太田記念美術館 鴻池コレクション 扇の美 その5

#その他芸術、アート

シャープの経営が傾いていますけど、やはり技術の流出は大きかったでしょう。韓国で日本の技術者が働いているという話はテレビの特集でも取り上げられていましたけど、シャープの社員であったという噂も。
どちらにしても日本の企業は知材を守れなかったわけで、江戸時代の和算の流派とかを閉鎖的としたり、技術の共有のがなされなかったから科学が進歩しなかったのだ、といわれますけど、個人個人をみていけば自らの知材を守るのは当然で、そういった基本が出来ていなかったのではないでしょうか。

当時の欧州は全体で世界に当っているような状態で、知識を共有するメリットはあったと思うんですよね。ヴェネチアンガラスのように徹底的に秘された技術もありますし、戦時中はいうに及ばずです。公開するしないを国民性に還元する議論には無理があると思うんですけど、守るべきものは守って公開した方が利益があるものは公開するのがどこの国でも常道で、その時代の個々にその判断の巧拙があるだけではないかと思うんですよね。

テレビの特集では知材を守るための仕組みや科学的な工夫とその膨大な手間をやっていましたけど、やはりそういうのと組み合わせて、人間的な涵養は絶対に必要でしょう。

「日本では長い間、法律はなかったらしい。それは[三国志]の魏書の中の倭人の伝に書いてあるのです。日本には法律が無い、法を犯すものもない」(文字講話Ⅱ 173ページ)とか「仏教の寛刑主義の根本にひそむ思想は、もしできることであるならば、刑罰を行わないですむようになることを理想としていました。」(仏典のことば―現代に呼びかける知慧 (同時代ライブラリー) 中村 元 (著) 172ページ)ですとか、「東洋人は漢の高祖の「法三章」というものを称えています。秦の始皇帝の帝国でつくったあらゆる法律を全部やめてしまって、三ヵ章だけ残したといいます。」(同153ページ)といったことは、取りようによっては浮世離れしているように聞こえるかもしれませんが、こういった方向性で攻め抜いて、社会全体で向かった上で、刑罰なりセキュリティの工夫というのは機能するであろうし、司法自身のモラルであるとかも回復すると思うのです。

知材の防衛もそのようなもので、これが一番合理的な方策であると信じています。

シリアで亡くなった山本美香さんという人は、とても偉い人のようですね。知りませんでした。

8月21日の日テレの午後6時代のニュースで、他が食べ物特集をやる中で山本さん特集をやったのがとても良く、良い番組でした。日テレは仕事のパートナーだったみたいですね。イラクの状況があまりにも、表現するなら、悲惨でした。

ただスタジオのコメンテーターがゆったり坐って、弱者の味方でどうのこうの、といっていたのはみていられませんでしたけれども。

夜の報ステではコメンテーターの三浦さんが、戦時中に朝日新聞だけで50人が亡くなっている、といっていましたけど、今も昔も嘘ばかり書いている朝日新聞と較べるのは、冒涜とすらいえると思います。
それにしても50人も犠牲者を出すならば、真実を書いて犠牲者を出す、という道もあったはずなんですよね。齋藤隆夫さんですとか、あれだけやって生き抜くことが出来たのですから、新聞社にだってそれが出来た可能性はあったと思います。正しい情報を出してむしろ犠牲者を減らすことすら可能だったのではないかと思うのです。
戦時中の時点では時世に抗うのは手遅れだった、と今まで振り返られてきましたけど、それは正しくないと思います。

今も昔も、利益供与・プレッシャーと個人の覚悟のなさのあわせ技で捻じ曲げられた報道の山が作られているのであって、個人の力量・責任に焦点が当てられるべきなのではないかと思います。

特に現代のプレッシャーは命を狙われる可能性は薄いと思うので、ジャーナリストなら当然はのねのけるのが期待されているレヴェルといえるでしょう。

山本さんの報道では、今日まで同じジャーナリストとしてどうですか、と聞かれた人を沢山みましたけど、知られざるもの凄い人だったら別ですが、それ以外の人は、私はジャーナリストじゃないです、といわないとその人は誠実とはいえないと思います。

http://c.filesend.to/plans/yuigon/body.php?od=20091013.html&pc=2
「多くのイラク市民が喜びに沸いています!!」的な、局所映像が各テレビ局で流れたが、実際にはそれほどでもなく、フセイン広場に集まったのは、数十名の市民とそれをとりまく報道陣だけだった。
なんていう文章もインターネットにありましたが、従来のテレビ報道では光の当てられなかった部分であるといえるでしょう。

ユニクロの柳井さんが、消えた年金について、民間なら捕まっている、といったそうですが、その通りで、責任逃れのみならず追及の声を聞かないのも極めて不健全です。
メディアは毎日このことについて3分必ず責任を追求するとかすれば良いと思います。

敗戦の日のあたりでは、福島の人への賠償金に税金が課せられる一方で、軍人恩給は孫子の代まで引き継がれて自民党の集票マシーンになっている、とアーサービナードさんが言っていましたけど、どうしようもない話です。
オリンピックに紛れて(紛れさせて)今年の夏は過ぎましたが、テレビはこういったことを掘り下げて取り上げるべきです。

「私は貝になりたい」は東京裁判を不当だと訴えたいグループが捏造して作ったようだ。ネットで調べられるこの時代に。。。。と書いたらすぐに終戦の日スペシャルで放送されていてずっこけました。
本当に日本の放送局は、根本的な反省が無いと思います。

さらには他の放送局なり媒体が抗議の声をあげないのがおかしく、でっち上げ物語であると知っている人は多いと思うんですよね。検証した上で、見識を疑う、とやるのが正しいメディアの姿ではないでしょうか。

8月14日のTBSの午後6時ごろのニュースでは横浜大空襲の特集をやっていましたけど、B29が500機に焼夷弾35万発というのが途方もない量です。
この特集は短いこともあってそれで終わりでしたけど、何で降伏しなかったのか、責任者は誰だったのか、どのような教育を受けたのか、どこを改善すればよかったのか、という事を洗い出して未来につなげていくことが必要だと思うのですが、そこまでやったのは本格的な番組でもみたことが無いですねぇ。
もう一つは無差別爆撃に対する抗議ですね。

8月14日のNHK夜9時のニュースでは大越キャスターがオスプレイはアジアの安定に役に立つが透明性が欲しい、といっていましたが、アジアの安定に具体的にどう役に立つのか、役に立たないのではないかという意見を多く聞くんですよね。この番組はキャスターがさらっということに前提の怪しい言葉が紛れていることが多く、刹那的に流してしまわないで検証するべきだと思います。

8月15日のテレ朝の朝9時頃のニュースでは、福島の海水浴場にお客が来ない事を「風評被害」といっていましたけど、これはどう考えても実害でしょう。いくらなんでも電通の掌握力が効き過ぎているのではないでしょうか。

同じく茨城の海水浴場も「風評被害」ということで、ゆるキャラの50メートル走を配信して客寄せを図っているといいますが、海水浴客の懸念はもっと深刻なもので、そういったものと正面から向き合わず、茶化した上で無視しているのではないでしょうか。東電と正面から戦うべきだとも思うのです。

オスプレイのニュースでは、みんながもっと知らないと、といっていましたけど、このまえのNHK報道のような疑問や、いらないことばかり流してニュースの総量が少ない今のテレビでこういったコメントは禁句なっているのではないでしょうか。

テレビが「風評被害」の話をしている間に、「高濃度汚染水4万2000トン漏出 福島第一原発4号機」(http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/220815000.html)のニュースが。テレビで観ることはありませんし、この当日に、風評被害というわけです。第一原発では白煙も上がっているとのこと。

東電ももっと原発の計測器などの細かいデーターをネットなどで公開して、詳細なところまで市民と情報を共有するべきだと思います。

外交では韓国の大統領の挑発的な言葉を受けて、たとえば岸さんですとか、国力が無いと歯噛みしているみたいですが、国力は当然大切として、相手にされるだけの政治のあり方、メッセージを発信する力が無いのが非常に問題です。

つまり国としての質の低さが問題であって、従来的な意味で「国力」を意識しても、経済を含めて国力は付いてこないだろう、と思うのです。
今後の国力は質を高めていった後に結果的についてくるもの、と考えるべきで、最初から従来型で量を目指しても量は付いてこないと思います。

特に岸さん的な新自由主義路線ではこれからも没落する一方であり、ポジションだけで具体的な仕事は知りませんけど、「国力」も含めて、現状における彼の責任は非常に大きいといえるでしょう。

それにはやはり市民が改善するべき事をしっかり知ることが出来ることが必要で、やはりつまりはメディアの問題が大きいと思うのです。

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