江戸東京博物館 ファインバーグ・コレクション展 -江戸絵画の奇跡-後期 その9

#その他芸術、アート

行って参りました。

酷暑が続いているので、避難代わりの期待もあったんですが、少し冷房が効きすぎている印象。観覧中少し体が重くなり、何日か残る感じでした。

東京はひととき一段落しましたが、また暑さが到来しています。やはり、災害を避けるような気持ちで、皆様もお気を付けください。

最初の俵屋宗達の「虎図」は類作も多い琳派に特徴的な作品。ゆるきゃら系で、愛嬌の中に強さをみた作品とも取れます。

中村芳中の「六歌仙図」は全体的に構図が円いのが特徴。

抱一の「十二カ月花鳥図」は5セットあるうちの一つだそうで、私もプライスコレクションをはじめ、いくつかみました。芸術的に抜群に良い作品で、横の「柿に目白図」も含めて、このちょっとした枝のくねり方とか、情趣とか、現代の作家はなかなか出せないと思います。

鈴木其一も「美保松原図小襖」など理知的で良い感じのものが出ていて、すっきりしていて筆が走っている印象。

上坂雪佳の「四季草花図」は琳派をすべて詰め込んだような、鮮やかな作品。

池玉瀾の「風竹図扇面」はこの前東博でみた(中国の女流画家の)伝管道昇筆の作品にそっくりです。

与謝蕪村の作品も出ていて「寒林山水図屏風」は当然絵でもでも一流であったことを示す、上手い作品。川であるとか流動的なモチーフを好むらしく、そういった動きの中に詫びた詩情がどこまでも広がっているのが特徴。

有名と無名の中間ぐらいの作家の面白い作品がたくさんあるのもこのコレクションの特徴で、例えば奥原晴湖の「月下敗荷図」は交錯したエキセントリックな表現。

谷文晁の「富士真景図」はこの前の谷文晁展でみたものとそっくり。元のスケッチがあるらしく、どちらもそこから描き起こしたものなのでしょう。

同じく「秋夜名月図」は月の清らかな光が空間を純化させたような名作。
これは新聞に載っていて、ハンコが大きく押されているので、小さい作品なのだろうと思っていたのですが、ハンコが特大サイズだった模様。

円山応挙の「孔雀牡丹図」は孔雀を描くことで、簡素になりやすい写実的な描写に、装飾的な華やかさを加えたもの。バランスがいい作品ですが、本来の応挙の簡素な山水なども捨てがたいところ。

森狙仙の「滝に松樹遊猿図」の解説によると、狙仙の猿の毛描きは刷毛で描かれているとのこと。

同じく「親子鹿図扇子」は珍しい猿以外の絵ですが、動物に対する優しい眼差しが共通しているということで、狙仙はそういう絵師だったのでしょう。

章立てがいくつかあり、次の区分は「奇想派」で「武家支配の時代にあっては現状を保守する姿勢こそが正しくて、革新を求める態度は危険視され忌避されました。」とあり、保守的な狩野派に対して若冲や京狩野の狩野山雪らが当時異端視された新しい表現を開拓し、今ではそれが本流になっているとのこと。

保守的な狩野派と一言で言いますけど、これまでの展覧会で、私は随分狩野派の柔軟な画風変化・摂取を観てきているんですよね。狩野派をあまりに硬直的にとらえる考えは、すでに過去のものといってよいのではないかと思います。

「もっと知りたい曾我蕭白―生涯と作品 」((アート・ビギナーズ・コレクション) 狩野 博幸 (著)) でレヴュアーの方がいみじくも書かれていますけど、奇想派といわれる人々はまさに民間の支持のもとに興隆した人たちであって、審美眼をもって彼らを支えた江戸の民衆の力を抜きに語ることはできません。彼らに対する評価は江戸という時代に対する評価とかなりの程度リンクしていてしかるべきなのです。

また、植民地支配の尖兵であったキリスト教に対しては幕府は厳しいのですが、海外の情報・技術の摂取に貪欲であり、実はかなり先進的であった、というのが最近の江戸研究の主流のように思います。

「奇想」というカテゴリーが古い江戸観を下敷きにしているのは問題だと思います。

若冲の「松図」は猛烈な勢いで、若冲の肉食系ともいえる一面が出ています。

筆者不詳の「男舞図」は菱川師宣の美人画などが出てくる前段階の作品だそうで、近い様式でしっかり描かれています。ぱっとみると美人画に見えるんですが、女装した男なのだそう。典雅な書体で賛が添えられていて、その内容は、女装した俺かわいいな、といった感じのようです。

今回の展覧会は賛についても詳しく解説されていたこと。これはありがたいので他の展覧会でもでもぜひやってほしいところ。カタログにですら注釈がついていなかったりすることがあるんですよね。

海外のコレクターには賛に興味がない人がいるらしく、それくらいならそれはそれ、と言えますが、白隠展のカタログによるとポストモダンの理論を使って晦渋な理論を展開してそちらのほうが純粋に絵画から意味を読み取れるのだ、といった主張をする人がいるらしく、そこまでいくと行きすぎといえるでしょう。

このコレクターの方もかなり勘で集めているほうではあるそうなんですが、偽物は一点もなかったとのこと。

懐月堂安度の「遊女と禿図」はかなりうまく、本気で描いた安度は浮世絵師の中でも屈指だと思います。

勝川春章の「文を破る女図」は夫に届いた恋文を破り捨てている図。

礒田湖龍斎の「松風村雨図」はどっしりとした構えとひねりが湖龍斎らしいです。

歌川豊春の「春景遊宴図屏風」は得意の遠近法を屏風で強調しており、空間を大きく自在に使っています。

酒井抱一の「遊女立姿図」は豊春風の美人画を描いていた初期の作品とのことで、ぎこちなさが感じられるといってよいと思います。抱一のそもそもが浮世絵的な文化の出身であることが確認できます。

歌川豊国の「三代瀬川菊之丞の娘道成寺」は相変わらず踊りが切れていて、よほど良い役者だったんだろうなと思います。

三畠上龍の「舞姿美人図」は賛の内容が、あの子は誰だろう、いつか人に尋ねてみよう、といった感じで、現代でもよくありそうなシチュエーション。

一番最後に堂々と置かれていたのは葛飾北斎の「源頼政の鵺退治図」で光線が乱れ飛ぶさまは挿絵的。力強く画面の広がりが尋常ではなく、さすがのダイナミックな作品。

このコレクションは近世絵画を通観できる規模があり、バランスよく、品よく、歴史的にも重要な作品が多く含まれているのが特徴のように思いました。
日本にいては観られない絵画をたくさん観られて、非常に貴重な機会になりました。ありがとうございました。

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