東京国立博物館 特別展「和様の書」第3展示期間 その1

#その他芸術、アート

「安倍首相、雇用者増加を強調 民主は労働規制緩和を批判」(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/478522.html)といった雇用政策は、外圧であるとかいろいろな要素で決まっているのでしょうけど、それにしても、日本は戦後内需主導で経済成長を成し遂げたという歴史を忘れているのではないですかね?

玉川さんのそもそも総研では汚染水の処理についてやっていましたけど、ずさんを通り越しています。小出さんのアイディアを無視した他番組は、責任はきちんととるべきです。

「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」(http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html)は、いつも言うように、鉢呂発言以下の分量でしかテレビが取り上げないのでしたら、とち狂っているといえるでしょう。

8月1日になって大手メディアもちょぼちょぼ報じはじめ、特に報ステは時間を割いていましたが、なにか変に誤解であるという風に持っていこうとした文脈もあったと思います。やるにはやりましたが腰も引けていたといえるでしょう。NHKのニュース9はまったく報じなかったといわれいます。

NHKが政府とその周辺の利益共同体の大本営発表である、ということを似たり寄ったりの他メディアが報じ無いので国民は知らされないままなのです。

TBSの荒川強啓さんのラジオでは山田五郎さんと二人で、ああいう人だから、といい、ワイマール憲法はそういう風に変わらなかったとか、むしろメディアがフォローするべきだったと意味不明の発言。

なぜそこまでメディアがお守りをしなければならないのか。過去の鉢呂発言と比べて段違いに問題なのがわからないのでしょうか。日本からみてもひどい発言ですが、海外からの問題視する視線の強さはものすごく、辞任をしないのが理解できない状況です。

やはりよほどおかしいか、権力に弱いかのどちらかだと思います。

続いての生活保護の削減のニュースでも不正受給を取り上げ厳しくするべきだと二人で主張。

ニュースを精査している人には不正受給は0.5%ほどであり、その部分をクローズアップして取り上げる、メディアの偏向報道が問題視されいています。

データを知らないのか、承知でこのように言っているとすれば、財務省・自民党的という意味で保守だということなのでしょうか。

TBSの報道特集ではアッツ島の玉砕を扱っていましたが、唯一の生存者の方を取材。気を失っていたので助かったとのこと。

今回は主に軍部の理不尽な指令を取り上げていましたが、軍部の判断とは別に現地の部隊長の判断があったことは見逃せないでしょう。現地が嫌だといえば助かった可能性がありますからね。

そこまで戦陣訓の洗脳が進んでいたのか、帰って処罰されるのが嫌だったのか、体面を重んじたか、命令に抗えなかったか、なんなんでしょうね。

アメリカ軍としてアッツ島の戦いに参加していたドナルド・キーンさんが言うにはほとんどが手榴弾などでの自決だったとのこと。「生きて虜囚の辱めを受けず」というのは日本の伝統的な精神ではなく、大正期に誰かが創作したものだろうとのこと。

日本は本当に明治~昭和に作られた「伝統文化」が多いので、批判するにしても、はたまた称揚するにしても十分注意することが前提になりいます。

この前に引用した司馬遼太郎さんの「名こそ惜しけれ」は氏の「公」の概念と関係あると思いますが、当時の思考形式を踏襲してしまっていると思います。こういった「伝統の創造」の一つではないかと思うのです。

最後にアッツ島の玉砕は責任の所在が明らかにされていない、といっていましたが、スタジオでも原発との関連を思わずにはいられない様子。この夏の戦争特集は、官僚及び原子力ムラと軍部の性質が全く変わらないことを確認する場にするべきだと思います。そしてそのような人材を生み出してしまうシステムを根本から変えていかなくてはならないのです。

しかしこの特集でも、責任は最後にちょこっとふれられただけで、個人名は出てきません。
こういう悲劇がありました、といった特集は平和に対する利益にまったくならずむしろマイナスであるということを自覚して制作者は番組を作らねばなりません。

アッツ島はアメリカが全く防御も何もしていないところを、アメリカに勝ったという戦果を誇示したいがために占領し、戦況が悪くなると行き当たりばったりに、玉砕命令を出して見捨てたのだとのこと。

やはり天皇の責任はとる必要があります。このように無責任に戦死者を出した軍部の残党が今も政界にいることには耐えがたい。岸信介の一族がのうのうと政界にいるということは許してはいけません。

テレビは戦後の戦争の責任の所在について一番に問うべきなのです。

また、こういう特集があったときに毎年安易に、こういう人たちの犠牲があったから今の日本がある、という人がいますけど、それは歴史修正主義特有のレトリックであることに気をつけねばなりません。

ある面やはり、こういった犠牲は無駄であった、ということをまず認めねばなりません。そして、どうすれば将来このような無駄な犠牲を出さないようにすることができるか考えるべきなのです。

犠牲のおかげ、といってしまうと、ファシズム体制下でのそのような犠牲が奨励されて、悲劇を繰り返しかねないのです。それは本来進むべき方向とは真逆であって、戦後に戦争を総括しないで、その残党が大きく政治的な影響力を持っていたことがこのような思潮を形成する基になっていると思います。

原発があったから経済が発展したんだ、という考えと、事実関係も含めて寸毫違わないといってよいでしょう。

何か一通り書き終わったんですけど、怒りが胸から消えず、違う作業に移れませんね。

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