戸栗美術館 鍋島焼展- 孤高の鍋島藩窯 - 後期 その2

#その他芸術、アート

3月14日の報ステでは除染の問題を扱っていましたけど、いくら除染しても山から流れてくるので汚染度が下がらないとのこと。

それで他のところに引っ越しても、自主避難扱いで、せいぜい16万しか出ないとのこと。専門家の方も仰っていましたけど、そもそもこの自主避難という言葉は使うべきではないと思います。東電の拝金主義の犠牲者であるといえます。まさに棄民状態です。

こんな状態では、本来、ワイドショーで何度も繰り返される、食べ物特集すらする気にはならないのではないか。

環境省の小沢晴司次長という方が山は除染しないのかと問われて、再び汚染される理由には様々なファクターがある、といっていましたけど、それならばそのファクターを述べれば良い。いわないのはごまかしだからです。

問題になった手抜き除染も、手抜かないと利益が出ない構造になっているらしく、このまえのグループホーム火災の構図と非常に良く似ています。しっかりお金を出さないのは、東電を救済するための拝金主義です。

古賀さんが映像で出ていましたけど、東電を解体しないで、守るために節約をしているのがすべての元凶であって、売却するべき所を売却して本格的に国有化するべきだといえましょう。

参加表明以来TPPの報道はほぼなくなりましたが、IWJによると、高市政調会長が「メディアはとても親切な報道をしてくれた」といったらしく、真実を曲げて政府の以降に沿った報道をしていたということで褒められたということでしょう。

また、TPPはアメリカの国内法に従うということで、先にFTAを結んでいる韓国は60以上の法律を変えさせられているとのこと。

これも絶対にテレビでは出てこなかった話だと思います。
検証も責任もなく、理性を欠いた認識で、集団であらぬ方向に突き進んでいます。

3月15日の報ステは古賀さんの電波なTPP推進論から始まりましたけど、農家を非正規雇用の人達より恵まれている、甘やかされている、という論法はどうなのか。非正規の人達というのはまさに社会で切り捨てられている人達であって、それと農家を比べるつもりなのでしょうか。
私は農家の内部の話には結構詳しいのですが、内側ではまずサラリーマンと比較するのですけど、年金など驚くほど不利です。
特に公務員と比べるとお話にならず、古賀さんは元公務員ですけど、まずは公務員と比べて話す、というのが当たり前ではないでしょうか。

改革をするというのは主に大規模化の話でしょうか。実地でみて、それで本当に見通しが立つと思っているのでしょうか。

古賀さんはウルグアイラウンドで農業に6兆円つぎ込んだ、と言ったあと、古舘さんに農業土木など農家と直接関係のないところにも多く渡ったのではないか、と突っ込まれて肯定しましたが、そもそもこの予算の使われ方はお粗末であって、この話を農家の補償の話として持ってくること自体が、よほど勉強していないか、知りつつごまかしているといえます。
良心的であったと仮定しても、この人は数字の内側をみる能力が甘いと思います。

それを受けて続けて、TPPの補償の話でもあらぬところに使われるのではないか、と話ましたが、最期はまた農家に直接渡っているかのような前提で話し始め、甘やかされているとのたまう始末。話の主旨に筋が通っていません。

兼業農家として甘やかされていると言っていましたけど、みな、専業の生計が立たないので仕方が無く働きに出ているのであって、これは農家軽視であって、農業軽視です。宮沢賢治の時代は日取りといったそうですね。

司馬遼太郎さんが敗戦にいたる原因として指摘された「ナルシシズム」が古賀さんから垣間見えるのです。この言葉自体は微妙で、色々な綾があるのですが、率直に言って、どうもご自身は優秀である、という前提で議論をお進めになっているように思えます。それが自分たちより優秀でない人としての農家軽視につながっているように感じるのですが、はたしてこのようなTPPを推進する人物が優秀なのでしょうか。国家に利益をもたらす人物なのでしょうか。また、古賀さんがある種見捨てられたような経済産業省の同僚達は果して優秀だったといえるのでしょうか。もう一度客観的にお考えになられるべきではないでしょうか。

古舘さんの切り返しは適切で早く、議論をするには勉強をしなくてはならないなぁ、と痛感させられました。

ちなみに司馬遼太郎さんは「ナルシシズム」というのを非常に嫌っていて、敗戦にいたる原因として、軍部や指導者に「ナルシシズム」による過信があり、それによって合理的な思考を欠く部分が多かった、と考えられていたようなんですよね。

それはその通りなんですけど、ナルシシズムとは何か、というのを深く突き詰めていくと、実は本当の自信、根源的な自信の欠如が原因である、ということが多いのですよね。それによってナルシシズムというプライドの鎧を着込まざるを得なくなる。そこまで洞察できなかったがために、戦後においても日本はこの病を克服できないばかりがこじらせてしまったのだと思うのです。

古賀さんであるとかのように、戦後の日本のリーダーはナルシシズムから自らを解放することができなかったのではないかと思うのです。そして戦争の失敗との同工異曲を2度、3度と繰り返さざるを得なかったのだと思うのです。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/51935287.html)(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53327790.html

上の古賀さんの話でも、輸出という言葉が出て、ひとつのポイントになっていたと思いますが、同じ輸出という言葉を意識するにも、意味合いは色々あります。そして古賀さんのそれはどうも戦後の貿易立国的な視点に立っているのではないかと感じるのです。

TPPに関連して色々な議論があって、その中で、日本はそもそも貿易立国ではないというデータが出ているみたいですけど、これは日本の現状の社会構造の要になっているキーワードだと思います。

「貿易立国」というのは海外との競争に勝ち抜いていかなければならない、という事を表現した言葉であって、「外圧」の一表現である、というのはひとつの大きな本質だと思います。

日本の歴史の中で外圧に関する言説をさらっていくと、まずは明治政府の、薩長が幕府を倒さなければ日本は植民地になっていた、というもの。

これは「危機は、日本が条約を結んで通商を始めてからは、比較的、小さかった」(開国と幕末改革 日本の歴史18 (講談社学術文庫) 井上 勝生 (著) 363ページ)と最近では否定されています。この本ではむしろ漸進的な改革の可能性に思いを馳せています。

次は明治の西洋化についてで、明治には西洋化をしないと日本は植民地化される、と思われていて、西洋化=善であると捉えられていたとのこと(「文明開化 失われた風俗」 (歴史文化ライブラリー)
百瀬 響 (著) )。これも幕末で安定していたのですから、明治にそのような危機はなかったといえるでしょう。

そしてそういった言説の中で、富国強兵路線を突き進み、第二次世界大戦で破局を迎えます。これも政府が対外的な危機を煽って軍に利権を集中させた末のことです。

この「日本は植民地化される」ということばの実質を戦後受け継いだのが「貿易立国」という言葉だったのだと思うのです。

新自由主義的な過当競争。正確にいうと競争するべき所で競争をしないで、競争をするべきでないところで競争をするシステムですが、これも「貿易立国」という外圧を設定した時に正当化されます。国内で競争をして強くなって海外に打ち勝たないと生き残れない。実際は新自由主義では人は育たず、国富を大きく失っているといえますが。
そして新自由主義は、お金を持っている人が得をする既得権のシステムです。

冒頭のTPPでも貿易立国という点が強調され、一部の企業が潤います。

原発も同じく。安い電力を手に入れて、産業を興して海外に打ち勝たなければいけない。
実際は電気料金が高く、危険なだけで、安くもなんともないのですが。
そして原子力ムラに、利権・お金が集中します。

小泉政権の労働者派遣法の改正の後ろではトヨタの奥田碩が強く働きかけていたといいますが、トヨタ絶望工場に代表される、それ以来の人を使い棄てる企業倫理。
公害が起きても産業のためといって、ろくに対策をとらずに被害を深刻化させた企業倫理。

海外に勝つ、という思想のもとで、日本の国内で許容されてきた倫理違反がたくさんあると思うのです。

逆にいうと、「貿易立国」である、という事をちらつかせることで、自分たちの利益のために、日本の国内で倫理違反を通そうとしてきた人達がいたのだと思うのですよね。

そしてその根底の根拠は、どうも存在しないのではないか、というのが貿易立国ではないのではないか、というデーターが示していることだといえます。

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