東京国立博物館 平常展 ミュージアムシアター 三蔵法師の十一面観音 -インドから唐、そして法隆寺、興福寺、薬師寺へ- その9

#その他芸術、アート

有料になりましたが、せっかくやっているということで鑑賞。十一面観音一体が取り上げられるのかと思えば、玄奘を軸に仏像史を振り返る内容で、仏像好きの同朋にもとてもお勧めできる内容です。

人の入りはこのときはかなり少ないかなといった印象。やはり有料化は疑問なのでは。世界の流れに逆行していますし。

受付に何人も人がいて、物凄く丁重。解説も非常に練られていて本格的なのですが、無駄に敷居が高くなった(今の意味で)かなという印象も。

あとやっぱり3Dスキャンで読み取った映像をスクリーンで写すのですから、3Dにした方が良いのではという印象。
3Dテレビはおおこけしたという状況だと思うのですが、やっぱりといったところで、疲れるんですよね。ただでさえテレビは画像が点滅して脳みそに負担がかかるのに、3Dになるとそれがさらに増えて、もう疲れてどうしようもないといえるのではないでしょうか。
逆に言えば脳に負担のかからない3Dを開発できれば売れるでしょうね。

ただ、紀行系、ドキュメンタリー系だと3Dのこういった特徴が生きる所があって、元々情報量が少なくて眠気を誘うので、3Dになると情報量が増えてバランスが取れるところがあると思うんですよね。詳しい立体的な情報が分かる上に、そういう意味でも美術館とは相性が良いと思います。

はじまって「アレキサンダー大王の東征でガンダーラ仏が誕生」とさらっと解説されましたが、ガンダーラ美術の発生については「「ギリシア起源説」よりも「ローマ起源説」の方が有力」(アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史)森谷 公俊 (著) 325ページ)らしく「アレクサンドロスとは400年近い隔たりがある。現代の研究では、ガンダーラの仏教美術にはギリシア、イラン、ローマ、という三つの文化が影響を与えていると見るのが有力である。大王と仏像が直結しているかのような解釈はまったく的外れであり、われわれの常識の中のヘレニズムは幻影だといわねばならない。」(同24ページ)とのこと。

それでもアレクサンドロスの東征によってガンダーラ美術が誕生したといわれるのは「植民地の正当化」(同39ページ)に欧米が利用していたからであって、本来なら日本人はその誤りを真っ先に正して、しっかり教え継いで行かなければならないのに、自ら率先して「ヘレニズム」的な価値観を先導しているように思うのは残念です。

長くなりましたが、最近の説と照合すると間違いである可能性が高く、このような重要な意味もあるので、書きました。

また、仏像は釈迦の教えを形にしたい、という欲求から生まれた、という解説で、もちろんそういう面もあるでしょうけど、仏教の自律的な展開としての仏像も強調したいと思います。

当時の人も何とか菩薩であるとか十二神将などを彫っていって、それが直接歴史的な釈尊と関係ないんじゃないかということは感じていたと思うんですよね。

仏教というとお釈迦様ですが、東洋哲学の長い伝統が仏教という形で熟成・伝来したもの、という視点も重要だと思います。

もちろん定期的に原点回帰の運動はやってくるのですが、釈迦の教えだけを金科玉条として追い求めていたとなると、なにか、ウエーバーですとか自分たちで考えない無気力な民衆像を想定する「アジア専制論」的な仏教解釈になってしまうと思うのです。

というわけで、仏像が写実的なインド風になりましたが、中国になると中国風になります。しかしまた、唐代になって中国とインドも往来が活発になり、玄奘がシルクロードを辿ってインドから帰ると、またインド風の写実的なものになるとのこと。玄奘の系統のである法相宗の日光月光などがインド風で写実的なのはそのせいなのだそうです。

玄奘の旅が無ければこのようなことは起きなかったと、薬師寺の仏像の奇跡、と表現されていました。

メインの中国から伝来した十一面観音菩薩は第二回の遣唐使船で定恵が貰ってきたそうですが、さすがの名品。

中島誠之助さんがいうには中国の人は人を見て物を渡すらしく、遣唐使が持ち帰ったものや五山の留学僧などが持ち帰ったものは名品揃いなのですが、日本軍が持ち帰ったものは贋物ばかりだったとのこと。

この十一面観音には納得させるものがあります。

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