語を使っていて、雰囲気を和らげる為という評がありますけど実際そうなのでしょう。しかし、不適切な関係、みたいで余計にいやらしい雰囲気もする様な気がするのですがどんなものでしょうか。
森林バイオマスなど新しい技術が色々ありますけど、それを使わないのは、(誰かが)お金を流したい所にそれでは流れない、というのがあるのだと思うのですよね。多分官僚がゼネコンに流したいのでしょうけど。
広域処理、仮設住宅の建設、電柱地中化、等等での構造と同じで、ここに根本的に手をつけないとどうしようも無いといえるでしょう。
国土強靭化はもちろん良くないのですけど、強靭化するべき所が強靭化されないで、無駄な工事を繰り返して国土は弱る一方、というのが一番まずいと思います。
何をやるべきか、ということがあって、次にやるべき事をいかにエレガントいにやるか、という問題がありますが、どちらも最悪の事をやっているな、という感じで、これは小泉政権の頃、もしくはそれ以前からまったく変わっていません。
日本では例えば再エネの壁ということで報ステなどが送電線のコストを盛んに取り上げますが、ガイアの夜明けの地熱スペシャルによると、このことを話すと欧米では送電線は投資であってコストではない、ということで笑われた、という話を富士通の高橋さんが言っていて、日本は公共投資に関する感覚が狂っていると思います。
行政では繋がりや、天下り先第一、ということがあるでしょうし、メディアでは再エネに対するネガティヴな要素を付け足して、広告等等に関して、「バランス」を取るために見識無く報道を垂れ流しているように思います。
サンデーモーニングでは田中秀征が東南アジアでの安倍ドクトリン(おもちゃみたいな名前ですよね)を評価していましたけど、なにをどうみて評価しているのかと思います。(そもそもこの党は基本的人権に反対だったような・・・)
具体的なことが何も書かれておらず「美しい国」と同じで内容が無いんですよね。まったく同じだと思います。こうやって相手するのも面倒くさい首相で、勝手に体調を崩してすぐにいなくなるのではないかと思っています。
サンデーモーニングでは、加藤諦三教授が、若者が共同体の大切さに気が付き始めているなら失われた二十年ではなく無くてはならない20年だった、と言っていましたけど、政策的な話と社会的な話をごっちゃにしています。新自由主義にひた走って国力を低下させる必要はなかったのです。
共同体云々の面でも特に必要な時間だったとは思わないのです。地域分散型にすれば勝手についてくるものでもありますし、こんなに時間をかけてやることではないと思います。むしろ新自由主義的な、国が責任を負わないという意味での「絆」の普及すら感じさせるのです。
生活保護受給者、後発薬基本に 厚労省が検討(http://www.kahoku.co.jp/news/2013/01/2013011901001618.htm)というニュースがありますけど、これは非常に良くない政策だと思います。
広報の仕方であったり、CMの流し方に問題があったりすると思うんですけど、ジェネリックと先行の医薬品は実はイコールでは無いんですよね。飲みやすさであるとか、同じようでも長く効くように作られているとか、効き方、それに伴う副作用であるとか微妙に違うものが多く、先行医薬品にはそういった改良が施されているものが多いんですよね。そういう違いというのは病気を持っている人にとっては非常に大きな違いとして感じられ、体質に合わなかったり、非常に苦労を強いられる。あるいは飲めなくなってしまうという事態も大いに考えられます。
自民党がやった、ということにして実質は厚生労働省が打ち出した政策なのでしょうけど、建て前の同じであるという面に捕われて、実質が把握できていない所から生まれた発想の政策だと思います。実質を把握する知性に欠けていると思います。
生活保護は現在、職が無い人のみならず、病気の人であるとかも一色単に同じ制度でセーフティネットとしている、ということが問題視されていて、そういう病気の人にとっては非常に乱暴で憂慮すべき政策だと思います。
矛盾に矛盾を重ねた、賢さに欠けた政策だと思うのです。
女性警官に脱衣強要容疑、神奈川 巡査部長2人逮捕(http://www.kahoku.co.jp/news/2013/01/2013011901001657.htm)という事件もありましたけど、一年前の事件の事件であって、なんとか立件したという感じが酷いです。
昨年は冤罪事件が多かったですけど、無理矢理逮捕するものと身内の扱いの間に差がありすぎるのではないでしょうか。そしてそのことについて深く掘り下げた報道を見かけないことも非常に良くないと思います。
玉キングは吉田照美さんのラジオで白鵬の立会いの張り手を問題視していましたけど、あれって来るのが分かっていれば逆用できるんじゃないかと思うんですよね。腕を取って引き込んでしまうとか、左で張って来たとして、白鵬の右の懐に飛び込んで上手く流れに乗って投げてしまうとか、手刀を払う要領で受けてしまうとか。
確かに品は無いのですが、それ以上に他の力士が逆用できないのが不満です。とにかくやってくるのがわかっているのは好材料なのに、無策な印象を受けます。
また、他の力士もどんどん張り返して行けば良いのではないでしょうか。
ただ白鵬は立派な人ですけど、ところどころで、ちらっ、ちらっ、と精神の甘さが感じられる時があるんですよね。
大手金融に天下り 福島原発事故当時の経産次官ら(http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201301200436.html)というニュースもありましたが、原発と金融機関の関係は日本の腐敗、原子力ムラのど急所といえる重要な部分で、大阪の入試の問題はもちろん、アルジェリアの人質事件にも勝って多い時間で取り上げるべきニュースだと思います。
しかしテレビではみかける事すらなく、これを取り上げないのはメディアを含めた原子力ムラの仲間内で自浄作用が無い事を示していると思います。
1月21日のNHKの午前11時半頃のニュースでは今年のわかさぎ釣りの検査をやるとして、去年の「ワカサギどこに…85人が5時間半、やっと1匹」(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120128-OYT1T00682.htm)というニュースを引用していましたけど、この釣れないというのはわざとではないでしょうか。本当に釣れなかったとしたら原因究明を徹底的にやるべきですし、わざとだったら担当者の責任を問うべきです。
被災地域の湖は除染による移染などで溜まる一方で、良くなるような感じがしないのですが、セシウム134の半減期は2年ですので、そういったものを待って、シビアな被害の実態を見えないようにしようということでしょうか。
麻生発言について、荒川強啓さんのラジオで町田徹さんは、おちゃめなことをいう人だから、と擁護したそうですけど、あえて言えばそのように評論家のレヴェルが低いから政治家のレヴェルが低いのだと思います。荒川強啓さんは1月23日の午後4時55分に、川柳でよくネタにされていることについて、愛されているんですね、と発言。
鉢呂発言などと較べれば一目瞭然で、重さから言って必ずやめなければならないでしょうが、メディアの追及もなぁなぁに、きっとこのまま居座り続けるのでしょう。
一時期、若年での犯罪者をやんちゃと呼ぶのが流行りましたが、高齢者の方々の気持ち・立場や政府の人間としての言葉の重みを考えた時に、それに等しい糊塗を施した報道であると思います。
1月21日の午前九時ごろモーニングバードでも、舘野晴彦さんが面白い、羽鳥慎一さんが魅力溢れる、手嶋龍一さんが問題の提起、などと擁護していましたけど、面白いわけが無く、権力の走狗であるといえるでしょう。
言葉の意味や込められた意識は論外ですが、危惧されるのは延命治療を選んだ人が白眼視されかねなくなるのではないかということです。延命治療は当然受けられるべきですし、繋がり・年齢・体の状態など家庭それぞれの事情もあり、そういうことがあってはなりません。
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