太田記念美術館「北斎と暁斎-奇想の漫画」展 前期 その3

#その他芸術、アート

続いて行って参りました。

肉筆画では北斎の「雨中の虎」は有名な最晩年の作品。実物を良く眺めると、背景の雨が同作の「李白観瀑図」の瀧のような抽象的な趣深いデザインになっているのが目を惹きます。細身の物凄く変わった形の虎ですが、肢体をぐにょぐにょ変化させて描くにはこのスタイルでなければならなかったのでしょう。時に、北斎自身が投影されているのではないかとも評される作品です。

暁斎の「美人観蛙図」は戯画調の蛙達を眺める、洋風表現も織り込まれているリアルな本格的な美人で、その柔和な表情のは観音様のようです。周囲の蔦には狩野派風の雅趣も感じられ、この時代までのすべての技術を受け継いだ暁斎らしい作品。

蛙は暁斎得意の画題で、国芳の猫と並び称されます。北斎も暁斎もいきものの絵を沢山描きましたが、北斎が微細に観察して何でも描いていくのに対して、暁斎には蛙の擬人化などに特徴があるとの事。今回の展覧会でもその双方の持ち味が良く出た展示が多数ありました。

暁斎の「風神雷神図」も流石の動的な構想力で、挿絵的。

北斎は水を描く事に非常に興味があったらしく「諸国瀧巡り」のシリーズはどれも意欲的な水表現に溢れています。その「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」は画面分割で有名なものですが、これも色々な水を描くための工夫でもあったとの事。瀧の横にいる人の清々しさが伝わって来る素晴らしい作品だと思います。

「冨嶽三十六景 上総ノ海路」も海の波の様子が丁寧に捉えられていて、スケールの大きさがあります。「北斎漫画二編」「七編」も水の表現が凝っていて、逆巻く波など物凄く、最近宇宙的とも評される「怒涛図」と同じものを感じさせます。

他には風にも興味があった感じで名作「駿州江尻」は有名。絵筆で表し難い事を追及することで、伎倆をどこまでも高めていくというか、一種の「公案」のような感じだったのではないかと思います。この前ふしぎ発見で、モナリザは点描で十年以上かけて描かれた、とやっていましたけど、やはりこのものを描き表す執念はダ・ヴィンチを連想させずにはいられません。

また「諸職絵本 新鄙形」は開かれた部分は鐘の寸法が事細かに書かれていましたが、こういった職人のための実用的な設計図が描かれた本らしく、こういうほかの人には余りない工学系の本を残しているところも似ています。

橋にも興味があったらしく「諸国名橋奇覧 足利行道山くものかけはし」は驚異の絶景ですけど、実際こういう所はあったんですかね?

そういったマニアックな視線とともに「一筆画譜」の一筆書きの鶴ような簡略化を極めた作品も残していて、こういった両方の性向を持つことは若冲などと共通しています。

「遠江山中」は以前に鑑定団で贋物が出ていたのですが、なぜか富士山だけ大きく描き直されていました。何ででしょうねぇ、とスタジオ内で笑いものにされていましたが、大きく描きたくなってしまうのでしょうねぇ。

「暁斎画譜」は仁王が子供をあやす図で、気は優しくて力持ちといいますか、優しさで強さを強調していると読めます。

暁斎の「放屁合戦」はサントリー美術館の至宝である「放屁合戦絵巻」にインスパイアされたもの。
原作を描いたのは鳥獣戯画でも有名な鳥羽僧正で(ウィキペディアを読むと「伝」に近いニュアンスで書かれていますが)、この人の名前は鳥羽絵の創始者として「守貞謾稿」などにも良く出てきます。(何かこの人の名前は一発変換で出てきましたけど、花園のIME辞書に入っていたんですかね?)
現代で著名で江戸時代で知名度が低かった芸術家の代表は古田織部でしょうけど、江戸時代に有名で現代でむしろ知名度が低い人の代表はこの鳥羽僧正ではないでしょうか。
やはり明治という時代を経過して、その時代から弾かれたまま未だに復権していないのではないでしょうか。

この頃のふざけた浮世絵などは鳥羽絵と呼ばれていた絵らしく、今の漫画と意味は大体同じでしょう。
手塚治虫さんは鳥獣戯画に日本の漫画の源流を求めていますけど、その真ん中の鳥羽絵、浮世絵については余り先祖として語っていなかったような気がしたんですけどどうだったでしょうか。

「北斎漫画十編」は大道芸を披露する人達で、中には「呑刀」という刀を呑む芸を披露する人もいます。これは以前中国の奥地でやっている人がいるのが放送されていましたが、当時の人も良くやっていたのでしょうか。

「北斎漫画三編」は色々な異国の人が描かれていますが、刺青をしている人の横の文字は文身と読めますかね。

「北斎漫画七編」など勢いの線が物凄く、完全に漫画表現ですね。

北斎漫画のみならず挿絵も結構出ているのが本展の結構うれしいところで、馬琴の「椿説弓張月」の乱闘場面は逆手を取っている人がいて、逆一本背負いに入れそうな体勢。「北斎漫画」にもそういうのがありましたけど、北斎の挿絵を観ると柔術の手の研究はしていたように思います。

暁斎の版下絵(浮世絵の原画、彫られるのであまり残らない)が結構な数、出ていましたが、なんでなんでしょうねぇ。「二十四孝」など雷に覆われた極めてダイナミックな構図で、彫り上げられるための清廉な線が美しいです。

暁斎は洋風表現もかなり勉強していたらしく、解剖図や内臓や骨格を描いたものが結構ありました。「骸骨の茶の湯」など骸骨絵が多いのも特徴ですが、これは芳年のような猟奇性ではなくて、勉学の延長として描きたくなって描いていたものだろうと推測できます。

暁斎の水では「日光地取絵巻上巻」というものが出されていて、ジョサイア・コンドルを伴って出かけた日光旅行でのスケッチであるとの事。吹き出すような猛烈な勢いは暁斎らしいです。

「暁斎楽画 第一 地獄の開化」は閻魔さまは散切り頭にされ、鬼は角を切られている図。と書くと怖いですが、全体的には皮肉と共にユーモア漂う作品。酒呑童子も異民族説がありますけど、鬼は時代の正統から外れた人の表象であることが多いと思いますが、この場合もそうなのでしょう。東方Projectでも私は、鬼は時流に乗り遅れた人の暗喩なのではないかと感じることがあります。

北斎の「「釈迦一代記図会」巻二」はいわゆる釈迦誕生の伝説の瞬間で最近では天上天下唯我独尊としか聞かない台詞が「四維上下唯我最尊」となっていて、同じ意味なのでしょう。現代人では四維がすぐにはぴんと来ませんから、歴史的にこちらは消えていったということでしょうか。
絵自体も上からかけられる花祭りの甘茶のもとになった香ばしい水を龍がかけていたり、霊威が尽くされています。

「「胡瓜遣」上編」は福沢諭吉の「窮理図解」のもじりであるとのこと。

万亭応賀の本に挿絵を描いた「権兵衛種蒔論」は実質を伴わない学業偏重を批判したものらしく、たしかに現代でも役に立っていない人はいるでしょう。江戸時代であれば読み書き算盤に論語とかをテキストとして読んでいたと思うんですけど、そういったものの方が実用的だと筆者は思っていたということでしょう。

たしかにその道の専門家になるなら役に立ちますけど、そうでないと役に立たないものを習うことが多いのも事実。最近は工業高校で人間性に絞って重点的に指導して、高就職率をたたき出している学校があると前に東京マガジンの週刊誌早読みで紹介されていましたけど、これはそういったものへの回帰の一つといえるでしょう。

儒教などというと現代では役に立たないものの様に思いますけど、人にとって本質的な意味でこれほど役に立つ書物はなかなかないと思います。

双方の深甚な絵画世界を様々な角度から楽しめた展覧会だったと思います。後期もとても期待できそうです。

代々木公園はこの日は沖縄フェスタをやっていて、私はタコスを食べたのですが、ソーキそばとかの方が良かったですかね?タイの時ほどの量に対するコストパフォーマンスはなかった感じですが、首里城の団扇ですとか、とても綺麗なものを貰いました。

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