東京都美術館 【特別展】メトロポリタン美術館展 大地、海、空 4000年の美への旅 その1

#その他芸術、アート

1月29日の朝9時ごろのモーニングバードでは体罰問題を取り上げていて、複雑な問題だ、と舞の海が言っていましたけど、そんなことはなく、横の宮田佳代子さんがすぐに突っ込んだように、どんな時でも絶対に駄目であるということを徹底させないといけません。

別に舞の海さんがどのような意見を持たれようとも自由であるともいえますが、相撲界が日本の伝統であると偽称して体罰を行ったり、土俵に女性は触れてはいけないといった事をいうのはやめてもらいたいと思います。メディアもこれは嘘であるということをそのつどちゃんと報道しなければなりません。

いや~、前任のコメンテーターの清水宏保さんはバランスの取れた優秀な人でよかったんですけどねぇ。出馬をしてからメディアでの活動範囲は狭まりましたよね。大地から出るというのが微妙に気概を感じさせるものでしたが落ちてしまって、自民党から出た堀井が受かるというのも、皮肉というかなんといいますか。社会状況が良くないのが選挙結果にも反映しているといって良いでしょう。

飯田哲也さんも選挙活動をされるようになってからめっきりメディアへの露出が減りましたが、これは仕方が無いといえるでしょう。政治活動をされるのはひとつの判断ですけど、代わりにメディアに露出して再エネ政策を語る人がいない状況で、そういう人がいなくなってしまった。豊富ではない人材状況を考えた時に、どうだったのかなと思います。

将棋界には指した手が最善手、という言葉があって座右の銘にしている棋士も多いですが、これは本当にすべて最善だったというわけではなく、ざっくりいって、しっかり分析した後は前向きに処理して最善を尽くそうということだと思います。禅語の日日是好日の変化形とも言えるでしょう。
そういった感じで選択を前向きに未来に繋げて貰いたい所、、、、と、私がいうまでもありませんが。

大西リポーターはほっとアジアにこの前出ていた怪魚ハンターにそっくりですね。

1月30日の午後6時55分頃のNスタでは四国電力の値上げの報道をしていましたが、火力の燃料費が嵩んでとニュース中で断言。原発の維持費や建てた時の借金返済の費用がかかっているのであって、間違えです。これは拝金主義であって、原子力ムラの方向を向いて本来の報道を見失っているのではないでしょうか。

1月30日の午後5時55分頃のNスタでは園田監督を直撃していましたが、東電などには行かないのにこういったところにすぐに出て行くのは拝金主義だといえます。もちろん直撃するべきですがそういったものより必要度は圧倒的に低いと思います。

解雇の会見をやっているのも流れましたが、なぜ隠したのか、という釈明と責任は必須です。
たしか武士道のスポーツを表明していたと思うので、切腹、は不可能に終わる可能性が高いので、この問題を解決する為に全財産を供出すれば良いと思います。

遺憾、と言っていましたけど、残念ということで、当事者意識がまるで感じられません。
相撲の八百長と一緒で取り締まる方もやっているのでしょう。

女子のトップだからまだ言えましたけど、末端で酷い体罰を受けて声も挙げられない人がいくらでもいると考えるのが妥当だと思います。

園田監督は私自身以外叩いている人をみたことが無い、と会見で言っていましたけど、柔道家は嘘(多分)をついて良いんですかね。

思い通りになり人だけ呼んでいた、とか、弱くなるのは当たり前です。勝てなかった分析とか、ロンドンオリンピック後に言っていましたけど、それ以前にやることがあります。

本当に賢ければ表面化する前に内部で深刻に受け止めて体質の改善に着手したのでしょうけど、規制する側もやっているのでそういう展開にはなりようもありません。
日本の伝統とは関係のない、真逆の、軍国主義の精神である、という事をまずは常識化させる必要があると思います。

愛の鞭柔の道でも死語になり、が時事川柳で勝ちましたけど、鞭で体罰を行うのは西洋の風習であり、愛という言葉との組み合わせからも外来語なのでしょう。
そういう意味では西洋から色々なものが移入された時に成立した柔道らしくて、密接に関係していた要素がもしかしたら切り離される可能性がある、という意味で、この川柳も感慨深く鑑賞できるのかもしれません。

1月30日の午前8時半のとくだねでは体罰問題を取り上げていて、女子柔道の代表達がJOCに訴え出たのを隠蔽していたという話。

古い体質と決別しなければ、と小倉さんを始め繰り返していましたけど、大筋認めた園田隆二代表監督は39歳と圧倒的に若いんですよね。もっと上の古賀稔彦ですとかの方が、絶対こういうことはやらないだろうな、という信頼があります。

つまりやはり最近の右傾化に良く観察できる、日本人の劣化のひとつの結果である、という視点が重要だと思うのです。

また、柔道で言われている精神性は、その多くが明治の軍国主義由来であるという事を冷静に観察せねばなりません。
もし、伝統的なものであるというのなら、例えばもっと古い柔術道場でさらに酷い体罰が観察できなければ辻褄が合いませんが、体罰があったという話すら聞いたことがありません。

そもそも柔術の伝書には極意として脱力について説いているものが多く、暴力での指導ではそのようなものは身に付きません。そういった術理の面からも無いといえます。

田中大貴アナウンサーは局アナのせいなのか相変わらず腰が引けていて、厳しい練習でメダルを奪取してきた、とフォローしていましたけど、体罰と厳しい練習はまったく関連が無く、非常におかしいコメントだと思います。体罰が無ければもっと結果を残せたかも知れず、現に日本の女子はそれだけの実力を秘めていたと思います。オリンピックでは内村をはじめとしてメダルを取った人がいますが、彼らを見ていても、厳しい練習を自分に課せるのは限り無い意欲の源泉である自主性があるからなのです。

矛盾や権力に対して妥協をしたら周囲が叱責する土壌が局内に存在していないのではないでしょうか。

他にも部の実力と絡めて報道するものが散見されますが、これが一番危険だと思います。特に世界のトップでは脅迫でやらせるような練習では絶対に通用しない。それが今回のオリンピックの柔道の一番の反省点だったということなのではないでしょうか。

精神性の欠片も無い事が一番のトップで行われている。山下は一体どのように受け止めるのか。

前回の文章では山田太一さんの話を引用しましたけど、テレビの内側を良く伝えてくれる話でしたよね。その作品は私は直接存じ上げないのですが、なにかちょっと遠慮がちなというか、今でいう過剰適応の問題を取り上げていたもよう。例えば当時はすぐにばーんと友達を訪ねていくのが当たり前だったそうですが、それを事前にいっていいかと連絡を入れるとか、逆にばーんと来ると引いてしまうとか、そういう感じだったと聞きました。
当時はそんな人はいないよ、といわれたそうですが、最近は巷はそういう人に溢れています。
直接身体と身体がぶつかることが無くなった、と仰っていて、身体性の喪失をひとつのテーマにされていたもよう。

こういうの最近のコミュニケーションのとり方は日本人的といわれますが、やはり40年前と較べても今のコミュニケーションのとり方は全然違っていて、安易に国民性に答えを求めるのは間違えのもとになることが多い。このコミュニケーションの話に関しては間違っていると言えると思います。

1月31日の報ステではオリンピックの支持率がこの2ヶ月で上がっている、という事もやっていましたけど、ここ数ヶ月のテレビ報道は支持しない人は非国民、というと強くなってしまいますけど、普通に言って支持するのが当然、という雰囲気で報道していたといいます。
例えば局内に反対の人もいるでしょうけど、テレビでそういった意見をいった人はいなかったのではないでしょうか。(私は見ませんでした)
権力か、もしくはスポンサーの号令で一斉に動いているのではないか、と感じさせるのです。

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