サントリー美術館 歌舞伎座新開場記念展 歌舞伎 -江戸の芝居小屋- 第2展示期間 その3

#その他芸術、アート

「井上・公明幹事長、F35の部品輸出容認へ」(http://www.asahi.com/politics/update/0301/TKY201303010389.html)というのもありましたけど、何か最近の日本は、プライドを売るのが現実的なんだ、と思い込んで実際の利益を失っているような気がしてなりません。

サムソンと組んだソニーなどにも、それ以外でも、そういったことを感じます。消費者金融を抱え込んだ銀行もそうですし、そのCMを流すテレビ業界などでもそういった考えがはびこって、かえって本当の利を失っているように感じます。

本当に短期的な利益が出るのかもわかりせんが、どれも短期的な考えで、これは体罰問題と同じともいえます。

短期的な考えしかできない、国全体の文化性及び仕組みが非常に問題だと思うのです。

ただ、サンデーモーニングで田中優子さんがいうには、軍事費を削減したいアメリカが日本に製造を押しつけているのではないかとのこと。米軍の代わりとしての憲法改正とも意味が揃うので、こちらが本当なのかもしれませんが、両方の思惑を含んでいるというのが妥当な見方でしょうか。

tbsの報道特集は途中からみたのですが、特許庁の55億円をつぎ込んだプロジェクトが失敗したらしく、中請けにヤクザが入っていて国のお金を吸い上げていたとのこと。

どんな中請けが入っているか知らないし、管理する責任も無い。という特許庁のコメントが出ましたが、責任が無いわけがありません。たとえば、被災地などでは民間に渡るべき金をいっちゃもんではないかという査定で絞っているにこのヤクザをはさんだ放漫さは一体なんなのか。

しかし日本は右を向いても左を向いてもヤクザで、一体どうなっているのかと思います。
本部や組長が分かっているのに強制捜査をしたりしないのがそもそも理解出来ない。法律を作って自動的に組長は捕まえられるようにしても良いと思います。
紅白をはじめテレビ局もタレントを起用する際に、厳しく調べるべきだと思います。

「原発専用港、アイナメから51万ベクレル 福島第一」(http://www.asahi.com/national/update/0301/TKY201303010001.html)の記事は大竹まことさんのラジオによると、東京新聞にしかなかったとのこと。

広告費や電通、秘密会議を通した官僚のコントロールが効いてしまって、拝金主義に走っているのではないでしょうか。

未来世紀ジパングでは2月18日に「"東京都バンコク区"…日本企業が殺到するタイ」という特集をやっていましたけど、タイは住みやすそうな国ですねぇ。

中島誠之助さんは「やはり、西洋というか中国も入れたユーラシア大陸というのは、常に攻防が絶えない狩猟民族でしょう。」(「中島誠之助 やきもの鑑定五十年」 (新人物往来社文庫)中島 誠之助 (著)) と対照する形で日本の文化の特性を説明されていましたけど、一方、東南アジアでも「戦闘的な新しい歴史の展開が次から次へと構築されることはなかった。」(「東南アジア 多文明世界の発見」 (興亡の世界史) 石澤 良昭 (著) 31ページ)らしく、やはり他の地域と較べて戦闘的でなかったというのがこの地域のひとつの特徴といって良いと思います。

漢字の使用や共通の古典、もしくは基層に持っている民俗的特質ですとかに注目すると、日中韓ベトナムで東洋、ということになりますが、上のような要素に注目すると、むしろ日本は東南アジアと同じ文化圏であるといえるでしょう。みていてそういう共通性というのを非常に強く感じる特集でした。互いの信用や思いやりが幸福な連鎖を生む社会ですよね。グローバリズムやそういったものを背負っている、司馬遼太郎や許光俊のような評論家に追いやられてきた価値観だといえますが、これから本当に大切なことだと思います。同じてはいけないのですが、和はどこまでも必要なのですよね。

サンデーモーニングの「風を読む」では国際情勢をゆるく扱っていて、田中優子さんはベトナム戦争からの日本の戦争協力の歴史の延長線上としてF35の問題を位置づけていました。

一方岸井成格毎日新聞主筆は、今年アジアのすべての国の政治のトップが変わった、とどうでもいいコメント。この人は本当にこれ以上どうでもいいコメントはできないのではないかというコメントしかしません。こういう人が重要な位置にいることに今のメディアの体質が典型的に表れていると思います。

サンデーモーニングの「風を読む」では、朴槿恵大統領が「第二の漢江の奇跡」を起こすと宣言している所が流れ、父親の映像まで流しましたが、日本の経済援助で成し遂げた「奇跡」であるということはいいません。
日本であればかならずセットで報道するのが本当だと思うのです。

やはり推測すると、電通が言えといわないのでしょうね。事実として大きいものとして、パチンコの宣伝の広告費などは相当ありますよね。

例えば韓国でパチンコが禁止された時に日本でマスコミが話題にしていたかといえばしていません。その資金の流れの特集なども組まれるべきなのに、NHKなども含めてそういった特集はほとんどみたことがありません。

パチンコ中毒自体もPM2.5よりよほど深刻ですが、ここ10年のパチンコ中毒報道をすべてあわせても、ここ一ヶ月のその報道と比べて質量がまったく比べ物にならないくらい小さいといえるでしょう。

それでいて、3月3日の朝日新聞のように、韓国からパチンコをしに人が来ていて外貨獲得につながってる、というようなどうでも良いような提灯記事だけを大きくのせるというのは一体どういうことなのか。

放送法のウィキペディアによると「また、番組編集についての通則として、何人からも干渉・規律されない(第3条)」とありますが、これに抵触しているか、さもなくばよほど見識が無いといわざるを得ないのではないでしょう。

将棋関係の記事では村瀬信也記者の「公開対局で魅力を伝えよ」のスカイツリーで対局をしてみるとかどうか、という提案は面白いと思います。いつもスカイツリーにガラス張りの区画があって、そこで常に誰かが対局している、とかですね。日本を代表する文化の一つなのですから、観光客が対局姿を観たいなと思ったら常にみられる環境のようなものがあってしかるべきだと思います。

あとは控え室とか、全面的には難しいかもしれませんが、会館の中で見えない状態になっているもので公開すれば経済的にも業界的にもプラスになるものがまだあるようにおもいます。

あとやっぱり手間だとは思うんですけど、NHK杯ですとかは、毎回和服であってしかるべきだと思うんですよね。

文化的な装置としての将棋の側面にもっと自覚的に取り組んでいくと、将棋界も繁栄するのかもしれません。その点、谷川会長は将棋界でもそういった部分に一番自覚的な人のように思いますので、期待して良いのかもしれません。

1月22日の朝日新聞の犯罪学者の浜井浩一さんの「刑務所から見えるもの」というインタヴューも面白かったですけど、刑務所は高齢者や知的・身体的ハンディキャップを持っている人で溢れているとのこと。

「同じ罪を犯しても、社会的弱者と強者とでは刑罰の適用のされ方がまったく違います。」というのも深刻に考えなければならないところだと思います。

東京新聞の佐藤圭記者の記事によると、オリンピックに先駆けて路上生活者を追い払っているとのこと。路上生活者も刑務所の中と同じような状態であることがいわれていて、こういう人達を社会に包摂する政策を一番に優先しなければなりません。

オリンピックもテレビなどでは賛成するのが当たり前のような論調で流し、反対するコメンテーターなどもほとんど見なくなりましたけど、やはり私は優先すべき順番が違うと思います。こういったことを一番に伝えるのが本来のメディアの役割だと思うのです。

現代日本では共同体による村八分が犯罪の抑止に役立っているのではないかということですけど、そういったものは特に都市部では存在していないといって良いでしょう。現代はやはり捕まりやすい、というのが大きな理由ということになるのでしょうか。

江戸時代の犯罪の少なさというのは、ここに書かれているような個の確立によって支えられていたと思うんですよね。「刀狩り―武器を封印した民衆」(岩波新書 藤木 久志 (著))に「「一般市民のコンセンサス」のもとで、手元の武器を封印し続けてきた十六世紀末いらい四〇〇年余りの日本の歴史」(235ページ)を重視するべきだ、と書かれていますけど、こういう伝統的な市民の「自律」にも犯罪率の低さの理由が求められるのではないかと思います。

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